スポニチ2009年ジャパンカップ特集号

  JCパンデミック  

 1999年のジャパンカップ、1番人気はフランスのモンジューだった。英ダービー、愛ダービーを続けて制したあと、凱旋門賞では日本競馬期待の星エルコンドルパサーをゴール前差しきり、史上最強3歳馬の称号のもと来日した。初の長距離遠征が応えたか、JCではスペシャルウィークの4着に敗れるという屈辱を味わったが、このモンジューの輸送機に実は厩務員に扮したある男が紛れ込んでいた。フランス、ルイ・パスツール疫学研究所の主任研究員ソミン・パスツールである。
 近代医学の祖と言われるルイ・パスツールは1822年フランスに生まれた。日本でいう江戸末期から明治中頃にかけて活躍した病理学者だ。パスツール最大の業績は「生命は生命から生まれる」という言葉に尽きる。腐敗生命体は肉汁から自然に発生するものと考えられていたが、肉汁を煮沸(いまで言う滅菌)完全密閉しておけば腐敗は起きない、腐敗は外部から侵入した生命体によって起こるということをパスツールは証明してみせた。
 しかしパスツールに遅れること約20年、このフランスの誇りに強力なライバルが現れる。ドイツのロベルト・コッホだ。コッホは炭疽菌、結核菌、コレラ菌を相次いで発見する。「病気原因の生命体」を歴史上初めて白日の下にさらしたということで、これは画期的だった。「長年苦しめられてきたのはこいつらのせいだったのか」と人類は憎むべき親のカタキに出会ったように喜ぶ。森鴎外はじめ明治以来の先進的日本医学者がこぞってドイツに留学し、つい30年ほど前まで病院カルテといえばドイツ語で記入されるものと日本人が思っていたのは、このコッホへの畏敬による。
 パスツールは「生命は生命から生まれる」と言ったが、その腐敗を引き起こす生命体を明らかにしたわけではない。牛乳・ワインの低温殺菌法や、狂犬病予防ワクチンを作ったが、腐敗菌自体や狂犬病ウイルス自体を目の前にさらした訳ではない。ここにコッホとパスツールの大きな違いがある。「実体のコッホ、概念のパスツール」だ。
 コッホとパスツールの偉業を誇りとするドイツ、フランス両国はそれぞれ「コッホ研究所」「パスツール研究所」という疫学研究所を創設したが、この両研究所はいまも“実体重視”“概念重視”の理念のもと、ライバル意識を持っている。
 さらにもう一つ、パスツール研究所にはコッホ研究所にはない大きな特徴がある。フランスでは1850年代、カイコの奇病により養蚕業が壊滅状態になった。これを知った江戸幕府十四代将軍・徳川家茂(いえもち)は日本のカイコの卵を集めてナポレオン3世に寄贈する。この“イエモチかいこ”をもとにパスツールがカイコ卵への原生生物(ノゼマ)感染をつきとめる。これを機にパスツールの名声は一挙に上がる。パスツールはナポレオン3世に家茂への返礼を進言し、1867年、軍馬品種改良のためのフランス馬26頭が海を渡って寄贈される(残念ながらフランス馬到着の前年、家茂は21歳の若さで急死、フランス馬たちも戊辰戦争の混乱の中で散り散りになったということだが)。
 とにかくパスツール研究所は、この初代ルイ・パスツールが日本から受けた恩義によって、日本びいきの伝統をいまだに色濃く残す。ルイ・パスツール以来、パスツール研究所主任研究員には“パスツール”というイクスペリメント・ネームが与えられてきたが、初代ルイ以来、スクニクニィ・パスツール、オークニィ・パスツール、ヤクシィ・パスツール、そしてソミンの父親モンジュ・パスツールと、連綿と日本名ファースト・ネームが使われてきた。スクニクニィとオークニィは神代に医神としてあがめられた少彦名命(すくなひこなのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)から来る。ヤクシィとモンジュはそれぞれ医薬の仏とされてきた薬師如来と文殊菩薩から来る。そう、つまり史上最強3歳馬モンジューの馬名は、日本では「フランスの城の名前」などと伝えられているが、その城名はこの先代のパスツール研究所主任研究員モンジュ・パスツールの名前からくる。モンジューのフランス語表記はMontjeu、文殊のサンスクリット表記はManjusri、似てないようだが、似ているとも言えるじゃないか。とにかくここは断言しないといけない。99年JC一番人気モンジューは「文殊」菩薩だ。モンジューは究極の知恵(般若・はんにゃ)によって衆生(しゅじょう)を救う。「エルコンドルパサー、最後の最後にモンジューに差されました」と言うときのモンジューと、山口百恵が「♪マンジューシャカ」と歌うときのマンジューは同じである。
 現在、新型インフルエンザが世界的に蔓延している。さらに強毒性の鳥インフルエンザが人から人へ伝染する第3期に移行する可能性もある。移行すれば必ずパンデミックが起こるとNHKなどを中心に盛んに警告。警告が行われれば気弱な一般大衆はさらに気弱になり、右往左往して視聴率はウナギノボリという循環が起きている。しかしこういう類いの“循環パンデミック警告”は、実はパスツール研究所やコッホ研究所ではあまり問題になっていない。彼らは常に有史以来の世界各国、ありとあらゆるパンデミックを見てきたからだ。両研究所あたりになると「じゃ君ら、初めて天然痘がやってきて何万人もバタバタ死んだときの、たとえばあの藤原不比等以下、藤原氏自慢の息子たちが次々のたうち回って死んだ1300年前の日本はどうなの?」と言う。現代人は原因がウイルスだろうと大体想像がついている。「ウイルス見っけ!ひねり潰してやる!」と蚤のように指でウイルス潰したやつはいないけど、それでもめっちゃ小さいやつが原因だろうと大体イメージしている。でも不比等の時代は「あいつらが仏像を難波の入り江に捨てたからだ」「いいや、お前らこそ大和伝来の国つ神を粗末にしたからだ」とそんなことでパンデミックになっていた。怖さの度合いが違う。
 パスツール、コッホ両研究所あたりになると、悩んでいるのはものその辺じゃない。「人間が同じことをするのはすべて伝染病ではないか」というテーマに頭を抱えている。例えば高熱が出、下痢をし、呼吸困難になる人間があちこちに出れば、おっ、これは伝染病だ、悪いウイルスが原因だなどと言うが、うん?あいつもこいつも朝起きれば伸びをして、歯を磨き、ウンコをし、トースト齧りながら「ああ会社行きたくねーな」と呟く。これって伝染病じゃないか?という、この見解が世界最先端疫学研究所の最新テーマだ。誰もが腹が減ったらメシを食い、漫才番組見て同じように笑い、いい女や男を見ればセックスしたいと思う、これって例えば鳥インフルエンザ蔓延状況とどこが違うんだ?メシ食うウイルス、笑うウイルス、セックスウイルスがあるんじゃないのか?どうしてこれらは伝染病って言えないの?という、パスツール、コッホ両研究所職員は全員これを考えている。
 さしあたっての研究対象は「なぜこうも多くの人間が馬券を買うのか」だ。「馬券ウイルスってほんとにないのか?」と両研究所は今ここの解明にしのぎを削っている。1995年、ドイツから有力馬ランドがやってきてJC優勝したとき、実はベルリンのコッホ研究所から検疫官が来ていた。名目上はランドの検疫補佐だが「世界一馬券が売れる東京競馬場には“馬券ウイルス”が蔓延しているんじゃないか」という目論みを持っていた。しかし、いかんせん、コッホ研究所は実体重視である。実体重視の疫学研究所は実体を捕まえれば話は早いし、称賛も得られるが、狂犬病ウイルスや鳥インフルエンザウイルスよりさらに百分の一は小さいと言われている馬券ウイルスはおいそれとは捕まらない。「馬券ウイルスなんて、そんなものはありませんでしたよ、ハハハ、アウフビーダーゼーン!」というのがコッホ研究所職員の安易な結論だった。
 ソミン・パスツールはモンジューを運ぶ輸送機の中である疑念を持った。「自分のソミンという日本名ファーストネームは風土記に出てくる“蘇民”から来ている。疫病を撒き散らす須佐之男命(すさのおのみこと)が姿をやつして巨旦将来(こたんしょうらい)、蘇民将来の兄弟のいる村までたどり着いたとき、カネ持ちの巨旦の方は宿泊を断ったが、蘇民は貧しいながら誠心誠意泊めてくれる。後日、須佐之男が大疫病を撒き散らしたとき、恩義に感じて蘇民一族だけは助けたという、その故事から来ている。日本人を馬券ウイルスから守るのが自分の務めではないか?」
 その“蘇民将来パスツール”の一瞬の迷いが史上最強3歳馬を4着に敗退させた。勝ったのはエルコンのライバル、スペシャルウィークだ。「馬券買うのは馬券ウイルスによる疫病ではないか」という問い自身が実はウイルスだという、そういうこともあるんじゃないか?“概念のパスツール研究所”はまた新たな重層概念を抱え込むことになる。そのとき歌が聞こえる。「♪マンジューシャカ 恋する女は罪作り マンジューシャカ 白い花さえ真っ赤に変える」
 東京競馬場の大屋根の上、マイク持った牝馬が歌う。スペシャルウィーク産み落とした日に死んだはずの、スペシャルの母キャンペンガールだ。何かのキャンペン?
 1999年11月28日のあの日“文殊菩薩”と“蘇民将来”と“死んだはずのキャンペンガール”は2千年の時を越えて絡み合っていた。
(※当然ながら文中フィクションを含みます)

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