ちゃりんこダビデ

戻る | 目次へ

  最終章  


 その年の暮れ、渡辺珠樹の部屋のゼラニウムが枯れた。しかし実はそのことをぼくはよく知らない。園田競馬場前の“踏み絵”のあと、十二月半ばの岸和田B級戦でぼくはまた落車した。前夜の雪でバンクが一部凍っていたようだ。開催日には毎朝一番に綿密なローラー車による点検があるのだが、凍結が一部残っていたようだ。やはり朝早いB級戦というのは、午後のA級戦の“毒味”のようなところがある。
 落車の場面すらぼくはよく覚えていない。関係者の話では三コーナーと四コーナーの間“二センター”と呼ばれているカントの一番高い部分に駆け上がり、そこから山おろしをかけようとしたらしい。山おろしなど、ここ何年かやった覚えがないが、あの日だけは何か無気になっていたようだ。
 ぼくは救急車で岸和田市民病院に担ぎ込まれ、それから何日かして地元甲子園に近い朝凪町脳神経外科病院に運ばれた。一時は生命の危険もあったほどの脳挫傷で、ぼくは約三ヶ月間意識不明のまま病院のベッドにいたらしい。
「あれほどの脳挫傷で、覚醒したことすら奇跡だ」と医者から言われた。
 でも、ほんとにおかしなことだけど、ぼくがベッドに横たわっている間の何コマかは、まるで八ミリ映画のラッシュのように、頭の中にイメージが残っている。微かに明滅を繰り返しながら、折に触れてその場面がフラッシュバックされる。それも、ぼくのいるはずのない十三ワニさん公園のママ屋のバラック小屋の場面や、甲子園球場Aー13番ゲートの場面や、行ったこともない珠樹の部屋や、和歌山鳴滝町の泉の沼や、カリフォルニア・フェルナンドバレーのモミの木の森や、そういう情景が頭の中で再現される。

 枯れたゼラニウムの鉢を持って、珠樹が十三のママ屋を訪ねてきた。クリスマスも近い、冷たい雨の日だった。珠樹がぼくらの所に来るときは不思議に雨の日が多い。
「これ、枯れてしまったけど、来年また咲くかもしれないんです。ゼラニウムは根の強い花だから。だから川瀬さんの横に置いてあげてくれないでしょうか」
「え、どうして」テツは驚いて言葉に詰まる。
「わたし、和歌山に帰ります。迎えの人がわざわざ和歌山から来てくれています。わたしANA九三三便に乗って帰ります」
 珠樹がチラッと後ろを振り返る。水本サキが児童公園の金網にもたれて傘を差し、タバコを吸っていた。
「珠樹さん、ANA九三三便なんて飛行機はハナかりゃありゃしないんだ、そんな飛行機に乗ったら、あなたはまた想像の世界に取り残されてしまう。恋人を待つ人魚姫や、炎に焦がれるマッチ売りの少女や、置き去りにされたETや、あなたはそんなことの中に入り込んで出口を見失ってしまう。ストライクマンについて行っちゃダメだ、紀伊水道の見えるお花畑病院なんか行っちゃだめだ」
 詰め寄るテツの言葉に珠樹は静かに首を振り、ゼラニウムの鉢を下に置く。それから珠樹はレインコートのポケットから茶封筒を取り出した。
「これ、わたしがこれまでに競輪の予想と、それから、チアガールの衣装を着て稼いだおカネです。おじさんたちから稼いだおカネです。これ取ってください。五十万円あります。テツさんに頼んでいた、あのETの自転車の代金として取ってください。そして川瀬さんに、わたしをただ一人だけ送り届けようとしてくれた、あのロス・オリンピック、サンノゼの黒豹さんに、そのETの自転車をあげて下さい」
 珠樹は茶封筒をテツに差し出す。
「珠樹さん、ETの自転車はまだ完成してないんです、だからまだ行っちゃダメです」
「大丈夫、テツさんなら、きっと完成させられます。ワニさん公園のチャリンコ・ビルダー、がんばれ」
「珠樹さん、川瀬さんまた落車したんです。あの人は落車は慣れている。川瀬コロ造とまで言われている人だ。でも今度の落車はひどかった。カントの最上部からまっさかさまに落ちて、いまだに意識不明です。オレが磨いていたプラチナ・ナノコロイドのギアを勝手に競輪用ピストに付けたんです。まだ完成してないって、オレ言ったんです。ギア・ホイールだけ付け替えたってだめですって言ったんです。これまでなら、ぼくが大丈夫って太鼓判押しても怯えて乗らなかったぐらいの慎重な人なのに、どうしたんだろう、夜中にここの倉庫からギア・ホイール持ち出して、自分のピストに付け替えて出ていったんです。ギア・ホイールだけ付け替えても車体がアンバランスになるだけだって、あんなに言ったのに・・・。川瀬さんはいま朝凪町脳神経病院の集中治療室にいます。珠樹さん、あなたもよく知っている甲子園のそばのあの病院です。意識不明のまま昏睡してるんです」
「大丈夫です」と言って、珠樹はテツの手の中に封筒を握らせる。
「川瀬さんもきっとよくなります。わたし信じてます。・・・・・・あなたが絶望の淵にあるとき、神はきっとあなたのそばにいます。わたし、そう教えられました」
 珠樹はそう言ってテツの手を取る。
「テツさん、お願いがあります。宇宙船に乗り込むETが、ゼラニウムの花をくれた末の妹のガーティに言ったように、“いい子でね、Be good”って言ってくれませんか」
 テツは唇を噛んで首を振った。
「テツさん、お願い」
「Be good ・・・ですか?」
「うん、わたしの後ろ姿に向かって、そう言って下さい、必ず言ってね」
 珠樹は笑ってそう言い、いつものピンクの傘をさして去って行く。テツの「Be good」は、十二月の雨の音に消された。

「川瀬さん、しっかりして下さい」
 朝凪町脳神経病院の集中治療室に入り、テツはぼくを抱き起こした。
「川瀬さん、今夜満月なんですよ、ほら、天空にあんなに大きな月が出てます、それにね、川瀬さん、今日はクリスマスイブなんです、呑気に寝てるときじゃないんです。川瀬さん、珠樹さんがあなたに会いたがってます。すぐに行ってあげて下さい。ETプロムナード出来たんで、川瀬さん、あれ乗って、ぼくが連れて行きます。恐らく普通のママチャリの何倍もうまく走ると思います。ひょっとしたら、ほんとに空だって飛べるかもしれません。珠樹さん、病院で弱ってるみたいです。ほんと危ないみたいです。川瀬さん、すぐ行ってあげて下さい」
 誰もいない深夜の病室でテツはぼくにそう言い、何も反応しないぼくを背中に背負った。
「オレね、川瀬さんに謝らないといけないんです。いままでいろんな試験飛行に付き合わせて失望させた上に、今度はこんなに大きなケガまでさせちゃって、でもね、川瀬さん、今夜こそ大丈夫、あんなに大きな青い青い月が出てますからね」
 朝凪町脳神経外科病院の通用口を、テツはぼくの大きな体を背負って外に出て、それから中空に浮かぶ満月を指さす。
「川瀬さん、ETプロムナード、ついに完成したんですよ、ほら、これです、川瀬さん、紀伊水道の見える丘に帰った珠樹さんが五十万置いていってくれたんです、川瀬さんのためにって置いていってくれたんです、それでね、前から欲しかったPW合金のフレーム作って、ついに完成したんですよ」
 テツはぼくを背負い、ETプロムナードを押してブタクサ公園のすべり台の頂上に上る。三ヶ月ほど前、テツがぼくを試験飛行に付き合わせて擦り傷を負わせたあの公園だ。
「今度は大丈夫ですよ、川瀬さん。ETプロムナード、ちゃんと完成しましたからね」
 テツはぼくを三ヶ月前と同じように剛板の前カゴに乗せ、それからペダルに片足をかける。呪文のようなことをむにゃむにゃ言ったあと、背筋を伸ばして大きく息を吐く。
 不思議なことに、あの三ヶ月前の手製滑走路がまだ残っている。雑草が生え、下に敷いた古タイヤやチャリンコの部品はあらかたはみ出しているが、それでも月明かりの中、ずっと下まで一本の滑走路が白く光っている。
「川瀬さん、月は出ていますか?今夜は満月ですか?・・・・・・いままでは飛ぼうとしたらいつも雨だったけど、今日は大丈夫ですか?大丈夫ですよね、行きますよ、川瀬さん」
 テツの踏みだしで車体全体がぐっと前のめりになり、急降下しはじめる。ブタクサ公園の小山の上のすべり台から白く細い一本の道を下り、激しく地面に叩きつけられる、そうなるはずだったが、地上すれすれのところでETプロムナードはフワッと、まるで大カモメの処女飛行のように飛び上がった。
 ゆっくりふわふわと舞い上がっていく。ブタクサ公園から自動車教習所のコース、その横のひび割れたスタンドの甲子園競輪場、そのバンクの楕円形が真上から見える。甲子園球場の蔦に覆われたアルプススタンドが夜陰の中に浮かび、白線に囲まれた内野ダイヤモンドも上空から手に取るように見える。
「川瀬さん、見えますか、甲子園競輪場に甲子園球場、はっきり見えますねえ、どうしてこんなに明るさに差があるんだって、川瀬さん、いつも文句言ってましたよね、今日はこんなに大きな満月に照らされてどっちもはっきり見えますね、ぼくにとっても思い出の甲子園球場です。投げたかったなあ、あのとき、ストライクを。ど真ん中のストライクを投げたかったなあ。・・・武庫川大橋越えて、・・・一個しかないセンタープールがあって、・・・ごみだらけの猪名川が淀んでいて、・・・あっ、新幹線の高架の陰に、十三のわにさん児童公園も見えます、段ボール生活のおじさんたちがこっち見て驚いてます、ざまあ見ろですね、いつも変なゴミをぼくらの小屋に投げつけてきやがって、それにしてもママ屋のバラック小屋、やっぱり汚いですね、川瀬さん、このETプロムナードで儲けたらいい店建てて下さいね、日本一のチャリンコ屋にして下さいね、あ、川瀬さん、ETプロムナード、どんどんどんどん上にあがっていきます・・・」
 テツはぼくの背中にやかましいほど語りかける。ETプロムナードはさらに高く舞い上がり、鳴滝村の泉の沼、まだ見ぬ石狩の風の街、大きな大きな満月の向こうには、ETのふるさとグリーン・プラネットまではっきり見えた。

 甲子園球場の木々にセミの鳴き声が響き始める。甲子園駅に入ってくる阪神電車独特のオレンジ色が、陽炎にゆらめいて見える。駅前バスターミナルのコンクリートの照り返しと、球場へ向かう群衆の人いきれと、外壁一面の蔦に群がるセミの声が混じり合って、クラクラする夏を演じる。
 阪神高速の高架が、まるで神聖な場所を示す鳥居のように、球場前面にかかり、その高架の陰を抜けると、一枚に一文字、太いゴシック体で書かれた看板の取り付け工事が始められている。
 ーーー第八十七回全国高等学校野球選手権大会
 今年も夏になった。相変わらず甲子園球場のその健康さをまるで日光を避けるモグラのように避けながら、壁づたいに歩く一団がいる。競輪新聞を持ったオヤジたちだ。
 四月の市議会で廃止が本決まりとなり、甲子園競輪場はいよいよこれが最後の開催となった。あと三日で五十三年の歴史に幕が下りる。クラックの入ったメインスタンドには、もう取り壊しのための足場が設置されている。
「B級の決勝、川瀬達造が出とるやないか」ホームスタンドの金網の前で一人のオヤジが出走表を見て、隣りのオヤジに話しかける。
 この最終開催はそれでも驚くほど客が入っている。いつもゴミだけが舞い上がる三階席や、まともに西日を浴びる一センター立ち見席にまで人がいる。そんなに大勢来れるんやったら、もっと早うから来んかいと言いたくなる。

 昏睡から醒めたとき、ぼくは朝凪町脳神経病院の管理病棟にいた。
 かすかに目を開けると、そばにいた看護婦が驚いて医者を呼びに行った。
「三ヶ月間もよく寝てたわねえ」
 医者や検査技師が処置をして帰ったあと、看護婦が笑いながら言う。
「最初の一週間なんて、あなた生死の境さまよったのよ。脈動は薄れていくし、瞳孔反応も弱いし、自呼吸だって何度か止まったのよ」
 看護婦はそう言いながらカーテンを開ける。
「この寝間着は?」
 ぼくは自分がまとっている知らない白地の胴着を見る。
「集中治療室でちょっと目を離した隙に、あなた出て行ったみたいなの、不思議なんだけど、きった誰かが連れ出したんだと思う。夜中に騒ぎになって、得体の知れない背丈の小さい怪物見たって訳の分からないことを言って騒ぐ患者さんもいるし、だいたいここの病院はここのおかしな人が多いからね」
 看護婦は自分の頭を指さして声をひそめる。
「ほんと夜じゅう大変だったんだから。明け方になって、あなた病院の前に意識不明のまま倒れてたの。寝間着泥だらけのまま。それから三日間、川瀬さん、ほんと危なかったのよ」
 退院して十三ワニさん公園に戻ってみると、ママ屋のバラック小屋の戸が外れて倒れていた。中のタイヤやリムやチェーンなどのチャリンコの古い部品は雨水と泥をかぶってそこらじゅうに散乱している。小屋の周りにはよもぎやペンペン草が生え、トタン板の軒先には蜘蛛の巣が張り、雨だれの箇所は赤さびになっている。倒れた引き戸の横には鉢植え、たぶん珠樹の持ってきたゼラニウムの鉢植えが転がっていて、枯れたゼラニウムの茎の部分だけが見える。
 ママ屋のバンも後ろ扉が外れたまま止まっていて、やっぱり泥水とほこりにまみれている。「チャリンコ・ママ屋」の車体レタリングはペンキが剥げて「 ンコ 屋」になっていたが、いまはその「ンコ屋」の字すら読めなくなっている。ミラーやライトはたぶん盗まれたんだろう、むしり取られたようになっている。
 もう一度、小屋の中に入ってみると、テツがいつも使っていた欠けたコーヒーカップの下にメモ用紙があった。割合新しい筆跡で「ちゃりんこダビデ 川瀬達造」と書かれている。風に飛ばされないようにコーヒーカップを重しにしていて、まるで書き置きのように見える。ぼくはカップの重しを外して、そのメモ用紙をそっと胸ポケットにしまった。
 テツはどこ行ったんだろう。まさかETとして宇宙船に乗ってグリーンプラネットに帰った訳じゃあるまいし。
 ぼくはママ屋の部品購入先や、テツがいつもバンで回っていた団地や、ひょっとして“予想屋”やっるんじゃないかと思って開催中の競艇場や競馬場近辺も見てみた。猪名川や淀川の川沿いを歩くときは、ひょっとしてこんな所で行き倒れになってるんじゃないだろうなと葦原の中まで探ってみた。
 淀川署に行方不明者の届けを出しに行ったら「住所不定の人は行方不明にはならないんです、元々不明の人が不明になっても、こりゃ自家撞着ですからね、ははは、自家撞着届けにします?」などと訳の分からないことを言われる。それでも頼んで何体かの無縁仏の写真も見せてもらった。淀川署管内は浮浪者が多いことでも有名で、工場地帯を流れる川や、雑草の生い茂る埋め立て地も数多くあり、身元不明の死体は多いらしい。でもテツらしい人間はいなかった。
 ときどきまたフラッシュバックが起こる。
「このチャリンコがあれば絶対大丈夫ですよ、川瀬さん。もう一度あのサンノゼヒルズの山おろしをかけられます」
 あの満月飛行の中、テツは後ろでペダルを漕ぎながらそんなことを言っていた。
「あと、珠樹さん、幸せにしてあげて下さいね、川瀬さん」
「・・・・・・」
「珠樹さんはあんな風だから、人に誤解されたりするけど、一途に川瀬さんのことを思っています。和歌山の紀伊水道の見える丘に行って、連れ帰って、そして大事にしてあげて下さい」
 テツは相変わらず大きな声を出していたが、風がきつくてぼくにはよく聞こえなかった。

 場内の喧噪の中、敢闘門と呼ばれる入場ゲートで一礼して、サドルにまたがり、スタート位置まで向かう。ほんとにB級決勝の時間で、こんなに場内が騒然としているのは初めてのことだ。
「何やて?」と話しかけられたオヤジも、選手入場に伴う場内のざわつきで相手の声がよく聞こえない。
「川瀬達造や。ほれ、B級まで落ちても鳴かず跳ばずで、二年ぐらい前は落車事故で長い間、意識不明になったいう噂やったやないか」
「おお、川瀬コロ造か。奇跡の生還とか、ちょっとの間、話題になったけど、どうせ、また一当たりされて転んで終わりやろ」
「そやけど、去年のアテネ・オリンピックには出たんやなあ、こいつが。ロス五輪出場から二十年ぶりやで。二十年ぶり奇跡のオリンピックカンバックとか言われて、・・・四十歳やで、四十歳の、それもB級所属のオリンピック選手やで」
「いや、あれは国内予選のときの自転車に不正があったというもっぱらの評判やった。なんせ勝負所で自転車がまるで空中飛ぶように走り出すんやから。川瀬のあの脚で、あんなスピードが出るわけがない、いや、ワシはちゃんと見た、琵琶湖競輪場の国内最終予選のとき、こいつの自転車、タイヤがバンクから浮いとった。ほんまやて」
 テツがいなくなってもう二年になる。残されたゼラニウムの鉢植えはうちのアパートにある。誰が水をやる訳でもないのに、夏になると、いつも紅色の大輪を開かせている。
「こらボケカス・コロ造、今日も転んだら、お前の家に火つけるぞ」
 スタート位置について気合いを入れていると、客からいつもの小汚いヤジが飛んでくる。競輪場の最終開催になっても、オリンピック奇跡の復活出場を果たしても、このヤジの品のなさは変わらない。樹脂加工されたグレーのバンクに夏の真昼の太陽が照りつけている。B級決勝はどうしてこんなに炎天下の時間になるのだろうか。いつも情けない気持ちになる。
 渡辺珠樹からもその後いっさい連絡がない。紀伊水道の見える丘の上にいると聞いたが、それすらもはっきりしない。また十年経てば会えるだろうか。
「あなたが絶望の淵にあるとき、神はあなたのそばにいます」
 意識を覚醒してから一年半、ぼくは不思議に飲んだくれにもならなかったし、賭け事にも身を染めなかった。つらいときはチャリンコを漕いだ。必死に武庫川の河原を漕いだ。「ぼくは競輪が好きだ。一生自転車を漕いで生きていきたい」と呟きながら、仁川や宝塚の坂を上った。
 そのせいか、この決勝戦に勝てば最低のB級二班から一班に上がれるところまできた。ほんとに久々の昇級である。
「かまえて!」
 ピストルを持ったスターターが大きな号令を掛ける。ドロップしたハンドルに手を掛けて、息を吸い込んで気合いを入れたとき、「ストラーイク!」という周りを圧する大きな声がした。兵藤清之助だった。金網の向こう、清之助はグレーの薄汚れた半袖シャツの上に、おそらく審判用だろうの紺の帽子をかぶったまま、右手を直立させていた。
 ぼくがチラッとそっちを見ると、清之助はニッと笑う。あれでも応援に来ているつもりだろうか。スサノオ神社のさびれたアンパイヤ・センターもいつのまにか撤去されている。清之助はどうやって暮らしているんだろう。
「甲子園球場の銀杏並木にとまるヒグラシの声がかまびすしく届いてきております。初夏を彩る甲子園競輪場開設記念、その露払いとなりますB級決勝戦であります。残念ながら五十二回続いたこの開設記念も今年で最後となります。さあ、ジャンが鳴って残り一周半、長年甲子園競輪を支えて下さったファンのみなさまへの感謝をこめて、B級の選手たちも渾身の走りを見せております」
 場内実況のアナウンスがいつも以上に高揚したトーンで聞こえてくる。
「あ、赤のユニフォームに身を包んだ三番車・川瀬達造、昨年のアテネに二十年ぶりのオリンピック出場を果たし、奇跡だ、まやかしだ、出来レースだと様々に騒がれた、その川瀬達造がラインの最後方から珍しくまくりをかけていきます。どうしたんでしょう。人が変わったように今日はやる気を見せています。おーっと、ジャンのあと、最終ホームでグングンと上昇していきます」
「しかるのち精神は自らの直接態である意識に進んでいかねばならない。美しき人倫的生活を廃棄して自己自身の知に行きつかねばならない」
 ぼくはペダルを踏み上げながら、ヘーゲルを呟く。こんな選手がほかにおるか。お前ら野卑な競輪選手とはペダル踏む教養の度合いが違うんじゃ。ぼくはまくりをかけながらなおもブツブツ言う。
「あっと、川瀬達三、先行選手の番手につけたマーク屋から一発張られました。あ、川瀬、グラついています。あ、危ない。川瀬、自転車が揺れています。あ、落車です、川瀬、また得意技が出てしまいました。アテネに行ってきても何も変わっていません。ああ、川瀬達造、またしても落車です」
 場内アナウンサーの悲鳴が聞こえてくる。
「アホ、ボケ、カス」の大ブーイングの中、ぼくは担架に乗って引き上げる。
「クソー、お前らみたいな昼間っから酒飲んで車券買ってるような、そんな反社会的掃き溜オヤジからアホ呼ばわりされるいわれはなーい」
 ぼくはわざわざ首を起こし、担架から落ちそうになるほど身を乗り出して、客に反論する。ケガはしていても口は自分でも驚くほど滑らかだ。
 首筋にはびっしり汗が滲んでいる。また甲子園の夏だ。

                               (了)
戻る | 目次へ
Copyright (c) 2011 乗峯栄一 All rights reserved.
 

-Powered by 小説HTMLの小人さん-

inserted by FC2 system