ちゃりんこダビデ

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  第1章  

 夏の盛り、南甲子園一帯はすえたような蒸気が立ちこめる。甲子園球場を取り囲む凝視する瞳、歓喜あふれる野球若人の群れとは別に、その横をまるで昼寝中のライオンを避けるヌーの群れのようにすり抜けていく一団がいる。彼らは“蔦の絡まる青春”には見向きもせず、炎天下の日差しを避けて甲子園球場の壁づたいを忍者のごとく歩く。
 一団には際だった特徴がある。炎暑の時期だというのに、くすんだ灰色のシャツに茶色の作業ズボンを履いて、どういう訳か二人に一人は前歯が欠けている。手に手に新聞を握りしめ、一人で歩いていても何かしらブツブツ言っている。何か大事なことを言っているんだろうか、社会への不満だろうか、人生への慚愧だろうかと興味を持ってはいけない。「シュェッ、そやからワシはシュェッちゅうんじゃ」というような言葉しか聞けないから、近寄って耳を傾けてみてもあまり意味はない。
 一団は月見里公園と市営住宅の石垣の陰でときどき休息を取り、呼吸を整えると炎天の一区画を意を決したように歩き抜ける。目指す競輪場はもうすぐだ。
 言ってみれば、甲子園競輪場というのは、ヒマワリの大輪甲子園球場の影に咲くアワダチソウ、こぼれ落ちた高校球児の夢が風に吹かれて集まった吹き寄せだ。あちこちにクラックの入る老朽化したコンクリートのスタンドが炎天下の熱射に耐えている。西に傾いた日の光がそのメインスタンドの影をバンクに落とす。大阪湾芦屋浜から吹いてくる暖気の海風が、電光掲示板横の色あせた開催旗を揺らしている。
 そんな毎年の夏の風景の中にある日だった。
 最終レースが終わる。いつものように外れ車券と、破り捨てられた予想紙が無人のスタンドで浜風に舞い上がり、夕日に当たって夏の粉雪のようにキラキラ光る。
 客はゾロゾロと帰り口に向かう。しかしわずかに正面スタンドの一階、錆びた大屋根がせり出して巣窟のようになった場所だけは密集ができている。レース中、涼を求めて風の通るスタンド上方にいた客が、ヤジの届く場所に一斉に移動してきているのである。負けた腹いせに選手相手にせめて一声怒鳴り、ウサ晴らしをして帰ろうという魂胆である。
 競輪場、それも特に下級クラスのレースの幕引きでは、いつもイビツな客たちが主役を演じる。
 もちろんぼくは今日も精一杯ペダルを踏み上げた。プロ選手としてのポリシーだ。でも競輪という競技は一人でやるのではない。ここが重要なポイントだ。一緒に走る他の八人というのが、どれもこれも折りあらば勝ちたいと狙っている、これがやっかいだ。「みんながみんな、オレに勝たせたいと思って走るような、そんな競輪にならないか」とよく思う。
 言っておくが、ぼくは弱い選手ではない。遙か昔、ほんとにもう遠い昔の話になってしまったが、一九八四年のロサンゼルス・オリンピックには自転車競技日本代表として参加した。その前、実業団マキノ輪業に所属していた時代にはスプリント競技で国体三連覇した実績もある。
「確かに出たね、ロス・オリンピック、フフフ、まあ、大したことないけどね」
 ぼくはオリンピックのことに触れられるとそう答える。電車の中であろうが、着替え中の控え室であろうが、まずそう答える。人差し指を口の前に持ってきて「チュッ、チュッ」と舌打ちし、そのあと俯いて「ククク」と含み笑いして、ハニカミながら顔を上げてこのセリフを言う。
 一度レース中に隣りに寄ってきた選手から声を掛けられたことがある。
 甲子園競輪場のレースはバンクを五周回するが、このうち三周半までの間は、選手はただ来し方行く末の行状を思い巡らす達磨寺の禅僧のように、俯き、首を振りながらジリジリと周回を重ねる。選手には早めに一人スパートしても風圧を受けて必ず失速してしまうという思いがある。残り一周半で“ジャン”(合図の鐘)が鳴ると、それまで溜め込んでいたものを吐き出すように一気に動き出すのだ。
 しかしこの“ジリジリ周回”の間にもファンの見えないところで精神的な駆け引きが行われている。周回中、選手同士は話をしてはいけないことになっているが、独り言まで禁止されている訳ではない。選手はよくブツブツと言葉を発する。
「ロス五輪出たんですね、凄いですね」
 なにげなく横に並んだ選手がぼそぼそ言う。ハンドルを握り、自分の前輪のあたりを見たままである。
「う?」と思わずぼくは横を向く。
「ぼくもアマチュアの頃、目指したんですけどね、とてもとても高嶺の花でした、オリンピックなんて」
 その関東の若手選手は相変わらず下を見たままブツブツ言う。
 だいたいレース中に他の選手からそんなことを言われること自体おかしい。「何だ、こいつ、ヨイショして油断でもさせようというのか」とか「皮肉言ってこっちをカッカさせる気か」とか、警戒して当然の行為である。
 しかし気がついたら、ぼくはいつものごとくハンドルから片手を離して口元でチュッチュッをやっていた。「何かサインでも出していたんじゃないか」と、レース後、選手管理課からこっぴどく油を絞られた。
 このチュッチュッは一見オリンピックの話題は避けてくれというポーズにも見えるが、そういう単純なものではない。オリンピック・ネタを振ってきた相手には、ぼくは「今晩空いてるか」と誘うことにしている。甲子園北五番町あたりのお好み焼き屋に連れて行って、「オリンピック」と簡単に口にするそいつらに、真のオリンピックの苦難と深遠さについて教導することにしている。
 ああ「ロス・オリンピック」という言葉はぼくにとって今まで生きた証し、いわば剥き出しランドマーク、さらけ出された性感帯である。
 しかし競輪場に集まる灰色の客たちは、決してそんな他人の性感帯など気にしない。競輪ファンの競輪ファンたるゆえんは決して人を誉めないところにある。
「アホ、ボケ、カス、川瀬のコジキ、死んでまえ」
 川瀬というのはぼくの名だ。名前を呼び捨てにするだけならまだいい。甲子園競輪場の灰色の客たちは必ずその上に「アホ、ボケ、カス」と接頭辞を付ける。川瀬という名前の下には必ず「コジキ」という述部を付ける。見たんか、オレが人に物乞いしているところを。しかしやつらは見ようが見まいが、必ず選手を呼ぶときは「アホ、ボケ、カス、○○のコジキ」というフレーズを使う。固着のワンパターンだ。そのワンパターン言語を恥ずかしげもなく金網にしがみついて絶叫する。そのエネルギーを少しは自分の仕事につぎ込んだどうだと言いたくなる。それほどやつらは自分の全存在を賭けるかのように必死になって怒鳴る。
「やる気あんのか、タツの落とし子。二度と甲子園走んな、いつまでも藻の中に浮かんどれ」
 レース後の周回をするぼくに、ただひたすら叫ぶことでカタルシスを得たいイビツなオッサンたちの罵声が飛んでくる。
 川瀬達造というぼくの名前によく落車することを引っかけて「タツの落とし子」と言っているのである。ワンパターン絶叫の競輪客にも時々機転をきかせる人間がいる。その意味を了解した周りの客が、手を打って共鳴を表す。
 車上の選手たちは、金網にしがみついた欲求不満の塊の前を無表情ですり抜けて、選手退場口から静かに控え室に向かう。何千回、何万回と繰り返されてきた競輪幕引き風景である。
「何が元オリンピック選手や、何が国体三連覇や。悔しかったら、賞状、質に入れてワシらにカネ返してみぃ」
 一際大きな罵声が飛ぶ。
 ぼくは三番車の赤いユニフォームを着て、俯いたまま退場口から自転車をUターンさせて金網に近づいていく。
 オッチャン、それは言うたらあかんセリフなんや。
 確かに今日のA級決勝戦、最後の四コーナーで横の選手の当たりにヨロヨロとなって、圧倒的一番人気のぼくは転んだ。でもそれが何だというんだ。「あんな挨拶程度の当たりで転びやがって」とヤツらは言う。確かにオレは当たりに弱い。チョンと張られただけで転んでしまう。さらにそのことがそのことが選手間で知れ渡ってしまって、ほんとに競輪選手というのはこういう人の弱みの情報は、稲田の群れスズメのような強烈なスピードで伝播させていく。そのスピードはレースのラスト一周で使うべき速さなんじゃないかと、思わず忠告したくなるぐらいの高速だ。とにかくそのCIAスパイのごとき情報網によって、オレに交わされそうになったらみんなドンドン当たりに来て、それがまた悲しいことに、ものの見事に成功してしまう。ああ、悔しい。「あれだけ直線のスピードがあるのに、なんでや川瀬」と、客も競輪主催者もラインを組む同僚選手もオレのことを呆れる。でもや、それにしてもや、何で客にそうまで言われなあかん。オレは今日もちゃんと一所懸命走ったんじゃ。
 言葉だけは威勢のいいオッサンたちも、退場選手がUターンして自分たちの方に戻ってくるという、その異例の行動に一瞬「何事か」と戸惑う。
 急坂になったバンク最上部まで自転車をこぎ上げたぼくは、オッサンたちの前でスタンディングの姿勢をとる。スロープになっているコンクリート・コースの上で水平にしたペダルに足を乗せ、バランスをとって自転車を制止させるポーズである。プロの競輪選手の中でもこの自転車操作ができる者はそうはいない。
「な、なんや」
 さっきまで腹いせに怒鳴っていたオッサンたちが、こっちの不可解な行動に驚く。思う壺である。
 競輪場のヤジ客というのは、ある意味、怒鳴ってスッキリすることを目的にやってきているところがあって、金網という垣根がなく、選手と面と向かったりしたら何も言えなくなるタイプが多い。いくら自分たちの方が多勢といったって、ヤジる対象の選手から直接の反撃を受けるというのはオッサンたちの意表を突く。
 ぼくはバンク最上部、急坂の上で、ピストレーサーから両手を離し、上体を起こし、ゆっくり視線を動かしてオッサンたちを見る。「どうだ、このオレのテクニック」というデモストレーションである。
 でも多分、オッサンたちが絶句したのはぼくのテクニックに驚いたからではない。スタンディングを客の前で誇示するという、そのこっちの行動の異常さに薄気味悪さを感じたのだろう。しかしそんな細かな客の心理など、いまのぼくには関係ない。
「ガタガタぬかしてると、オレの上腕二頭筋のエサにしてまうぞ」
 ぼくはハンドルから両手を離して左手を腰、右手でコブラを作る。ボディビルで“サイドチェスト”と呼ばれるポーズである。
 ぼくは筋トレ・ジムの鏡に映る自分の筋肉に何度も目を奪われたことがある。ウエイトトレーニングやったあとというのは、誰でも筋肉がいくばくか盛り上がるものだが、そのときのそれは尋常のものとは思えなかった。
「ダビデ像?」
 ぼくの頭に世界史の教科書で唯一記憶に残っている巻頭グラビア写真が浮かんできた。筋トレ・ジムの片隅で不意に着ていたランニングシャツを脱いで片手にかつぎ、片手をゆったり下げ、首を不自然に曲げて遠くを見る。ダビデ像のポーズだ。それ以来、ぼくのナルシズムは大いに鼓舞され続け、「競輪界のダビデ像」を自称するようになった。
「カント(斜度)のあるバンクでのスタンディングだけでも難しいのに、その上に両手離しでサイドチェストのポーズをとり、客に怒鳴る。こんなことは日本の競輪選手の誰一人として真似できない」
 ぼくはヤジ・オヤジたちの前でスタンディングしてみせながら、自画自賛の言葉を思い浮かべる。言っておくがぼくのボキャブラリーは競輪選手界の貧困知識水準の中では群を抜く。これが体力自慢の競輪選手の言葉かと驚くほど、それほど巧みな自画自賛の言葉を思いつくことができる。
「我ながら凄い自転車テクニックだ。ちょっとやそっとのテクニックじゃない。でも、うん?このテクニックがどうして競輪で活かされない。おかしい。これは自分でもちょっと悲しいことだ。いや、それはたぶんそれは今の競輪という制度に欠陥があるからだ。いけない、いけない、謙虚に反省したりしたらこのオヤジどもにつけ入らせる余地を与えてしまう、弱みを見せるところだった、ハハハ」
 ぼくはコブラを作りながら、自分の謙虚さに思わず苦笑いしてしまう。
「お、川瀬はついに頭までイカレたぞ。力こぶ出して、意味もなく笑っとる」
「そんだけ元気があるんなら、少しは気合い入れてペダル漕がんかい。ヨイヨイのじいさんみたいにコケてばっかりおりやがって」
「ほんまにムダな筋肉ばっかりつけやがって。その筋肉をカネにして返せ」
 ぼくの若干エキセントリックな行動にいっとき気圧されていたオッサンたちも、自分たちの前には金網という防護壁があることを思い出して攻撃を再開し始める。しかし彼らはぼくに向かって一番言ってはいけない言葉を口にしてしまったのである。
「なんやと、競輪界のダビデ像と言われているこのオレの体がムダな筋肉やと。オレの体のどこにゼイ肉がある言うんや」
 ぼくはユニフォームをたくしあげ、カブトムシの腹のような強固な腹筋を見せながら喚く。
「こっら、ボケおやじども、大体ひとにカネ賭けて儲けたろなんてのが甘いんや。なんで平日の昼間っからなんでこんな所に来れるんや。おー! お前ら、仕事してんのか。こっら、ひとのことをとやかく言う前に、お前らちゃんと働けー、こらー」
 ぼくは興奮してオッサンたちの前の金網を掴もうとして、バランスを崩した。それまで澄まして決めていたスタンディングや、コブラのポーズがガタガタになる。自転車がカントの頂上から一番下までガシャガシャいいながら滑落する。
 ぼくはかろうじて金網にすがりついた。
「アハハハハ。客にヤジるときまで落車しとる。やっぱりタツ造ちゃうわ。コロ造や」
「生まれついてのおむすび男や、コロリン男や。誰か柿のタネぶつけたれ」
「チャリに乗るサルカニ合戦や、“チャリカニ”合戦や、アハハハハ」
 オッサンたちは一斉に腹を抱えて笑う。
「クソー、お前らみたいな人生諦めたヤツから笑われる覚えはなーい」
 バンクのスロープに這いつくばって転げ落ちそうになりながら、金網を握ってぼくは大声を上げる。
「誰に言われてもええけど、お前にだけは言われたないわい。人生諦めとるんはどっちや。コラ、チャリカニ競輪選手」
 カントの頂上で這いつくばる“転落”選手に客がなおも追い打ちをかける。
「く、く、悔しい」
 反撃しようにも体勢に余裕がなく、ぼくは唇を噛む。
 金網につかまりながら、不意に夕陽が見えた。埋め立て地の西宮浜の向こう、阪神高速湾岸線の高架橋の上にかかる薄雲の向こうに赤い太陽が沈んでいく。不意に涙が落ちてきた。ヤジおやじたちへの悔しさが原因ではない。
 十五年前、ぼくはロサンゼルス、サンノゼ・ヒルズの高台で、遠く日本からの喝采の幻聴を潮騒のように聞きながらバンクを駆けた。自転車競技のエリートと言われ、オリンピックのあと鳴り物入りで競輪界入りし、またたく間に最上級のS級一班まで上り詰めた。しかしプロ自転車選手になって十三年、ホームバンク甲子園競輪場のこの夕陽を最後に、明日から最下級のBクラスへ陥落する。
 月に一度のレース斡旋がくれば上等と言われるB級だから、これから暇だけはある。しかしその暇を練習に使うようなやつはいない。そんな寸暇を惜しんで練習するようなやつはB級には落ちない。みんな競輪よりパチンコの方が得意だと言われている。いくらB級といってもスーパーに買い物にくるママチャリ・オバチャンだけには勝つかもしれないと言われている。
 バンクのゴミ拾いとヤジられ、自転車振興会の職員が「キミは手に職はあるのかな、何にしても生きていくのに仕事は必要だ」と顔を会わすたびに聞いてくる。振興会の職員は「ハロー」と明るく挨拶したあと「ワーク」と小声で付け加え、「行ってる?」と言うのを常套句にする。いま職安は「ハロー・ワーク」と名前を変えているのだ。考えれば考えるほどせつなくなる。
 選手が金網まで近寄って客のヤジに反撃するなどというのは前代未聞のことである。監視塔からの連絡を受けた選手管理課の職員が向正面の通用口から飛び出してきた。制服のグリーンのブレザーに、つば広帽をかぶった数人の職員が会場用自転車を全力で漕ぎ、血相変えて近寄ってくる。凄い速度だ。お前ら競輪学校受けてみたらどうなんだ。
 職員はスロープの下で乗ってきた自転車を放り投げ、滑落したぼくのピストレーサーを乗り越えて急いでスロープを駆け上がろうとする。しかし最大斜度三十八度の坂は上りづらい。両手を突き、斜面を上るというより、ほとんど這いつくばっている様子である。
 スロープの最上部で何とか立ち上がったぼくは悔し涙をグイッとこぶしで拭う。センチメンタルを逆上で返すのがぼくの流儀だ。なめんなよ、ヤジおやじども。ぼくは上半身のユニファームを脱ぎ捨てる。ヤジられどおしでここのままオメオメ帰る訳にはいかんのんじゃ。ぼくは鍛え上げた上腕二頭筋をひくつかせて客を威嚇しにかかる。でも感受性のかけらもないカネの亡者どもの方は、全然こたえている雰囲気がない。呆れてきているようにすら見える。アホか、こいつらは。
 ようやくたどりついた職員に、ぼくはスロープの上で取り押さえられてしまった。
「アハハハハ、川瀬、ついに連行か。せいぜい牢屋でカネにならんボディビルやっとけ、アハハハハハ」
 客たちが一斉にはやしたてる。
「カネ、カネ、カネ、カネって、お前らにはそれしかないのかあ」
 ぼくは両脇の選管職員を押しのけてそう言うと、さっと上半身のプロテクターを取り払う。
「これがサイドバックポーズ」
 左肘を高く、右肘を低く曲げ、右膝を折り、背中の筋肉を見せる。指はバレリーナのように開き気味に伸ばして緊張させる。そしてその曲げた肘の上から後ろを振り向いてニヤッと笑う。ぼくはボディビルには目覚めたばかりだが、ポーズには自信があった。毎日ポージング・ブックを見ながら抜かりなく研究してきた。
 金網の手前の歯の抜けたオヤジたちはただ唖然とするばかりである。
「オレのこの腹直筋と外腹斜筋がセセラ笑っとるぞ」
 そう言いながら、ぼくはなおも筋肉の盛り上がった肩越しにオヤジたちを見る。
 しかし「フフフ」というニヒルな笑いを浮かべる準備をしたところで、ぼくは職員に両脇を抱えられ身動き取れなくなり、そのまま選手管理室に連行されてしまった。

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