スポニチ2009年桜花賞特集号

  桜の下、走れエロス  


 高三のとき、クラスに蔵谷(くらたに)くんという同級生がいた。背が高く、顔も間延びして、授業中もただぼおっとグラウンドやその向こうの城山公園なんかを見て過ごしていた。ぼくらの教室は三階にあり、五月になると開け放った窓からよく風が入っていた。窓際に座る者は巻きついてくるカーテンがわずらわしくてヒモでくくっていたが、蔵谷のところだけは放ったらかし。そんなものが巻きついたら黒板も教科書も見えないだろうがと思うが、蔵谷は気にしない。たまに蔵谷の方を見ると巻きついたカーテンの上から手でゴシゴシしている。顔を拭いたり、ハナを噛んだりしているのだ。蔵谷のところのカーテンだけ日に日に黄ばんでいった。
「SWELLという動詞は“ふくらむ”という意味だ」
 ある英語リーダーの時間、教師が教科書見ながらそう説明したとき「ふくらむと、スえるなあ」と蔵谷がぼそっと言う。そのときぼくは蔵谷の一つ前の席に座っていて、教科書読む声もノート取るペンの音も聞こえない、ただ風が吹いてカーテンが巻きあがるときだけハナ噛む音がするという不気味な背後だったので、うしろの物音には特に鋭敏になっていた。
「ふくらむとスえる」と蔵谷はもう一度呟いて、それから「クククク」と小さく含み笑いする。そのとき「蔵谷、SWELLの変化を言え」と教師の指名がきた。“動詞の変化”といえばもちろん過去、過去分詞を言うのだ。蔵谷はガタガタと椅子を押しのけて立ち上がり、小首傾げてから「スえる、・・・スえた、・・・スワれた?」と小声で答えた。
 授業をバカにしているとか、そういうことではない。そのとき蔵谷の頭には「SWELL・吸える・ふくらむ」の卑猥なイメージしかなく、それが頭を覆っていたんだと思う。それ以後、蔵谷はみんなから「エロ谷」と呼ばれるようになった。
 その後、しばらくまた風が吹いたときのハナ噛み音しかしない状態が続いたが、ある古文の時間に異変が起きた。「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」という和歌の解釈をやっていたときだ。「この“逢ひ見る”というのは」と教師は黒板の“逢ひ見て”の部分にチョークで線を引き「ただ逢って顔を見るという意味じゃない。・・・つまり」と教師はしばらく口ごもったあと「つまり男女の関係を持つということだ」と意を決したように早口に言う。教室には低いどよめきが起きたが、そうはいっても授業中に騒ぎ立てるわけにもいかず、一種異様なざわつきだった。そのとき、またぼくの後ろの席が波立つ。ガタガタガタと巨体を起き上がらせる椅子の音がして「ハイ!」と言う。「ハイ!」と言いながらすでに蔵谷の巨体は立ち上がっていた。
「な、なんや、蔵谷」と若干気弱な古文教師の方が圧倒されていた。
「直前でこぼしたらどうなるんですか?」
「は?」
「この歌作った藤原の何とかって人は直前でこぼさなかってことですか?こぼさなかったから“逢い見ての”と歌ったわけですか?もし直前でこぼしてたら“逢い見ずの”になるわけですか?“逢い見たかったが、ならず”とか、そんな歌になるんですか?・・・それともあれですか?平安時代の人は絶対こぼさないとか、逢い見ると決意したらビシッと逢い見る、平安はやるぞとか、つまりあれですか?十二ひとえ着てたからですか?あれってひょっとしてこぼさないための重ね着だったんじゃないんですか?」
 とても普段の沈黙授業態度からは想像できない超積極的姿勢で、教師はただ「あー」とか「うー」とか答えに窮するばかりだ。この“逢い見る事件”以後、蔵谷は「エロ谷」から「コボ谷」へ変名した。
 蔵谷三度目の震動は秋も深まり、みんなが来たるべき大学受験でピリピリし始めた頃に起きた。現国の教科書に太宰治の「走れメロス」が載っていた。メロスが暴君ディオニスの怒りを買いハリツケになるところが、妹に結婚式だけあげさせてやりたいメロスは親友セリヌンティウスに三日間だけ身代わりを頼む。暴君は「メロス、お前は二度と帰って来なくていい、友情という名に騙されたこのセリヌンティウスを殺すまでだ」と憐憫(れんびん)の笑いを浮かべてこの願いを聞き入れる。メロスは大洪水に難儀し、山賊と格闘しながら命からがら約束の刻限までに刑場に戻ってくるという愛と友情の物語だ。愛と友情の物語だが、みんな迫り来る受験を前に「この際、愛と友情にはしばらくご無沙汰させていただいて」などと言いつつ、現国の時間なのに英単語憶えたり、日本史年表に線引いたりしていた。
 そのとき「ウオーッ」と低い呻りがまた後ろの席から響く。ぼくは驚いて、開いていた元素記号表をしまって後ろを見る。三年になって半年の間に蔵谷のハナ水と汗のせいで茶褐色に変色したカーテンが震えていた。
「お、おい、コボ谷、どうしたんや?」とぼくはその震えるカーテンの中の蔵谷の頭をエンピツでつつく。恐る恐るカーテン開けると、蔵谷は現国教科書の(自分でヒゲを描きメガネを掛け、イタズラ描きの限りを尽くした)“変形太宰治顔写真”の上に大粒の涙と、それから滝のようなハナ水を垂らしていた。だいたいこの蔵谷という男、終戦直後の田舎の小学生じゃないんだから、なんで高三にもなってこんなにハナ水を垂らすんだ?
 その滝のようなハナ水をカーテンで拭うと「N、お前、とりあえずオレを殴れ!」と真っ赤にした目を上げてこっちに言う。「実はオレもお前のことを一度だけ疑ったことがある。殴ってもらってからでないとお前と抱き合えない」
「は?」
「その代わりオレもお前を一度だけ殴る。お前もオレのことを一度だけ疑ったはずだ。だから殴る。殴ってからでないと抱き合えないからだ」
「な、なに?」
 これは刑場に戻ってきたメロスとセリヌンティウスの会話だ。しかしこれほど影響を受けやすい男も珍しい。周りの人間は「コボ谷、お前メロスか?」「走れエロスやないか」とヤジを飛ばして盛り上がる。ぼくは思わず「アホか、コボ谷、しっかりせえ」とやつの頭をハタく。「ありがとう」と言って蔵谷は立ち上がり「よく殴ってくれたセリヌン。オレもお前の頭を一発ハタく。それでないと抱き合えない」などと訳の分からないことを言って大男が迫る。「うわ先生、暴力教室です、精神病んだ太めの太宰みたいな高校生がいます!」と席から立ち退き、助けを求めた。
 その姫路の高校を卒業して十年後のことだ。ぼくは大学を出て大阪泉南の定時制高校に四年勤めたが「作家になる」などと何の当ても果てしもないことを言って退職する。給料二ヶ月分の退職金だけ握り、いつもの南海なんば駅隣、大阪球場外野席下の場外売場に行く。球場周辺に申し訳のように立つ桜は満開だったが、朝からの雨で盛んに花びらを散らしていた。
 その日の桜花賞はダイナカールというのちにオークスを勝つ関東馬が一番人気だったが、猿橋騎乗シャダイソフィアという可憐な感じの馬が好きだった。しかしこの朝からの大雨は華奢な馬には辛かろうと案じる。しかしソフィアは踏ん張る。勝ち気な気性が雨をかえって味方にして、ドロだらけになりながら勝利し「へっ!どんなものよ!」と頬っぺた汚したまま勝ち誇っていた。
 払戻金もらって退職金袋を少しふくらまし、とりあえずこれで半年暮らせる、その間に何か書いてなどと思案しつつ雨の中へ出ていこうとした。そのとき「とりあえずオレを一発殴ってくれ、それでないとこの払戻金は貰えない」とガナって係員ともめる声が聞こえた。うん?と思ってそっちの方を見る。「いや、オレはソフィアの晴れ姿だけ見れればそれでいいと思っていた、いいから殴れ、オレは一度だけ、キミをただの競馬会職員でこっちの幸せなんて願ってないやつじゃないかと疑った、殴られないときみと抱き合えない」
「あ、あのですね、もし払戻しが要らないということなら、そのまま帰ってもらっていいんでよ」と言う係員に「しかしその前に一発殴ってもらわないといけない。ぼくも、そしてキミも殴られるべきだと思っている。愛と友情に生きる者の悲しい習性だ。愛と友情はそれほど複雑に根を張る。悲しいことだ」
 蔵谷は何度かの大学受験に失敗して東京に出たと聞いていた。こんなところにいたんだ。ほんとは名乗り出て“メロス蔵谷”を「まあまあ」などと取りなすべきだった。でもぼくはそっと雨の中に出る。もしいま、あの難波場外から何十年ぶりにメロス蔵谷に逢うことがあれば「まず一発殴ってくれ、シャダイソフィアの桜花賞の日、災難に遭うと思って、ぼくはキミのことを避けた。殴ってもらわないとキミと抱き合えない」とそう言わないといけない。

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