ちゃりんこダビデ

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  第9章  


 大阪十三に帰ってからぼくは近くの図書館に出向いた。図書館なんてほんとに久しぶりだ。十三駅で阪急の駅員に場所を聞くと、「あそこのくすんだビルでしょう」と駅の北の方を示す。駅員の指したビルは淀川職安だ。淀川職安なら何度か行ったことがある。万が一のためだ。万が一、競輪選手やめたらどんな仕事があるのかなあと、ほんの参考までにちょろっと覗いた。でもだめだった。ろくな仕事はない。すっかり落ち込んでうなだれて帰った。いや、そんな話じゃない。とにかく図書館と職安は全然違う。当たり前だ。同じように書類や雑誌はいっぱいあるけど、まるっきり別な所だ。そんな違いも分からんのか、阪急駅員は。まったく、話にならん。
 仕方なく駅南の淀川区役所に行ってみると入り口脇に淀川区の掲示地図があった。住民票や印鑑証明を取りに中に入っていく区民たちの横でポカンと口開けて見上げていると、あった。「これかあ」と指を差すが、掲示板が高すぎて届かない。しかしまあ、これは淀川かわっぷちだ。何かにつけて最近は川と縁があるなあ。
 もう一度駅の方に戻ってきて、繁華街に入る。夜になると電飾が無駄に明るく光っていて風俗店しかないように思える栄町通りだが、昼間歩くとごく普通の飲食街だ。その栄町通りからラブホテル街の新北野通りを抜けて、淀川堤防にぶちあたる手前、自転車が数十台も通りにはみだした三階建てのビルにたどり着く。門柱に淀川図書館と書いてある。
 資料室という部屋があったので「昭和六十二年当時の古い新聞や週刊誌などはないか、和歌山で集団焼身自殺のあった“オーデンセの会”のことを調べたい」と聞いてみる。
 競輪選手で図書館に通うやつはまずいない。図書館の存在すら知らない選手だって多い。やつらが知っているのは焼き肉屋の場所と、イメクラ・ヘルスのシステムと、あと前検日に指摘されたときのクランクシャフトの直し方ぐらいのものだ。
“知的競輪選手”という言葉が頭の中で渦巻く。でもその淀川図書館の係員は「知的ですねえ」とか、そんなことは言わない。そんなことは言わずにジャージ姿のぼくを上から下まで眺める。何だ、図書館にジャージで来ちゃいけないのか。
「古いですねえ、こんな昔の新聞あるかなあ」などとそのおばちゃん、小首を傾げ、メガネの縁を上げながら言う。
 もう少し人を誉めるということを勉強しろ、図書館職員なら少しは本読んでるんだろ、それぐらい分からんか。五つ誉めて、三つ誉めてとかあの良寛和尚がそんなこと言ってたとかいうじゃないか。五つ誉めて、三つ誉めて、さらに二つ誉めれば、それはあんた、いくら何でも誉めすぎやろとか、よく分からんけど、まあそういう類いのことを良寛和尚が言ったとかいうような話やないか。
 でもぶつくさ言っていると、おばちゃん、書庫から新聞やら雑誌やらの資料を両手に抱えきれないぐらい持って出て来てくれた。何やかやといったって、結構親切なんじゃないか。初めから親切さを表に出せばいいのに。
 しかし市立図書館なんてと甘く見てはいけないことが分かった。和歌山の地元紙もあったし、サキの言う通り当時はセンセーショナルな事件だったらしく、全国的週刊誌にも関連記事が何週にも渡って出ていた。
 概要は次のようなことだ。

「オーデンセの会」は出家信者十人、在家信者二十人ほどのごく小さな集団だった。
 和歌山県東部の近隣の町から集まってきていた出家者たちは、鳴滝村のごく普通の民家に集団生活し、朝になると役場や近隣の工場などに勤めに出て、夕方には帰宅する。年に一度、クリスマスの夜に近所の子供たちを呼んでページェントと呼ばれる催しをする以外はほとんど派手な活動はしない。不特定の人に向けて勧誘行動をすることもない。近所のバザーや清掃活動などボランティアにも積極的に参加するし、門の前に看板を掲げたり屋根の上に十字架を立てるわけでもない。人口三千人の山あいの小さな集落・鳴滝村でも、その民家が新興宗教の本部であることを知る者はほとんどいなかった。
 オーデンセというのはアンデルセンが生まれたデンマークの街の名前である。
 キリスト教系の宗派の中にはイエス・キリストそのものではなく、伝導使徒やのちの信仰聖者を祖と仰ぐものは少なくない。聖パウロの会や聖ヨハネ教会はもとより、四世紀に異端とされたアリウス派の流れを汲むもの、五世紀のベネディクトを祖とするベネディクト修道院や、空中浮遊したことで知られる十三世紀フランチェスカを祖とする聖フランチェスカ教会、いわゆる聖職者でなくとも三位一体を唱えた哲学者アウグスティヌスを祖とするアウクズティヌス三位一体の会とか、十三世紀の宗教哲学者トマス・アクィナスを祖とする会派、十六世紀の民間の超能力者を祖と仰ぐ聖女テレジアの会、その他降霊媒体や霊能を主張したDD・ホームやアイリーン・ギャレットなどを祖と仰ぐ(ここまで来るとキリスト教系であるかどうかすら定かでないが)集団などその数は枚挙にいとまがない。しかしアンデルセンという文学者(彼が敬虔なクリスチャンであったことは間違いないが)を祖とするキリスト教系新興集団というのはいまだかつて例のないことだった。
 アンデルセンの作品にはキリスト教的思想が深く表れている。

 おさな児のたよりない身を、あなたは母の手に抱いて
 わたしの唇に〈神さま〉とつぶやくことを教えてくれました
 わたしはあなたの胸から命と愛情を吸い
 あなたはわたしに主の御心を知ることを教えてくれました

 これはアンデルセンが作家として生活し始めたまだ二十歳そこそこの頃に作った「わたしの母に」と題した詩の一節である。「オーデンセの会」では毎朝、毎晩、出家者全員集まってこの一節を唱和していた。神とイエスへの信仰は終生アンデルセンの作品を貫いたテーマで、オーデンセの会でもそこを根本教義として戴いていた。
 アンデルセン童話といえばメルヘンやらファンタジーの世界というイメージが強いが、じっくり読んでみるとそういう一元的な文学でないことが分かる。
 たとえばよく指摘される死の昇華である。「マッチ売りの少女」を代表として「ある母親の物語」「モミの木」「天使」「氷姫」「幸運なペーア」などアンデルセン童話には幼い子供、それも特に少女が不幸な死を迎えるという物語が多い。「人魚姫」も最後は王子に失恋した人魚姫が身を投げるところで終わる。これをどう読み解くべきか。後世の文芸評論家、宗教学者、精神分析医など様々な方面から意見が出ているが、キリスト教で言う夭折者の天国への召還、天使の黙契と言われるものを意味しているというのが最も支配的である。
「オーデンセの会」は学校用務員をしていた教祖・萩原作治が五十代半ばになって突然「啓示を得た」と周りに言い始め、いわば思いつきのようにして出来た教団である。系統立った教義などなかったが、中心にはいつもこのアンデルセン作品を通底する「夭折の黙契」があった。教典も教本も説法集すらなく、極端に言えば、ただ清らかなまま天国へというような雰囲気だけによって成り立った教団だった。
 同じく死ぬことを教義の中心においた宗教団体には、昭和初期に世間を騒がせた日蓮宗系会派・死のう団があるが、「オーデンセの会」は死のう団の激烈なアピール性とは対極にあった。ひっそりとストーブに手をかざしながら「雪の降る夜に大好きだった天国のおばあさんに迎えに来てもらって」「うん、迎えに来てもらって」「死ねたらいいね」「そうだね、死ねたらいいね」と意味もなく同調して微笑むような、そんな集団である。しかしその曖昧さと、“アンデルセン”と“夭折”と“聖書”だけという単純さが近隣の一部の女性を惹きつけた。そしてそれは同時に教団の悲劇的結末も宿命づけていた。
 信者たち以外にはほとんど知られることはなかったが、「オーデンセの会」には“神の人魚”と呼ばれる若い女性信者が六人いた。アンデルセンの代表作の一つ「人魚姫」にあやかったものだ。「人魚姫」では海底の汚れを知らぬ人魚の国に六人の美しく清らかな王女がいたという設定があり、それを模したと言われている。さらに教祖・荻原作治も、死が近づき、言うことも脈絡を得なくなってからは、自分のことをさかんに「海底の王」と称していたらしい。
 萩原は、険阻な紀伊山地に貼りつくように生き延びてきた鳴滝村に生まれ、育った。林業とみかん栽培だけの村で一生を送ってきた男が、どこがどうすれば海底の王なのか、誰もが首を傾げる命名だが、萩原は誰かが見舞いに来ると急に覚醒して上体を起こした。
「海の底には何も生えていないで、ただ白い砂地だけだろうなどと思ってはいけませんよ」と見舞い者をじっと見て言う。
「え、あ・・・・・・」
 見舞い者はどぎまぎして絶句する。
「海の底の一番深いところに人魚の王様のお城が建っているのです。お城の壁はサンゴで築いてあり、上のとがった高い窓は透き通ったコハクでできています。屋根は貝殻でふいてありましたが、それが水の動くのにつれて開いたり閉じたりする様子はまったく見事なものでした。なぜならその貝殻の一つ一つにはきらきら光る真珠が入っているのですから」
 萩原は宝石の形やきらきら光る様子などを両手で示しながら話し続ける。明日をも知れぬと言われた病状なのに、海底のお城を説明する下りはまるで児童会の紙芝居朗読のようにスラスラ出てくる。普通の意識はなくなっても条件反射というものなのだろう。長年擦り切れるほど読んだ「アンデルセン全集」のおかげだ。
 見舞い者はただ呆気に取られて萩原の様子を見る。
「その貝殻の一つ一つには、きらきら光る、きらきら光る、きらきら光る真珠が入っているのですから」
 見舞い者の反応がないとみるや、萩原は“きらきら光る”の部分を三度、それも段々強調を強め、両手を漸増的にグリグリさせて“きらきら”を示しながら繰り返す。
 見舞い者は、意識も朦朧としていると聞いていた萩原の執拗な念押しに驚く。でも「何ですか、そのきらきらって?」と聞き返す訳にはいかない。相手は既に正常な意識はないのだ。正常な意識のない執拗な念押し男、・・・・・・事態は複雑だ。
「あ、はあ、・・・・・・ですよねえ」
 何か相づち打たないといけないんだろうなどと考えて、意味の分からないことを言う。「何が“ですよねえ”なのか言ってみろ」と言われたら、さらに言葉に窮する。でもこんなことぐらいしか言葉を思いつかない。
 それを聞いた萩原は見舞い者の顔をじっと見て、そのあと急に首をがっくり落とす。
「このお城に住まっている人魚の王様はもう何年も前からやもめ暮らしをしていたのです。美しい六人の人魚姫は、王様の年取ったお母様がいっさいの面倒をみていたのです。人魚の王様は寂しかった」
 萩原はそう呟いてうなだれる。見ると、萩原の頬には涙が一筋つたっている。
 慌てるのは見舞い者だ。その萩原の様子にオロオロするばかりだ。
 萩原の看病をしている“人魚”たちも慌てて「先生、やもめでも王様は王様なんですから」と慰めなのかどうなのか分からない意味不明の言葉を吐きながら萩原を横にして、休むようにすすめる。そうすると萩原は何事もなかったように長時間の昏睡に入る。
 そんなことの繰り返しだった。
 アンデルセンの作品は、その名と共に想起される慈しみや暖かみのイメージとは裏腹に深く沈んだ人間の暗部のようなものをはらんでいる。それと同様に教団「オーデンセの会」もそのメルヘンチックな命名とは裏腹に奇っ怪なしきたりを持っていた。「神の人魚」の存在はその際たるものである。
 教祖・萩原作治が突然「啓示を受けた」と言い始めると、驚いた萩原の妻子は隣町の実家に戻っていった。萩原はそれまで住んでいた村民住宅を出て、鳴滝村の外れの空き家になった古い民家を借りて一人暮らしを始める。「啓示を受けた」「教団を作った」と言っても急に信者が出来るわけはない。萩原はそれまでも用務員をしながら片手間に近隣地区を回る“拝み屋”をやっていたが、“啓示”と共にその業に専念するようになった。
 和歌山東部、紀伊山地の山あいに生き延びてきた村々には昔から“拝み屋”がいた。紀伊山地には古来より吉野・大峰山や熊野三山に代表される山岳信仰、のちに修験道と呼ばれるものの伝統があった。弘法大師が紀伊山地の北端・高野山に霊場を開いたのも、もともとこの地にあった民間山岳信仰に真言密教の神秘性が融合しやすいという思惑があったからだ。以来修験道は真言密教の修行として宗教的輪郭を得ることになるが、“拝み屋”はもともと土着的・民俗的風習から来ているから、別に僧侶の業とはならない。僧侶とも山伏とも神官とも違う、半聖半俗のごった煮的な風貌を許されていた。
 修験道を業とする山伏は下界へ下りると、病人の家に行って山草を主とする独自の薬を調合し、加持祈祷をし快癒安寧を祈った。これが拝み屋の発祥である。また拝み屋は乞われれば人が死んだあとの鎮魂の懺法(せんぽう)を行い、魂呼ばいや招霊のまじないもした。坊主も神主も医者もまじない師も兼ねた怪しい職種である。
 萩原作治はもともとこの拝み屋の家系だった。それもエホバの神などという言葉を口にし、庭先には観音像と聖母マリア像が並んでいるというような正体不明の拝み屋の家系である(拝み屋本来の持つ猥雑性からみればそれも許されることだった)。
 医療制度や葬儀所の普及にともなって山間の町でもだんだん拝み屋は不要とされていったが、用務員の仕事明けの日、萩原は細々と乞われる民家に出向いていた。リヤカーに黒板と座布団と結界標縄(しめなわ)と竜神鉦(しょう)、それに家族全員に読ませるための聖書十数冊という意味不明の装備を積んで家々を回っていた。
 しかし「啓示」を受け、自らすすんで拝み屋専業となってからは、萩原はリヤカーを廃止した。肩から掛けた大きな麻袋に聖書とアンデルセン童話集だけを入れて持ち歩いた。“アンデルセンの拝み屋”である。まるでハーメルンの笛吹男のように、ボロボロの服装と異様に大きい麻袋を持って街をうろつくので、町民からはさらに一層訝しがられることになる。
 しかし数年経つとぽつりぽつりと信者が出来るようになる。萩原はそれら数少ない信者に出家を勧め、自分が住んでいる民家に住まわせるようになり、特に若い女性については「神の人魚」という特別な呼び方をして別扱いした。これも萩原を知る近隣住民には疑いを呼ぶことになる。
「萩原のおっさんよ、嫁はんと子供が出て行ってから、訳の分からんまじないみたいなことを言うて若い女をひっぱり込んどるがや、あの貧相なおっさんが色ボケかい、啓示を受けたとか、教団作ったとか言うちょるけど、ありゃたぶらかしやど、ただの女たらしやしよ」とひそひそと噂されるようになる。
 神の人魚は六人いた。これも「このお城に住まっている人魚の王様はもう何年も前からやもめ暮らしをしておいででした」「姫はみなで六人で、どれもきれいなかたばかりでしたが、わけても末の娘は一番きれいでした」というアンデルセンの「人魚姫」の内容に対応している。偶然「人魚姫」と同じになったのではなく、教祖が無理矢理「人魚姫」のシチュエーシェンに持っていった。
 しかし白蓮河原の焼死体は五体であった。人魚姫というのは、アンデルセンの「人魚姫」の作品でも六人だし、鳴滝村オーデンセの会でも「六人いた」と証言されているのに、白蓮河原の焼死体は五体であった。現場検証に当たった和歌山北署もここに注目した。

「オーデンセの会」の教祖・萩原作治が病死したのは昭和六十二年十二月十七日の夕方だった。
 在家信者たちは息を引き取った教祖の遺体のまわりに集まって一夜を明かす。話し声はほとんどない。静かな通夜だったが、明け方、みなが眠くなってうつらうつらし始めたとき、信者の一人が教祖の周りに座っていた“人魚”六人の姿が見えないのに気づく。
「ちょっと起きてみやぃ。あの人たちの姿が見えはらへんやしよ」
 驚いた信者は隣で寝入っていた一人を揺り起こす。いつものように“人魚”には敬語を使う。
「どないしたことや、誰か外さがしてくれやんか」
 不吉な予感にかられて信者が一斉に外へ出る。
 本部前の空き地は前夜から降り出した雪にうっすらと覆われていた。その空き地にいつも止めてあるワゴン車が消え、車の出発を示すわだちだけが残っていた。在家信者たちの間に不安な気持ちが広がった。
「お母さん、大事なものが入っちぁあるから預かっとらいて」
“神の人魚”の一人相場奈美は、教祖が危篤状態に陥り、いよいよだめかという死亡前日、十キロほど離れた隣町・宮下町の実家に一個のボストンバッグを預けていた。彼女の両親は数少ない「オーデンセの会」の在家信者だった。
「一週間したら取りに来らしよ」と奈美は言っていたが、二日後には他の四人と共に奈美も白蓮河原で灰となった。
 悲しみの中で両親がボストンバッグを開けてみると、中には六人がこれまでに貯めた三百万の現金と共に“神の人魚”のリーダーであった赤木雪絵の手紙が入っていた。
「この三百万円を先生およびわたしたちの葬儀費に使ってください」
 十二月十七日に教祖が亡くなり、翌十八日の早朝、紀ノ川白蓮河原で五人の焼身自殺があり、二十日には教祖と五人の神の人魚の葬儀を合同でとり行うことになる。
 泉の沼のほとり、「オーデンセの会」というつつましい札のかかった丸太小屋の教会本部の前で、焼死した教祖と五人の女性の質素な旅立ちの会が営まれた。
 集団自殺の日から三日間吹き下ろした高野おろしは、せせらぎ龍神川の流れる静かな鳴滝村を銀世界に変えていた。風に舞い上げられた白い飛沫が、まるで夏の噴水のように、黒い葬列にかかる。
「おまえたちが十五になったらとおばあさんは言いました。そうしたら海の上に浮かび上がっていくのを許してあげますよ。そのときは岩の上にすわってお月様の光を浴びながら、そばを通る大きな船を見たり、森や町をながめたりすることができますよ」
 整然と並ぶ“神の人魚”の五つの柩を前に、遺族となったの相場奈美の両親は涙も見せず、アンデルセン「人魚姫」の一節を読み上げる。その一見葬式には場違いな朗読が“人魚”たちの異様な死に方を象徴しているように思えた。
「彼女たちは先生と一緒に清い心のままひとつになって天に帰られたのです。先生の教義は最終的に天に行くことが人生の目的だという教えなのですから」
 マスコミの取材に対し、“神の人魚”となった自分の娘に敬語を使いながら語る相場奈美の両親の言動は奇怪にみえた。
 だがこの日葬儀に参列した鳴滝村のクリーニング店主は言った。
「わたしは信者ではありませんが、教会の人たちがうちの店をよく利用してくださったので葬儀に参列しました。人前では泣かんようにしていた相場さんの両親でしたが、私が手を握ると思わず涙を流していました。親ですから、娘の死が悲しくないわけはないでしょう」
 クリーニング店主は帰りがけにあることを思い出したようで、わたしたち取材者のところに戻ってきた。
「そういえばあの焼身自殺のあった三日前、信者のリーダー格だった赤木雪絵さんがクリーニングに出した衣類を受け取りに来ました。少女が着るようなフリルのついた衣装が五着でした。今年のクリスマスページェントで“人魚”たちが着るんだって言ってましたけどね、でもあの時は先生はもう瀕死の状態だったらしいじゃないですか。ほんとに今年もクリスマスページェントをやる気だったんですかね。・・・・・・ええ、マッチ売りの少女の衣装は前からあって、何度かクリーニングさせてもらいましたけど、今年は特に新調するんだとか言って、白い絹のブラウスに赤いサテンのエプロンがセットになっていて、とっても清楚なマッチ売りの少女の衣装でしたよ」
 黒こげの死体のそばに、焼け残った赤いサテンの切れ端が落ちていた。“人魚”たちは、そろいのマッチ売りの少女の衣装を着ていたのである。彼女たちには一週間早いクリスマスページェントを行った。師走の早朝、紀ノ川河原で自分たちを焼く炎は、最後のページェントのイルミネーションだったのだ。
 取材の帰り、わたしたちは白蓮河原に寄ってみた。しかし“人魚”たちが焼身自殺を遂げた河川敷には一輪の花もなかった。
 紀ノ川の深い流れの岸近くに“どう”と呼ばれるヤツメウナギを獲るワナの列が見えるだけだ。カゴ状のワナの黒い先端部がポツンポツンと水面から浮き上がっていて、紀ノ川を吹き渡るミゾレ混じりの風の中、それらはまるで“人魚”たちの死を悼む墓標のように見えた。
 事件直後、新聞や週刊誌など、マスメディアはこぞってこの奇怪な事件を報じたが、しかし何一つとして事件は明らかにならないままだった。年が変わり、春を迎え、鳴滝村の名所かすみ山桜が満開を迎えようとするいま、事件は人々の記憶から遠ざかろうとしている。

“神の人魚”の中の最年少で、結果的にただ一人生き残ることになったAさん(事件当時十八歳)は、報道陣の取材に答えて次のように話している。

 深夜一時頃だったでしょうか。先生が亡くなる前の日でした。“人魚”のリーダー赤木雪絵さんが突然、病院の廊下にいたわたしのところにやってきました。「ちょっと付いてきて」と耳打ちするのです。
 そのころ先生はもう危篤状態で、みんなが鳴滝村立病院に駆けつけて先生の容態を心配していたところだったので、こんな時間にどこへ行くんだろうとわたしは不思議な気がしました。
 ワゴン車で国道四十二号線を三十分ほど走って、雪絵さんは和歌山競輪場の裏に車を止めました。紀ノ川の広い河川敷の上に立って、雪絵さんは何も言わずじっと黒い川面を見ていました。
 いまから思えば、雪絵さんは以前から自分たちの焼身自殺の場所を探していて、あの紀ノ川の河原に当たりを付けていたんだと思います。間違っても火事にならないところで、人魚らしく水のほとりで、そして鳴滝村の山並みが臨めるところ、あとこれはまるっきりわたしの想像ですけど、鳴滝のような田舎じゃなくて、最後の最後ぐらい自分たちのことを世間に認めさせたいという意識もあったんじゃないでしょうか、とにかくそんなことで雪絵さんは和歌山市街地に近い白蓮河原を昇天の場所に決め、その晩はたぶん自分たちが“空気の精”に変わる場所を最終確認しに来たんだと思います。
「人魚の娘には不死の魂というものはありません。人間の愛を得なければ決してそれを持つことは出来ないのです」
 暗い川面を見ながら雪絵さんは「人魚姫」の最後の一番悲しい一節を口ずさんでいました。
 もうビュービュー冷たい風は吹くし、冬の紀ノ川はゴォーッという地響きのような低い唸りを上げているし、わたし何だかとても怖かったです。あの辺りは和歌山市内といっても外れの方だから、深夜になると北島大橋の上を走る車のライトと、海岸地区にある住金の煙突の赤色灯以外は何も明かりが見えないんです。
「あなた、あのガソリンスタンド行って灯油買ってきてくれる?」
 突然雪絵さんがわたしの方を振り返り、北島大橋の向こうにあるガソリン・スタンドを指さして言いました。
「ほら、あそこ、ESSOって書いてあるでしょ、明かりがついてるから二十四時間営業なんでしょ、ESSOは世界的石油会社だからいい灯油があるはずよ」
 世界的会社だからいい灯油があるだろうなんて変な言い方だなあと思いましたが、雪絵さんはニコリともせずそう言いました。
「雪絵さん、何に使うんですか、灯油なんて」
 わたしは訊き返しました。
 鳴滝村の教会本部は先生の意志でずっと薪ストーブだったんです。毎年冬が近づくと、みんなで龍神山の方に薪拾いに行くんです。それは教会のレクリエーションの一つにもなっていて、お弁当作って、けっこうみんな楽しみにしている行事だったぐらいなんです。去年の秋は先生が入院したりゴタゴタしていたから、在家の信者さんたちが中心だったんだけど、それでも沢山の薪を集めてきてくれて物置に積んでくれていたし、だから灯油買ってこいという言葉はとても不思議な気がしました。
「クリスマス・ページェントに使う小道具よ」
 雪絵さんは今度はにっこりして答えました。
 泉の沼のほとり、丸太小屋の教会本部前では、毎年近所の子供たち向けにクリスマス・イベントをします。丸太小屋から泉に向かってイルミネーションをほどこし、そこでページェントという、主イエス降臨の喜びを表すパフォーマンスをするのです。
 わたしが教会に入った頃から、クリスマス・ページェントは教会最大の年中行事として定着し、アンデルセン童話のものを下敷きに演じるようになりました。でも去年は先生があんな状態だったし、クリスマス・ページェントと聞いて、わたしは「え?今年もやるんですか?」と思わず聞き返してしまいました。
「やるわよ、いつも以上に可愛らしくて清楚なマッチ売りの少女よ」
 雪絵さんはそう言って、やっぱり笑っていました。
「アンデルセンの父は貧しい靴屋の職人だった上に三十三歳の若さで精神病で死んでいる。父の父も貧しい靴屋でやっぱり精神病で死んでいる。アンデルセンはいつも自分もいずれ発狂するのではないかとずっと怯えていた」
 先生はいつも口癖のようにそう言っていました。
 先生は元はわたしの通っていた中学校で用務員をしていた人です。聖書以外はほとんど本を読んだことがない人です。わたしは数年しか付き合いがないけど、それは断言できます。
「アンデルセンの母も貧しかった。貧しい靴屋のアンデルセンの父親よりもっと貧しかった。彼女はオーデンセ川の橋の下で生まれ、オーベルゲイド通りの下水溝の中で育ち、洗濯屋や染物屋の下働きをしながら行きずりの男とセックスしてカネをもらって生活した。アンデルセンのほんとうの父親は、庭番の下働きをしていたときの庭師の頭領だと言われている。乱れた性生活だ。もの心ついてからはずっとアル中で、アンデルセンの父親が気が狂って死んでからはさらに悪化して、最後はオーデンセの収容施設で震えながら死んだ」
 これもよく先生が言っていました。
 本は読んでなくても、聖書とアンデルセンについてはほんとによく知っていました。特にアンデルセンの父や母の悲惨な境遇については繰り返しわたしたちに言ってきかせるのです。この人、ほんとうにアンデルセンのことを敬愛してるんだろうかと疑いたくなるぐらいでした。アンデルセンの生い立ちの悲惨な話を、どうかしてると楽しんでるんじゃないかと思うぐらい、平気な顔でぺらぺら喋りました。
 中学生のときの思い出も色々あります。
 うちの中学では、クラスの給食当番になると用務員室にお茶をもらいに行くんです。用務員の萩原のおじさんが大釜から杓子でヤカンにお茶を入れてくれるんだけど、大釜の蓋を開けて湯気が顔に当たると、おじさん「あ、あつい」とオカマのようなか細い声を出すんです。そんな、もう何年もお茶沸かしやって毎日毎日各クラスに分けてるんだから、蓋開けりゃ湯気が当たるのは分かりそうなもんじゃないですか。でもおじさんは必ずそれをやるんです。で、そのあと横向いて作業着の胸のところで小さく十字切って「神のご加護がありますように」って呟くんです。
「あんた、毎日毎日お茶入れてんだろうが、神のご加護なんかなくたってサッサと入れんかい」って、ほんとわたし、給食当番のたびにブツブツ言ってたんです。
 でも毎回毎回お茶入れるたびに十字切って、そのあとチラッとこっち見るから、これって、ひょっとして何か聞いて欲しいんじゃないかなと思い始めたんです。で、ある給食当番のとき聞いたんです。
「用務員さんてクリスチャンなんですか?」
 そのときおじさんがチラッと見せた嬉しそうな顔は今でも忘れません。でも、おじさんはすぐに首を振って十字切った手を隠し、「それは聞かれたら困る」という身振りをするんです。
「何を言うちゃある、ははは、そんなクリスチャンやて、ははははは」
 そう言って笑って、でもそのあとアルミの杓子持ったまま、こっちにぐっと顔を近づけます。
「ここだけの話やけんどな、言われへんのや、オレは“隠れ”やさけの」
 あたりを憚るようにして小さな声を出します。“隠れキリシタン”だって言いたいんです。わたしだけではありません。あとで知ったけど、十字切りを見て「クリスチャンなんですか?」と聞いてきた生徒には全員に言ってたみたいです。“隠れキリシタンだったことをみんなに言いたかった”んです。そんな言葉、おじさんの考えてることがどうの、おじさんの性格がどうのという前に、文法的におかしいです。
 そんなよく分からない隠れキリシタンの用務員のおじさんが、あるとき中学校の図書館でアンデルセンを読んでから、狂ったようにアンデルセンに傾倒していったんです。
「アンデルセンは主イエス以来最大の隠れキリシタンだ」と猛烈に周りに言い始めました。なんでアンデルセンが隠れてなきゃいけないのか、さっぱり分からないけど、でも萩原のおじさんはそう繰り返し言ってました。
 おじさんは用務員のかたわらバレー部の顧問もしていたんだけど、レシーブ練習の球を打ち込むときでも「そんな球も取れんのか、スズの兵隊さんは片足なくしても泣かなかったぞ」とか「親指姫はヒキガエルのおっさんに会ったとき何と言われたと思う。コアックス、コアックス、ブレッケ、ケ、ケックスだ」とか、訳の分からないことを言って怒鳴るんです。「言ってみろ、コアックス、コアックス、ブレッケだ、言えんのか、この下手くそ、コアックス、コアックス、ブレッケ、ブレッケ、ケ、ケックスだ、そんなことだからレシーブもできやせんのじゃ、ヒキガエルに睨まれたときの親指姫を考えてみろ」って、ほんとヒキガエルのようにほっぺた膨らませながら怒鳴ってバレーボールを投げつけるんです。バレー部の子たち、みんな泣いてました。
 先生の先祖はお坊さんも神主さんもいなかった昔の開拓村・鳴滝で「拝み屋」と呼ばれる仕事をしていました。普段はみなと同じように開墾に従事したり、町に作物を持って行って売ったりしていても、死人が出ると、その弔いをしたり、法事の手配をしたり、正月にはみんなを代表して唱えごとをしたりする職種です。それが時代が下るとともに寺や神社が建ち、専門のお坊さんなどが村に入ってくる中で不要になり、逆に“キツネ憑き”などと呼ばれるようになったんです。
 先生のお父さんも、おじいさんも、アンデルセンと同じく、村人が言うところの精神病で死んだそうです。それもあってか、父も祖父も精神病で死に、売春婦あがりの母親もアル中で死んだというアンデルセンの境遇に先生はひどく共鳴していました。
 わたしはひそかに思ってました。何やかやといっても萩原先生はアンデルセンの作品そのものではなく、その境遇、生い立ちに一番心酔していたんです。
「ハンス・クリスチャン・アンデルセンの父親はハンスが生まれてすぐ、二十二歳のときにナポレオンに憧れ、志願兵として入隊した。しかしロシア転戦で体力と精神を疲弊させ、二年後に帰郷したときには精神を患っていて、数ヶ月のうちに死んだ。父親より十五歳も年上だった母親は白粉をはたき、赤い口紅を塗ってデンマーク・オーデンセの街頭に立った。結婚前に十年やっていたマッチ売りの娘だ。少女が売るはずのマッチを三十九のおばさんが売る。白い頭巾にチェックのロングスカート、その姿だけはおとぎ話の世界だが、その頭巾の下では三十九歳の売春婦が真っ赤な唇を舌で舐め上げる。こうや。“マッチはいかが、マッチを買ってくださいな”と言いながらな」
 先生は自分の舌をベロッて出して自分の唇を舐め回します。気色悪いです。
 先生は普段は物静かでしたが、在家信者などを集めて説教したあと、特にそれが自分として不満足な説教だったりしたあとなどは異様な興奮を示しました。
 そんなときはわたしたち“人魚”を相手によく激情を示しました。食事している最中に高揚して何か喚いたあとは、いつもきまってこのアンデルセンの数奇な境遇の話をします。それも途中から決まってアル中で、高齢になっても売春をしていたというアンデルセンのお母さんの話になり、それを話し終えると体全体がブルブル震えるぐらいさらに一層興奮した様子を見せます。
 敬愛する人のお母さんがアル中だったとか、売春をしていたとか、どうしてそんな話をいつもして、そして自分でそこまで興奮してしまうのか、わたしには理解できないことでした。
 鳴滝はその昔、龍神山の斜面を開拓して作った村です。標高が高く、クリスマスの頃には根雪が教会本部前の泉の沼の一帯を覆います。
 丸太小屋から泉までは五十メートルほどの距離ですが、白色灯に照らされた景色は、北欧の、ちょうどアンデルセンが「みにくいアヒルの子」の舞台に使った聖レギッセの森のようで(といってももちろんレギッセなんか行ったことはありません、先生の話の中で想像するだけです)とにかく幻想的なムードになります。
 でも去年は先生があんな状態だったし、誰もクリスマス・ページェントのことなんか口にしていません。それにページェントに使う灯油をこんな夜中に、それも行き当たりばったりのガソリンスタンドで、いくら世界的石油会社だからって、ESSOのスタンドなら鳴滝の近くにもあります、こんな時間に、こんなところで用意するなんて、どう考えても変です。
 わたしはそれでも寒風の吹き抜ける北島大橋を、二つのポリタンクを下げて往復しました。帰り道は満タンのポリタンクがびっくりするほど重く、ふと下を見ると、紀ノ川の水面は黒く、とぐろを巻くようにうねっているし、ほんとに怖かったです。
「今年はね、マッチの灯を驚くほどの高さにしようと思うの」
 ワゴン車の後ろドアを上げ、灯油の入ったポリタンクをそこに押し込んで整理しながら、雪絵さんが言います。
 ここ数年、わたしたちのページェントは決まって「マッチ売りの少女」でした。
「おそろしく寒い日です。雪が降っています。その上、あたりはもう暗くなりかけています。こんな寒い寒い街の通りを、みすぼらしい身なりをした、小さい女の子が一人、帽子もかぶらず、足ははだしで、とぼとぼと歩いています。少女はがんばりました。だって今日は遠い昔、イエス様がベツレヘムの馬小屋でお生まれになった日ですもの」
「神の人魚」たちがマッチ売りの少女になってマッチをすり、明るくなったところで、見に来ている近所の子供たちにお菓子を配るという趣向です。
「“マッチはいかが、マッチを買って下さいな”と亡くなったお母さんの形見のブカブカ靴を履いた哀れな少女が頼むの」
 雪絵さんはポリタンクの前でポーズをとりながら、自分の考えたページェントのセリフを言い始めました。
「クリスマスの夜の酔っ払いが、“マッチ?マッチ一本擦ったぐらいでどうなる、ウーイ!暖まるわけでもねえし、暗闇の向こうが見える訳でもねえ、ウーイ!そうじゃねえか、ねえちゃん”」
 雪絵さんはヘッドライトつけたワゴン車の前に立ち、酔っ払いまで演じてわたしにページェントの説明をします。そんな、子供相手のクリスマス・ページェントに酔っ払いなんか出していいんでしょうか。
「“この寒空のコペンハーゲンの暗い暗い街頭でマッチ?とんだお笑い草だ、へっへっへっへ”って酔っ払いは鼻で笑ってはねつける。“じゃあ一本だけ試しに擦ってみます、お願いです、一本だけマッチを擦るあいだ、ここにいて見ててください”って女の子が小さな声で哀願する。“ウーイ、一本だけだな、ほんとに一本だけだぞ、この寒空の街にいたら折角いい気分で飲んできた忘年会の酒が醒めちまわあ、ああ、ウーイ”」
 ヘッドライトの光の一部が“酔っ払い”の雪絵さんの横顔に当たり、その影が競輪場のスタンドの壁に大写しになってゆらゆらします。ワゴン車の後ろの真っ暗な闇からは紀ノ川の低く暗いゴォーという唸りが聞こえてくるし、わたし、とても恐ろしかったです。
 でも雪絵さんはそんなことは気にせず、どんどん酔っ払いと少女を演じていきます。わたし、不意に、萩原先生の家系の人が昔から言われていたという“キツネ憑き”という言葉を思い浮かべていました。
「“はい、一本だけです、いま火つけますから、そのままじっとしててください”って女の子が言って、シュッとマッチを擦ると、そのマッチの火は灯油のポリタンクにつながっているの。あの鳴滝の泉の沼を囲う冬枯れのクヌギの林が燃え上がってしまうかと思うほどの炎になるの。酔っ払いはただ泡食って“わわわわわ”って後ずさりする」
“酔っ払い”の雪絵さんは競輪場の方に堤防の上の道を後ろ向きに数歩退く。でも途中でぐっと止まって、今度は“マッチ売りの少女”になる。
「“マッチなめんじゃねえ!”突然マッチ売りの少女が低い声が轟く。コペンハーゲンの哀れな少女が最後の捨てゼリフ言うの。いいでしょ、このマッチ売りの少女の捨てゼリフ?アンデルセンだって目からウロコよ、きっと。驚く酔っ払いに火のついたマッチぐいと近づけながら、“マッチなめんじゃねえ”って。マッチ売りの少女がスカートまくって啖呵きるの。“お、お前は八百屋お七か”って泡食った酔っ払いが喚く。“心焦がす女にはマッチ一本が火あぶりなのよ”って少女はまたグイッて酔っ払いに近づく。“鈴ヶ森でわたしを火あぶりにした炎、今夜はコペンハーゲンの空高く上げてみせるぜ”って叫んで、マッチの炎がクヌギと同じ高さまで立ち上がるの。・・・・・・そういうクリスマス・ページェント、ね、ちょっといいでしょ?」
 雪絵さんがニヤッと笑って言いました。
 わたしには何がいいのか分かりません。ふだん冷静で知的な雪絵さんがただ異様に思えただけです。子供たち向けのクリスマス・ページェントで、八百屋お七っていうのは何なんでしょう、捨てゼリフや啖呵っていうのは何なんでしょう。
 いまから考えれば、雪絵さんはこの頃から既におかしくなっていたんだと思います。
 でもまさかクヌギの林が燃え上がってしまうほどのマッチの炎というのが、自分たちの身を焼く炎のことだったなんて、わたしには全然想像できませんでした。

 人魚姫は愛に裏切られながらも、そのことによってかえって愛というものに目ざめたと言われています。「王子を殺して帰っておいで」という人魚の姉たちの勧めを退けて、最後は神にすべてを委ね、海の中に身を投げて水中の泡になります。
 人魚姫は三百年の命を捨て、美しい声を潰してまで人間になって王子の元へ走り、でも結局は王子の愛を得ることが出来ずに終わります。王子の心臓を刺しその血を自分の足に塗ればまた元の人魚に戻れるという教えも拒否して、三百年間、水中の泡として漂うことを選びます。
 鳴滝村の“神の人魚”たちも泡になることを選びました。
 でもアンデルセンの人魚姫が王子の愛を得られなくて死んだとしたら、“神の人魚”たちもやっぱり失意の上の自殺だったんでしょうか。誰の愛でしょうか。得られなかったのは誰の愛だったんでしょう。やっぱり先生の愛でしょうか。よく分からないことです。わたしたちは先生を敬愛はしていましたけど、人魚姫の王子への愛とは違っていたと思うんです。でもそれはわたし一人だけだったんでしょうか。わたし一人だけが他の五人と違っていたから、それでわたしだけこの世に残されたということでしょうか。

 Aさんはわれわれ取材者に逆に尋ねるようにそう言い、それからぐっと唇を噛みしめて黙った。

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