スポニチ2009年宝塚記念特集号

  仁川五ヶ池の穴  

 阪急仁川駅脇にはその名の通り「仁川」という、普段は糸筋のように頼りない流れの川がある。この仁川を2キロほど遡った所にある甲山(かぶとやま)森林公園、その中の通称五ヶ池につがいのペンギンがいるという噂は随分前からあった。
 池の北側、崖の岩陰にひと一人が入れるかどうかの小さな穴があり、夕暮れになるとそこから体長50センチの小さな生き物が二匹出てきて池に潜り小魚を捕まえて穴に戻る、その姿を何人かの近隣住民が目撃した。
 何の動物なのか分からない。たぶんイタチだろう、いやイタチにしたら歩き方が変だ、拙いながら二足歩行していた、じゃアライグマじゃないか、アライグマは野生化していて、しかもときたま二足歩行する、いやでもアライグマは水に潜らないだろうとか、色々と詮索が出た。しかしペンギンという説は当初一切出なかった。大体ペンギンが日本の森の中にいるということが想定外だったし、それにペンギンならもう少し大きい、少なくとも人間の腰ぐらいあるというイメージがあった。しかし10年ほど前、地方紙にこの「甲山森林公園に謎の穴居動物」という記事が出たとき「ひょっとしてあいつらでは?」と名乗り出た人物がいた。「鳴尾浜水産」という大手漁業会社の藤原という社長だった。
 社長の話はこのときからさらに15年さかのぼる。1982年4月わずか百人で駐屯していた南大西洋の英領フォークランド島防衛隊をアルゼンチン海軍が奇襲をかけて制圧した。世に言うフォークランド紛争の始まりだ。5月になると英海軍大艦隊が本国から到着して再び島奪還を目指す。戦いは1ヶ月半に及んだが、英軍圧倒的軍事力の前にア軍は全面撤退した。
 血なまぐさい戦争報道の中、このフォークランド紛争には奇妙なニュースがついて回った。「英軍シーハリア戦闘機の爆音に驚き、島のあちこちでペンギンが将棋倒しになって圧死した」という内容だ。元々フォークランドは人の百倍ペンギンがいると言われる世界最大のペンギン繁殖地だ。ペンギンが紛争の犠牲になったのではと危惧されていたが、空爆の犠牲ではなく爆音に驚いて将棋倒しになったという話だ。この噂に対して英空軍は「ア軍こそ島の各トーチカの周りにペンギンの群れを立たせて“生き物の盾”として使っていた、動物虐待はア軍の方だ」と非難仕返した。
 このニュースを聞いたとき、鳴尾浜水産の社長はひらめいた。「爆音に驚いて将棋倒しになったり、トーチカの周りに立って盾になったり、ペンギンてのは何て無垢なんだ。綿帽子かぶらせりゃ“白黒無垢”花嫁ペンギンじゃないか」などと意味不明のことを呟き「鳴尾浜の冷蔵倉庫使ってペンギン・ワンダーランド作ろう」と考えた。
 南大西洋マグロ漁に出ていた自社船団に「帰りにフォークランド寄ってペンギン生け捕って来い!」と命令を出す。ペンギンは元来天敵のいない地域に住んでいたから人間を全く恐れない。「ペンギン捕まえたい」と思えばペンギンの群れの中に入っていって広げた両手をガサッと抱え込めばいい。そこで「おじちゃんと一緒に夢の国に行こうね」と両腕の中のペンギンに囁けば「ウンウンウンウン」とまるで小学生輪唱唱歌のようにペンギンたちはうなずく。
 船底倉庫に不漁だったマグロの代わりに20羽のフンボルトペンギンを積んだ冷凍船団が鳴尾浜に戻ってくる。武庫川河口に面した冷蔵倉庫の中に氷山に見立てた氷の塊を置き、ビニールシートに水を溜めて池を作り、ブリキ製のマッコウクジラの頭から潮吹きに見立てた噴水まで上げて南極の雰囲気を出す。しかし社長は大きな間違いをしていた。フォークランドに多く生息するフンボルトペンギンはヤシの木やマングローブの森を好む亜熱帯性のペンギンだ。日本上陸から一週間した初夏の夜、20羽のフンボルトペンギンは鳴尾浜水産従業員が閉め忘れた冷凍倉庫の扉の隙間から一斉に逃げ出した。「オレたちは冷凍マグロじゃねえんだ、おお寒い」と二の腕を擦り、口々に捨てゼリフを言いながら。
 体長50センチ、ヨチヨチ歩きのフンボルトペンギン20羽の逃避行は悲惨だった。ひとなつこさは野生動物界一だから、とにかく人がいる所へ行きたがる。阪神高速湾岸線の橋脚によじ登ろうとして転落死した者、満員釣り客に寄って行こうとして釣船のスクリューに巻き込まれた者、鳴尾浜球場阪神タイガース二軍の試合に寄っていってファールボールに当たって死んだ者もいた。
 藤原社長はじめ鳴尾浜水産の社員は総出で逃避ペンギンの捜索に当たり、生きて捕獲できた5羽は神戸王子動物園に預けられた。しかし社長が「パコ」「ミコ」と名付けて特に可愛がっていた若いつがいだけが最後まで見つからない。ペンギンというのは事故に遭わなければ案外長生きをする。英国プリストル動物園では30年生きたという記録もある。社長はパコとミコもどこかで生きていてくれればと願った。
 98年夏、藤原社長は西宮市役所公園課に「甲山森林公園謎の穴居動物はひょっとして15年前うちで飼っていたフンボルトペンギンではないか」という申し入れをした。それを機に五ヶ池北側の壁、人が入りにくい懸崖の地にロープを渡して穴居の調査が入る。オーストラリア・タスマニア大学からピーター夫妻というペンギン学の専門家も呼び寄せられた。調査員一人が穴に這い込み、懐中電灯で照らすと「え、何?」という感じで小さなペンギンがこっちを見た。マイクロカメラの映像を見た藤原社長は「あ、パコだ」と瞬間声を上げる。しかし調査員のカメラがパンすると、そばには小さな布きれをまとったペンギンの死骸がある。ミコの方は既に白骨化していた。恐らく死んで何年も経っているようだったが、そばには新鮮なフナが添えられていた。パコは死んだミコのために毎日五ヶ池に潜って魚を捕っていた。
 パコを保護したあとピーター夫妻ら調査隊はミコの遺体と“パコミコ住処”を精査するため順に洞穴に入った。ピーター教授は「死んだミコが砂絵のようなものをいくつも描き遺している」と驚き叫んだ。ペンギンが“フリッパー”(鳥の翼に相当)を手のように使って何か描くという行為は時々伝えられるが、こんなにクリアに残っているものは極めて珍しい。その描き遺された5つの絵はすべて顔が長く4本の脚のようなものがあり、しかもどの絵も後ろの2本の間からさらに1本棒状のものが出ていた。
「このあたりにどこか馬が見える場所はないか?」とピーター教授が聞く。
「そりゃまあ、阪神競馬場はすぐそこ、ここからでも見えるところだけど・・・」と西宮市職員が答える。
「そういえば、このパコミコが逃げ出したときは、ちょうどハギノカムイオーという馬が宝塚記念に出るということで話題になっていた、・・・ひょっとしたら武庫川河口から遡上し、一里山町からこの支流の仁川に入ってきたとき阪神競馬場でハギノカムイオーを見たのかもしれない、いやその可能性はある、カムイオーはこんなふうに“うまっ気”を出すことがあったから」と藤原社長は“ミコ砂絵”の脚の間の棒状のものを指して言う。
「そういえば、これはオグリキャップに見えなくもない」「これはイナリワンかも・・・」と調査隊の中の競馬好き人間がミコ絵を指さし“うまっ気”のあった宝塚出走馬の名前を挙げていく。
「そういえば宝塚記念になると、増水した仁川の流れを使って何か小さい生き物が川上から流れてきて、ずぶ濡れのままパドックでじっと馬を見ていたっていう、そんなことを言う人がいた」「ああ、オレも聞いた。耳を立て、自分でヒゲ描いて、本人は野良猫に変装したつもりだろうけど、あのヨチヨチ歩きはとても猫には見えなかったって話、聞いたことある」
 ペンギンというのは約一千万年前に飛ぶことをやめ、水に潜って魚を獲る鳥になることを決意したとピーター教授は話し出した。空を飛ばなくても外敵に襲われることのない酷寒の大地に住んでたから。空を飛ばなくていいから体は大きくなり、外敵がいないからヨチヨチ歩きでもよかった。でもある日とんでもない轟音を出して飛ぶジェット機という巨大な鳥が背後からやってきた。「ありゃ何だ?ありゅ何だ?」と言っているうちにヨチヨチ歩きの大集団は将棋倒しになって大量死した。「人間て何するの?」と寄っていったら両手でガサッと捕まえられて知らない土地にやってきた。つがいで逃げ出したけど、ペンギンは交尾を知らない。普通陸上で歩行生活する者はみな交尾をする。でも空を飛ぶワシやタカは交尾ではなく“総排出口”をこすり合わせるだけの“鳥セックス”だ。ペンギンは陸上歩行動物なのに総排出口交尾“こすりあわせセックス”しか知らない。ミコが馬のペニスに憧れたのはフォークランドでジェット機の爆音に驚いて以来続いていたカルチャーショックの終結点だった。二足歩行なのに腰を使わない。二足歩行なのに交尾しない。二足歩行なのに、お前たちしょせん鳥じゃないかと言われる。ペンギンたちはいまパニックの中にいる。

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