なにわ忠臣蔵伝説

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  十一章  


 東京へ討って出ようという突拍子もない話が出たのは十月の終わりでした。
 大師匠雪中が茨木のリハビリセンターに転院し、師匠雪まじりは相変わらず行方不明で、細々と続けていた月例一門会は継続不可能となりました。
 雪蛍の報告では、やはり師匠は“カル”と一緒に東京へ逃げたようです。わずか賛助金二十五万を持ち逃げしてもしれたことだと思うのですが、話はそれだけではありません。どうも、例の植木教授の「文化庁後援」云々という話はでまかせだったようです。阪西大学に問い合わせると、植木という教授からは長期休暇届けが出ていて、居場所は分からないというのです。
 植木が騙したのか、師匠がでまかせを言ったのか、それとも二人がグルだったのか、それすら分かりません。大師匠のマンションの権利書がいまどこにあるのかももちろん不明です。
 確かなのは一門の瓦解だけです。
 茨木の府立リハビリセンターでガラス越しに大師匠のリハビリを見ていました。
 高座も余興もない。アルバイトも何やら手に着かず、全員集まっていました。全員といっても、雪蛍に雪合戦にわたし、それに豊中のマンションに一人取り残された中学生の雪んこの四人です。雪んこは「講釈師なんかイヤや」と言いながら、何かにつけてわれわれのところに寄ってきます。師匠がマンションを出て行ってからは母親のところへは行かずに雪合戦のところへ転がり込んでいるようです。
 「最後に一花、ガーッとハデにやって散りたいな」
 リハビリルームが一望できる大きな窓の桟に腰掛けて雪蛍が呟きます。
 「う?」
 わたしが訊き返します。
 「どうせ離散する一門なら、最後にパーッと派手にやりたいやないか。忠臣蔵らしく」
 「そうやなあ。・・・やるか」
 雪蛍の方を見て頷きます。
 「お、いいですね、やりましょう、やりましょう、派手にパッと」
 雪合戦も乗ってきました。
 「ワヒもヒフで」
 いつの間にか大師匠が車椅子で近寄ってきていました。話を聞いていたようで、不自由な口で参加を表明します。一瞬「参ったな」と思いましたが、どっちにしろ芸の水準がどうの、客の入りがどうのという公演ではありません。みんなの思い出になればいいのです。大師匠にも冥途の土産にして貰いたいと思いました。
 「どうせやるなら、東京のそれも一番デカい劇場でやろうや」
 雪蛍が言います。
 「デカいいうたらどこや」
 「デカいいうたら、国立劇場やろ」
 「国立劇場・・・」
 さすがにわたしは躊躇しました。
 「国立劇場いうたら兄さん、千人は入りますで。・・・それにあそこは大体歌舞伎や文楽の劇場でしょ。借りられますか?」
 雪合戦も心配になったようです。
 「そんなもん、当たってみな分からんやろ。なんせこっちは一世一代の討ち入りなんやから怖い物なしやないか」
 「討ち入りかあ・・・」
 「討ち入り・・・」
 わたしも雪合戦も中学生の雪んこも右半身マヒの大師匠も、みんな一様に雪蛍の言葉に弱点を突かれました。それは言っては駄目な言葉なんです。もうみんなヘナヘナです。
 ああ、もう目の前に夜来の雪を踏みしめ、入山形の大名火事羽織を着込んだ一団が堀川端を進んでいきます。折から小望月の皓々として照らす払暁、この美しい銀世界を血に染めて・・・。
 全員うっとり目を閉じてしまいました。

 雪蛍の必死の努力で国立劇場の重い扉が開きました。“やけくそ”公演は一番の希望通り十二月十四日です。
 雪蛍が「どうしてもこの討ち入りの日にして貰わんと、われわれ忠臣蔵講釈師が江戸公演を打つかいがない」と何度も劇場スタッフに掛け合ったおかげでした。雪蛍のこの“最後っぺ”東京公演に賭ける意気込みは目を見張るものがあります。
 費用はホール・楽屋賃貸料が70万円、ポスター等広告料が50万円、照明・音響・観客係等劇場スタッフ人件費が60万円、合計180万円です。
 わたしはサラ金というところに初めて行きました。いきなり胸ぐら捕まれて「カネ貸してくれなんて、兄ちゃんええ度胸してんな」とかサングラスの人に脅されたりするんじゃないかと思っていましたが、違いました。極めて事務的、市役所みたいです。
 「健康保険証はありますか?」
 「あ、保険入ってないんです」
 「じゃ給与明細書はありますか?」
 「あ、給料は貰ってないんです」
 「給料貰ってないって・・・、自営業ですか」
 「まあ、それに近いですが・・・」
 「それではですねえ、市役所行って住民税決定証明書貰ってきてもらえますか?」
 「あのう、住民税って何ですか」
 可愛らしい受付の女の子とそれだけ問答して帰ってきました。勉強になりました。社会というところはしっかりとした人がしっかり生きるところなんです。

 しかし困りました。わたしは住吉大社の文化住宅を出る決意をしました。ここを出れば敷金の6万円(3月分の家賃)が一割引きで戻ってきます。もう公演さえできればホームレスでも何でもします。昔の釜が崎、いまの愛隣地区でも行けば何とかなるでしょう。でもこれぐらいの金額ではとてもとても・・・。
 金策に全員走り回っている途中、リハビリセンターで大師匠を見舞いました。
 「トヒはゲンロクヒュウホネン、トコロはホンヒョヘコウイン・・・」
 車椅子の上で必死に発声練習しています。「時は元禄十五年、所は本所回向院」という義挙の段だと思います。拍子木も左手で打つ練習をしています。簡単なことのように見えて、長年右手で打ってきた人が左手に持ち替えるというのは大変なことです。
 言葉はまったく判然としませんが“昭和の法印”と謳われ、上方芸術大賞まで受賞した人がと胸に詰まる思いがしました。
 わたしを見つけると、ニヤッと笑い、車椅子を押して近寄ってきます。
 パジャマのポケットから預金通帳を取り出して印鑑と一緒に渡します。中を見ると100万の定期預金があります。
 「いいんですか?」と訊くとコックリ頷きます。涙が出そうになりました。

 十一月に入り、わたしが下宿で全員の高座衣装にするつもりの赤穂火事羽織を整理していたとき、キョウコがやってきました。じっとその衣装を見ていましたが「わたしも着たいなあ」とポツリ漏らします。わたしは驚いて見上げます。
 「講釈は出来ないけど、名ビラっていうの、あの札をめくったり、幕を上げたりぐらいは出来るから」
 そう言って笑います。
 「わたしね、その討ち入りの衣装、気に入ってるの」
 翌日キョウコは封筒に入った札束を差し出しました。ザッと見て五十万ぐらいはあるでしょうか。
 「討ち入りに参加させてもらうお礼・・・」
 わたしは緊急に出演者名簿に「幕引き・天神斎雪化粧」の名を追加しました。
 キョウコの舞台名です。

 師走十二月十三日の夜十時、大阪駅北口のガード下に集まります。嘘のようにミゾレがちらついています。
 「出来過ぎやな」という雪蛍の言葉に、みな笑います。
 雪中、雪蛍、雪合戦、雪んこ、雪化粧、それにわたしの六人で高速バスに乗って国立劇場討ち入りです。声の出ない車椅子の講釈師もいます。親が行方不明の中学生もいます。講釈のできない網タイツのSM赤穂浪士もいます。もうメチャクチャです。
 みなに浅野家伝来の大名火事羽織と鎖帷子(くさりかたびら)を配ります。大師匠とキョウコのおかげで資金に少し余裕が出来て色々なものを買い揃えることができました。これを着て東京駅八重洲口から三宅坂まで進軍です。
 史実書を読み、できるだけ忠実に衣装、小物を再現しようと思いました。羽織の襟に三途の川の渡し賃五百円玉をキョウコが縫いつけてくれました。赤穂義士たちも討ち入りのときに一分銀を縫いつけたそうです。現在の物価では一万円ぐらいになるらしいですが、とてもそんな余裕はないので五百円玉にしました。これでも張り込んだ方です。
 和紙に包んだ気付け薬、血止め薬。包帯袋、餅、焼き飯、酒を入れた吸い筒、「枚(ばい)」と呼ばれる呼子笛などを順番に配ります。みんな、その凝り性に呆れます。でも一つ一つ渡していくうちに不思議に臨場感が高まっていきます。今生の別れの儀式をやっているような気がしてきます。
 感動屋の雪合戦はもう目を赤くしています。雪んこもハナをすすっています。
 「ええ、前売りの状況ですが、各人が東京の知人などを頼って営業してくれたおかげで、現在のところ二十四枚売れています」
 「ほお」という声がしてみんなでパラパラ拍手します。
 「千人の会場で三十席は埋まるでしょう」
 みなウンウン頷きます。
 ミゾレが激しくなってガード下にも吹き込んできています。みんなの頭が白く変わっていきます。
 「ウチの一門、ほんとにこれで最後なんですか」
 雪んこが訊きます。もう半分泣き声になっています。
 誰も答えず、じっと唇を噛みます。
 大師匠が「アワワワ」と訳の分からない呻きを発して、涎を垂らしています。キョウコが目頭を押さえながら、その涎をふき取ります。
 「みんなオヤジが悪いんや。あんな女に騙されて・・・」
 雪んこはそれだけ言って、あとは言葉になりません。

 東京駅八重洲口には十四日の朝五時に着きました。ミゾレは東京にも降ったようで夜が明けたばかりの八重洲ターミナルが一面、白くなっています。
 まだゲートの閉まっている八重洲地下街の入口で討ち入り衣装に着替えます。
 みな寒さにブルブル震えながら、鎖帷子の上に小袖を着て袴を履きますが、キョウコだけは着ているジャンパーやセーター、ブラジャーまでスパッと取って着替えます。素肌に鎖帷子、小袖も袴も履かず、今日は黒のパンティーの上に紫の網タイツ、紫のガーターベルトです。みんな、自分の着替えるのも忘れて見とれます。大師匠も、また涎を垂らして見ています。
 「SM嬢をなめるんじゃないわよ」
 キョウコはそう言って、腰をくねらせてポーズを決めます。女に弱い浪士たちはみな下を向いてしまいます。情けない忠臣です。
 さあ、三宅坂の国立劇場まで行進だと息巻いたとき、「ちょっと待って下さい」と雪んこが大師匠の車椅子を止めて言いました。色白でナデ肩の雪んこ、討ち入り衣装がよく似合っています。ほんとの大石主税というのもこんな感じだったのではないかという気がします。
 「ぼく、オヤジの居場所知ってます」
 「・・・」
 「ここから近いはずです。三宅坂行く前に急襲しましょう」
 「・・・」
 誰も言葉が出ません。師匠が憎いという気持ちはありましたが、「父を急襲しよう」と言う雪んこの気持ちは胸を塞ぐものがあります。
 「行きましょう。一門の主でありながら、みんなをこんな路頭に迷わせて、オヤジこそ吉良です。宿敵上野介です」
 雪んこは大師匠の車椅子を押してドンドン進んでいきます。仕方なくゾロゾロ赤穂浪士の集団がついていきます。
 雪んこは懐から住所を書いたメモ用紙を取り出し、電信柱の町名や番地の表示を見ながら師匠のアパートを探します。紺の火事羽織に白鉢巻きの集団があちこちの電信柱や表札を覗き込んで、まるで道化者の宅配便アルバイト集団のようです。
 日本橋を抜けて、もう墨田川に近いあたりでした。時間が経ち、だんだん人通りが多くなり、異様な風体の集団に新聞配達や早出のサラリーマンたちが何事かと驚いています。
 吉良の隠れ家はビルの裏、薄汚れたてんぷら屋の2階でした。
 「ここだ」
 雪んこがメモと番地を何度もチェックして不自然に大きく頷きます。
 「見つけました、ついに見つけましたたぞー」と叫ぶと、懐の呼子笛を取り出し、目一杯吹き鳴らします。みんなすぐ後ろにいるのにです。
 「分かった、分かったから、笛吹くのやめろ、恥ずかしいから」
 義士たちは合図の笛を吹き鳴らす同志の袖を引っ張ってなだめます。
 雪んこはなおも緩まず、鉄製の外階段を駆け上がり、先頭に立ってドアを叩きます。
 「裏門隊隊長・大石主税良金(よしかね)、一番槍、見参」などと怒鳴っています。講釈なんて古くさいものは絶対嫌だって言い張っていた雪んこがこの舞い上がりはどうしたのでしょうか。
 キョウコと雪合戦が協力して大師匠の車椅子を引っ張り上げます。その苦労をよそに「ワォー、ワォー」と大師匠も動く左手を上げて興奮しています。どういうことなのか、実の息子の雪んこと師匠に当たる雪中だけがこの消耗討ち入り戦に盛り上がっています。
 まだ寝ていたのでしょう。寝間着姿の「上野介」が目をこすりながら出てきました。こすった目を開けた瞬間、浪士の一団に仰天、ドタドタドタと後ずさりし、寝ているカルにつまずいて転びました。
 窓のアルミの桟が傾き、カーテンは前からの据え付けのものらしくすすけて茶色がかっているし、コンビニ弁当の器がゴミ箱からあふれています。「インド人がハンバーガー食っても講釈師は出来合いのものは食わん」と訳の分からない意地を張っていたのに、コロリと変わったようです。吉良邸というにはあまりに侘びしい部屋のたたずまいです。
 何だか覚醒剤密売のアジトのガサ入れをする私服警官の一団のような、みじめな気がしてきました。
 「おのれ、吉良コウズケ、こんなところに隠れておったか・・・」
 雪んこが歌舞伎の見栄のような声を出します。さすが講釈師の総領です。いつの間に覚えたのでしょうか。
 カルが寝ぼけまなこで起き、異常事態に慌てて剥きだしの胸を布団で隠します。
 「おのれ、一門の仇、恥を知れ」
 雪んこが二度目の見栄を切ります。
 「そうや、賛助金返せ」
 集団の後ろに隠れて雪蛍が得意のカネの返済要求を叫びます。
 「そうや、一門のカネ返せ」と雪んこも叫びます。
 「雪んこ・・・」
 狼狽していた師匠がじっと陣羽織の息子を見つめ、二度三度うなずきます。
 「成長したのお、雪んこ」と上野介がわが子を見ながら目を細めます。
 「お前たちもみな立派だぞ」
 今度は後ろのわたしたちにも声を掛けます。何なんでしょうか、この落ち着いた態度は。居直りでしょうか。
 「本日までお前たちを騙してきた」と突然吉良が布団に両手を突き、それから顔を上げてニンマリ微笑みます。
 「許せ。今日の今日までお前たちを試してきた。あえて悪人を演じてきた」
 討ち入り衣装の講釈師六人は事態が飲み込めず絶句します。
 「お前たちが真に一門のために忠臣蔵をやって行く気があるのかどうかを計るため、あえて賛助金を持ち逃げしてみた。あえて女にうつつを抜かしている降りをした。ワシを許してくれ、お前たちを疑ったこのワシを。・・・よかった。お前たちはわたしの思った通り、忠義の講釈師であった。・・・ほんとに」
 吉良は目頭を押さえます。
 「ほんとに良かった・・・」
 「何言ってるんですか、一門のカネを持ち逃げしといて」
 わたしは一歩前へ出て言います。
 「そうや、カネ返せ」
 雪蛍が同調します。カネのことになると雪蛍は瞬時に同調します。
 「フフフ、本気で怒っておるな、雪だるまよ、その一本気なところがワシは好きだぞ。まだ分からぬか、あえて試したのだ、ホレ、カネはこの通り」
 吉良が枕元のボストンバッグを開けると、確かにカネらしきものが・・・。
 「ワシは嬉しいぞ、お前たちと共に討ち入りの日を迎えられて・・・」
 そう大きな声を出したかと思うと、吉良は立ち上がってガバッと寝間着を剥ぎ取ります。吉良は浅野家家紋の入った火事羽織をしっかり着込んでいました。袖の縫いつけにはしっかり“大石内蔵助”の文字が・・・。
 「フフフ、お前たち最愛の弟子たちから“吉良上野介だ、共に天を抱かぬ宿敵だ”と恨まれた男こそ、実は大石内蔵助だったのだ。あえて騙していたこと、義のためとはいえ、お前たちを試してしまったこと、重ねて許せ」
 吉良変じて大石はツカツカとカルの方に寄って一発足蹴を見舞います。
 「カル、もはや討ち入りの刻限じゃ。“山科閑居”もこれまでじゃ。可哀想だが、お前への愛は見せかけのものに過ぎなかった。達者で暮らせ」
 “カル”は事態の急変にただ目を丸くしています。
 ボストンバッグから家紋入り黒金兜(くろがねかぶと)まで取り出し、ついでにしっかり茶封筒のカネも懐に入れ、吉良変じて大石は先頭に立ってアパートを出ていきます。
 「目指すは植木誠司ただ一人、アイツこそ大師匠のマンションまで騙し取った吉良上野介、一門不倶戴天の仇じゃ、居所は割れておる。ついて参れ」
 何が何やらわからず、わたしたちはゾロゾロ吉良変じて大石のあとについていきます。

 一時間後、江戸城内堀に面した三宅坂をわたしたち「七人の赤穂浪士」が上っていきます。
 先頭には吉良が変じた大石内蔵助、その次にいるのはマンション騙し取った極悪人植木誠司と思いきや、やはり浅野家火事羽織を着ています。
 隠れ家のマンションにいた植木がガバッとスーツを脱ぐとまた火事羽織が出てきたのです。みんなどうしてそんな重ね着しているのでしょう。
 「いや、辛かった、あえてマンション詐欺の汚名まで着て・・・。あえてみなさんを騙さねばならなかった。どうしてもみなさんの浪士魂をリアルに再現させるため、あえて騙さねばならなかった。あえてというこの言葉の意味を探るためにあえて詐欺をやらねばならなかった。あえての自乗だった。この自乗は実は三乗でも四乗でも望みのまま累乗化できるものだった。辛かった。義のためとはいえ、あえて人を騙すのは・・・。あえて人を探るためにあえて人を騙すためにあえて人から悪人の誹りを受けるのは」
 詐欺師植木変じて浪士介添人羽倉斎宮(はぐらいつき)は三宅坂を上りながら訳の分からないことを喋りに喋ります。
 「ようし、吉良を探しに行くぞ」植木が叫びます。
 「そうだ、吉良はどこだ」師匠も叫び、前二人はこぶしを突き上げます。
 「雪だるま兄さん、われわれの一門はこれで残るということなんでしょうか」
 後ろから雪んこが問いかけてきます。
 「・・・」
 わたしは声を出せません。
 大師匠はみんなそろったことが嬉しいらしく、訳も分からずハヒーハヒーと涎を垂らしています。キョウコは「あきれた」という表情をしています。しかし事態の不可解な展開より自分のファッションの方が気になるらしく、相変わらず歩きながら腰をひねっています。
 「吉良はどこや・・・」
 後ろの赤穂義士もさざなみのような言葉を繰り返してみます。
 ほんとに吉良はどこにいるんでしょうか。ほんとに吉良なんているんでしょうか。
 またちらちらミゾレが降り出して堀に波紋を作り始めました。
 意気軒昂な前二人からおかれた講釈義士たちは、その寒々とした堀を見ながらトボトボ坂を上っていきます。


                        (了)


 東京へ討って出ようという突拍子もない話が出たのは十月の終わりでした。
 大師匠雪中が茨木のリハビリセンターに転院し、師匠雪まじりは相変わらず行方不明で、細々と続けていた月例一門会は継続不可能となりました。
 雪蛍の報告では、やはり師匠は“カル”と一緒に東京へ逃げたようです。わずか賛助金二十五万を持ち逃げしてもしれたことだと思うのですが、話はそれだけではありません。どうも、例の植木教授の「文化庁後援」云々という話はでまかせだったようです。阪西大学に問い合わせると、植木という教授からは長期休暇届けが出ていて、居場所は分からないというのです。
 植木が騙したのか、師匠がでまかせを言ったのか、それとも二人がグルだったのか、それすら分かりません。大師匠のマンションの権利書がいまどこにあるのかももちろん不明です。
 確かなのは一門の瓦解だけです。
 茨木の府立リハビリセンターでガラス越しに大師匠のリハビリを見ていました。
 高座も余興もない。アルバイトも何やら手に着かず、全員集まっていました。全員といっても、雪蛍に雪合戦にわたし、それに豊中のマンションに一人取り残された中学生の雪んこの四人です。雪んこは「講釈師なんかイヤや」と言いながら、何かにつけてわれわれのところに寄ってきます。師匠がマンションを出て行ってからは母親のところへは行かずに雪合戦のところへ転がり込んでいるようです。
 「最後に一花、ガーッとハデにやって散りたいな」
 リハビリルームが一望できる大きな窓の桟に腰掛けて雪蛍が呟きます。
 「う?」
 わたしが訊き返します。
 「どうせ離散する一門なら、最後にパーッと派手にやりたいやないか。忠臣蔵らしく」
 「そうやなあ。・・・やるか」
 雪蛍の方を見て頷きます。
 「お、いいですね、やりましょう、やりましょう、派手にパッと」
 雪合戦も乗ってきました。
 「ワヒもヒフで」
 いつの間にか大師匠が車椅子で近寄ってきていました。話を聞いていたようで、不自由な口で参加を表明します。一瞬「参ったな」と思いましたが、どっちにしろ芸の水準がどうの、客の入りがどうのという公演ではありません。みんなの思い出になればいいのです。大師匠にも冥途の土産にして貰いたいと思いました。
 「どうせやるなら、東京のそれも一番デカい劇場でやろうや」
 雪蛍が言います。
 「デカいいうたらどこや」
 「デカいいうたら、国立劇場やろ」
 「国立劇場・・・」
 さすがにわたしは躊躇しました。
 「国立劇場いうたら兄さん、千人は入りますで。・・・それにあそこは大体歌舞伎や文楽の劇場でしょ。借りられますか?」
 雪合戦も心配になったようです。
 「そんなもん、当たってみな分からんやろ。なんせこっちは一世一代の討ち入りなんやから怖い物なしやないか」
 「討ち入りかあ・・・」
 「討ち入り・・・」
 わたしも雪合戦も中学生の雪んこも右半身マヒの大師匠も、みんな一様に雪蛍の言葉に弱点を突かれました。それは言っては駄目な言葉なんです。もうみんなヘナヘナです。
 ああ、もう目の前に夜来の雪を踏みしめ、入山形の大名火事羽織を着込んだ一団が堀川端を進んでいきます。折から小望月の皓々として照らす払暁、この美しい銀世界を血に染めて・・・。
 全員うっとり目を閉じてしまいました。

 雪蛍の必死の努力で国立劇場の重い扉が開きました。“やけくそ”公演は一番の希望通り十二月十四日です。
 雪蛍が「どうしてもこの討ち入りの日にして貰わんと、われわれ忠臣蔵講釈師が江戸公演を打つかいがない」と何度も劇場スタッフに掛け合ったおかげでした。雪蛍のこの“最後っぺ”東京公演に賭ける意気込みは目を見張るものがあります。
 費用はホール・楽屋賃貸料が70万円、ポスター等広告料が50万円、照明・音響・観客係等劇場スタッフ人件費が60万円、合計180万円です。
 わたしはサラ金というところに初めて行きました。いきなり胸ぐら捕まれて「カネ貸してくれなんて、兄ちゃんええ度胸してんな」とかサングラスの人に脅されたりするんじゃないかと思っていましたが、違いました。極めて事務的、市役所みたいです。
 「健康保険証はありますか?」
 「あ、保険入ってないんです」
 「じゃ給与明細書はありますか?」
 「あ、給料は貰ってないんです」
 「給料貰ってないって・・・、自営業ですか」
 「まあ、それに近いですが・・・」
 「それではですねえ、市役所行って住民税決定証明書貰ってきてもらえますか?」
 「あのう、住民税って何ですか」
 可愛らしい受付の女の子とそれだけ問答して帰ってきました。勉強になりました。社会というところはしっかりとした人がしっかり生きるところなんです。

 しかし困りました。わたしは住吉大社の文化住宅を出る決意をしました。ここを出れば敷金の6万円(3月分の家賃)が一割引きで戻ってきます。もう公演さえできればホームレスでも何でもします。昔の釜が崎、いまの愛隣地区でも行けば何とかなるでしょう。でもこれぐらいの金額ではとてもとても・・・。
 金策に全員走り回っている途中、リハビリセンターで大師匠を見舞いました。
 「トヒはゲンロクヒュウホネン、トコロはホンヒョヘコウイン・・・」
 車椅子の上で必死に発声練習しています。「時は元禄十五年、所は本所回向院」という義挙の段だと思います。拍子木も左手で打つ練習をしています。簡単なことのように見えて、長年右手で打ってきた人が左手に持ち替えるというのは大変なことです。
 言葉はまったく判然としませんが“昭和の法印”と謳われ、上方芸術大賞まで受賞した人がと胸に詰まる思いがしました。
 わたしを見つけると、ニヤッと笑い、車椅子を押して近寄ってきます。
 パジャマのポケットから預金通帳を取り出して印鑑と一緒に渡します。中を見ると100万の定期預金があります。
 「いいんですか?」と訊くとコックリ頷きます。涙が出そうになりました。

 十一月に入り、わたしが下宿で全員の高座衣装にするつもりの赤穂火事羽織を整理していたとき、キョウコがやってきました。じっとその衣装を見ていましたが「わたしも着たいなあ」とポツリ漏らします。わたしは驚いて見上げます。
 「講釈は出来ないけど、名ビラっていうの、あの札をめくったり、幕を上げたりぐらいは出来るから」
 そう言って笑います。
 「わたしね、その討ち入りの衣装、気に入ってるの」
 翌日キョウコは封筒に入った札束を差し出しました。ザッと見て五十万ぐらいはあるでしょうか。
 「討ち入りに参加させてもらうお礼・・・」
 わたしは緊急に出演者名簿に「幕引き・天神斎雪化粧」の名を追加しました。
 キョウコの舞台名です。

 師走十二月十三日の夜十時、大阪駅北口のガード下に集まります。嘘のようにミゾレがちらついています。
 「出来過ぎやな」という雪蛍の言葉に、みな笑います。
 雪中、雪蛍、雪合戦、雪んこ、雪化粧、それにわたしの六人で高速バスに乗って国立劇場討ち入りです。声の出ない車椅子の講釈師もいます。親が行方不明の中学生もいます。講釈のできない網タイツのSM赤穂浪士もいます。もうメチャクチャです。
 みなに浅野家伝来の大名火事羽織と鎖帷子(くさりかたびら)を配ります。大師匠とキョウコのおかげで資金に少し余裕が出来て色々なものを買い揃えることができました。これを着て東京駅八重洲口から三宅坂まで進軍です。
 史実書を読み、できるだけ忠実に衣装、小物を再現しようと思いました。羽織の襟に三途の川の渡し賃五百円玉をキョウコが縫いつけてくれました。赤穂義士たちも討ち入りのときに一分銀を縫いつけたそうです。現在の物価では一万円ぐらいになるらしいですが、とてもそんな余裕はないので五百円玉にしました。これでも張り込んだ方です。
 和紙に包んだ気付け薬、血止め薬。包帯袋、餅、焼き飯、酒を入れた吸い筒、「枚(ばい)」と呼ばれる呼子笛などを順番に配ります。みんな、その凝り性に呆れます。でも一つ一つ渡していくうちに不思議に臨場感が高まっていきます。今生の別れの儀式をやっているような気がしてきます。
 感動屋の雪合戦はもう目を赤くしています。雪んこもハナをすすっています。
 「ええ、前売りの状況ですが、各人が東京の知人などを頼って営業してくれたおかげで、現在のところ二十四枚売れています」
 「ほお」という声がしてみんなでパラパラ拍手します。
 「千人の会場で三十席は埋まるでしょう」
 みなウンウン頷きます。
 ミゾレが激しくなってガード下にも吹き込んできています。みんなの頭が白く変わっていきます。
 「ウチの一門、ほんとにこれで最後なんですか」
 雪んこが訊きます。もう半分泣き声になっています。
 誰も答えず、じっと唇を噛みます。
 大師匠が「アワワワ」と訳の分からない呻きを発して、涎を垂らしています。キョウコが目頭を押さえながら、その涎をふき取ります。
 「みんなオヤジが悪いんや。あんな女に騙されて・・・」
 雪んこはそれだけ言って、あとは言葉になりません。

 東京駅八重洲口には十四日の朝五時に着きました。ミゾレは東京にも降ったようで夜が明けたばかりの八重洲ターミナルが一面、白くなっています。
 まだゲートの閉まっている八重洲地下街の入口で討ち入り衣装に着替えます。
 みな寒さにブルブル震えながら、鎖帷子の上に小袖を着て袴を履きますが、キョウコだけは着ているジャンパーやセーター、ブラジャーまでスパッと取って着替えます。素肌に鎖帷子、小袖も袴も履かず、今日は黒のパンティーの上に紫の網タイツ、紫のガーターベルトです。みんな、自分の着替えるのも忘れて見とれます。大師匠も、また涎を垂らして見ています。
 「SM嬢をなめるんじゃないわよ」
 キョウコはそう言って、腰をくねらせてポーズを決めます。女に弱い浪士たちはみな下を向いてしまいます。情けない忠臣です。
 さあ、三宅坂の国立劇場まで行進だと息巻いたとき、「ちょっと待って下さい」と雪んこが大師匠の車椅子を止めて言いました。色白でナデ肩の雪んこ、討ち入り衣装がよく似合っています。ほんとの大石主税というのもこんな感じだったのではないかという気がします。
 「ぼく、オヤジの居場所知ってます」
 「・・・」
 「ここから近いはずです。三宅坂行く前に急襲しましょう」
 「・・・」
 誰も言葉が出ません。師匠が憎いという気持ちはありましたが、「父を急襲しよう」と言う雪んこの気持ちは胸を塞ぐものがあります。
 「行きましょう。一門の主でありながら、みんなをこんな路頭に迷わせて、オヤジこそ吉良です。宿敵上野介です」
 雪んこは大師匠の車椅子を押してドンドン進んでいきます。仕方なくゾロゾロ赤穂浪士の集団がついていきます。
 雪んこは懐から住所を書いたメモ用紙を取り出し、電信柱の町名や番地の表示を見ながら師匠のアパートを探します。紺の火事羽織に白鉢巻きの集団があちこちの電信柱や表札を覗き込んで、まるで道化者の宅配便アルバイト集団のようです。
 日本橋を抜けて、もう墨田川に近いあたりでした。時間が経ち、だんだん人通りが多くなり、異様な風体の集団に新聞配達や早出のサラリーマンたちが何事かと驚いています。
 吉良の隠れ家はビルの裏、薄汚れたてんぷら屋の2階でした。
 「ここだ」
 雪んこがメモと番地を何度もチェックして不自然に大きく頷きます。
 「見つけました、ついに見つけましたたぞー」と叫ぶと、懐の呼子笛を取り出し、目一杯吹き鳴らします。みんなすぐ後ろにいるのにです。
 「分かった、分かったから、笛吹くのやめろ、恥ずかしいから」
 義士たちは合図の笛を吹き鳴らす同志の袖を引っ張ってなだめます。
 雪んこはなおも緩まず、鉄製の外階段を駆け上がり、先頭に立ってドアを叩きます。
 「裏門隊隊長・大石主税良金(よしかね)、一番槍、見参」などと怒鳴っています。講釈なんて古くさいものは絶対嫌だって言い張っていた雪んこがこの舞い上がりはどうしたのでしょうか。
 キョウコと雪合戦が協力して大師匠の車椅子を引っ張り上げます。その苦労をよそに「ワォー、ワォー」と大師匠も動く左手を上げて興奮しています。どういうことなのか、実の息子の雪んこと師匠に当たる雪中だけがこの消耗討ち入り戦に盛り上がっています。
 まだ寝ていたのでしょう。寝間着姿の「上野介」が目をこすりながら出てきました。こすった目を開けた瞬間、浪士の一団に仰天、ドタドタドタと後ずさりし、寝ているカルにつまずいて転びました。
 窓のアルミの桟が傾き、カーテンは前からの据え付けのものらしくすすけて茶色がかっているし、コンビニ弁当の器がゴミ箱からあふれています。「インド人がハンバーガー食っても講釈師は出来合いのものは食わん」と訳の分からない意地を張っていたのに、コロリと変わったようです。吉良邸というにはあまりに侘びしい部屋のたたずまいです。
 何だか覚醒剤密売のアジトのガサ入れをする私服警官の一団のような、みじめな気がしてきました。
 「おのれ、吉良コウズケ、こんなところに隠れておったか・・・」
 雪んこが歌舞伎の見栄のような声を出します。さすが講釈師の総領です。いつの間に覚えたのでしょうか。
 カルが寝ぼけまなこで起き、異常事態に慌てて剥きだしの胸を布団で隠します。
 「おのれ、一門の仇、恥を知れ」
 雪んこが二度目の見栄を切ります。
 「そうや、賛助金返せ」
 集団の後ろに隠れて雪蛍が得意のカネの返済要求を叫びます。
 「そうや、一門のカネ返せ」と雪んこも叫びます。
 「雪んこ・・・」
 狼狽していた師匠がじっと陣羽織の息子を見つめ、二度三度うなずきます。
 「成長したのお、雪んこ」と上野介がわが子を見ながら目を細めます。
 「お前たちもみな立派だぞ」
 今度は後ろのわたしたちにも声を掛けます。何なんでしょうか、この落ち着いた態度は。居直りでしょうか。
 「本日までお前たちを騙してきた」と突然吉良が布団に両手を突き、それから顔を上げてニンマリ微笑みます。
 「許せ。今日の今日までお前たちを試してきた。あえて悪人を演じてきた」
 討ち入り衣装の講釈師六人は事態が飲み込めず絶句します。
 「お前たちが真に一門のために忠臣蔵をやって行く気があるのかどうかを計るため、あえて賛助金を持ち逃げしてみた。あえて女にうつつを抜かしている降りをした。ワシを許してくれ、お前たちを疑ったこのワシを。・・・よかった。お前たちはわたしの思った通り、忠義の講釈師であった。・・・ほんとに」
 吉良は目頭を押さえます。
 「ほんとに良かった・・・」
 「何言ってるんですか、一門のカネを持ち逃げしといて」
 わたしは一歩前へ出て言います。
 「そうや、カネ返せ」
 雪蛍が同調します。カネのことになると雪蛍は瞬時に同調します。
 「フフフ、本気で怒っておるな、雪だるまよ、その一本気なところがワシは好きだぞ。まだ分からぬか、あえて試したのだ、ホレ、カネはこの通り」
 吉良が枕元のボストンバッグを開けると、確かにカネらしきものが・・・。
 「ワシは嬉しいぞ、お前たちと共に討ち入りの日を迎えられて・・・」
 そう大きな声を出したかと思うと、吉良は立ち上がってガバッと寝間着を剥ぎ取ります。吉良は浅野家家紋の入った火事羽織をしっかり着込んでいました。袖の縫いつけにはしっかり“大石内蔵助”の文字が・・・。
 「フフフ、お前たち最愛の弟子たちから“吉良上野介だ、共に天を抱かぬ宿敵だ”と恨まれた男こそ、実は大石内蔵助だったのだ。あえて騙していたこと、義のためとはいえ、お前たちを試してしまったこと、重ねて許せ」
 吉良変じて大石はツカツカとカルの方に寄って一発足蹴を見舞います。
 「カル、もはや討ち入りの刻限じゃ。“山科閑居”もこれまでじゃ。可哀想だが、お前への愛は見せかけのものに過ぎなかった。達者で暮らせ」
 “カル”は事態の急変にただ目を丸くしています。
 ボストンバッグから家紋入り黒金兜(くろがねかぶと)まで取り出し、ついでにしっかり茶封筒のカネも懐に入れ、吉良変じて大石は先頭に立ってアパートを出ていきます。
 「目指すは植木誠司ただ一人、アイツこそ大師匠のマンションまで騙し取った吉良上野介、一門不倶戴天の仇じゃ、居所は割れておる。ついて参れ」
 何が何やらわからず、わたしたちはゾロゾロ吉良変じて大石のあとについていきます。

 一時間後、江戸城内堀に面した三宅坂をわたしたち「七人の赤穂浪士」が上っていきます。
 先頭には吉良が変じた大石内蔵助、その次にいるのはマンション騙し取った極悪人植木誠司と思いきや、やはり浅野家火事羽織を着ています。
 隠れ家のマンションにいた植木がガバッとスーツを脱ぐとまた火事羽織が出てきたのです。みんなどうしてそんな重ね着しているのでしょう。
 「いや、辛かった、あえてマンション詐欺の汚名まで着て・・・。あえてみなさんを騙さねばならなかった。どうしてもみなさんの浪士魂をリアルに再現させるため、あえて騙さねばならなかった。あえてというこの言葉の意味を探るためにあえて詐欺をやらねばならなかった。あえての自乗だった。この自乗は実は三乗でも四乗でも望みのまま累乗化できるものだった。辛かった。義のためとはいえ、あえて人を騙すのは・・・。あえて人を探るためにあえて人を騙すためにあえて人から悪人の誹りを受けるのは」
 詐欺師植木変じて浪士介添人羽倉斎宮(はぐらいつき)は三宅坂を上りながら訳の分からないことを喋りに喋ります。
 「ようし、吉良を探しに行くぞ」植木が叫びます。
 「そうだ、吉良はどこだ」師匠も叫び、前二人はこぶしを突き上げます。
 「雪だるま兄さん、われわれの一門はこれで残るということなんでしょうか」
 後ろから雪んこが問いかけてきます。
 「・・・」
 わたしは声を出せません。
 大師匠はみんなそろったことが嬉しいらしく、訳も分からずハヒーハヒーと涎を垂らしています。キョウコは「あきれた」という表情をしています。しかし事態の不可解な展開より自分のファッションの方が気になるらしく、相変わらず歩きながら腰をひねっています。
 「吉良はどこや・・・」
 後ろの赤穂義士もさざなみのような言葉を繰り返してみます。
 ほんとに吉良はどこにいるんでしょうか。ほんとに吉良なんているんでしょうか。
 またちらちらミゾレが降り出して堀に波紋を作り始めました。
 意気軒昂な前二人からおかれた講釈義士たちは、その寒々とした堀を見ながらトボトボ坂を上っていきます。


                        (了)

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