スポニチ2009年天皇賞春特集号

  競馬ポアンカレ予想  

 いまびっくりするぐらいの長い時間をかけて京阪淀駅移転工事が行われているが、この駅移転工事が始まるずっと前、昭和五十年代ぐらいまでは淀駅までの数百メートルの間にしっかりした“オケラ街道”があった。特に「ダービーハウス」という屋号だがなぜか看板に「DERDI」と書いてある不思議な喫茶店を左に見て京阪線路に突き当たるまで、ほんの百メートルほどの小道の両側にはプレハブ建てホルモン焼き屋や焼鳥屋が連なり、その間に点々と予想売り屋が店開きしていた。
 競馬帰りの客が目当てだから、場立ち予想のように予想そのものを売る訳ではない。怪しげな予想機械やバカ高いガリ刷り冊子のようなものを売るのが基本だ。これが出ては消え出ては消え、いやあるいは同じ人間が装い新たにして出ていたのかもしれない、とにかくぼくが記憶しているだけでも種々雑多な予想グッズ売りがいた。
 全身白ずくめ、月光仮面のような衣装着たおばちゃんが(白蛇が入っているとおぼしき)大ザルを「キエーィ」と奇声を発しながら振り回す[白蛇予想]、これはけっこう長い期間見た。
[電卓予想]は予想グッズの王道だ。色々なバリエーションがあったが、基本は“魔法の電卓”に数字を打ち込む。「ニイちゃん生年月日言うてみ、ええから騙されたと思うて言うてみ?え?千九百?五十八年の七月十四日?お、パリー祭やないか?」などとサクラのニイちゃんに言いながら生年月日を電卓に入力する。「ほんで?今日は何日や?千九百八十七年の四月二十六日?ほんでニイちゃんが取りたかったのが十二レースか?十二と、こう入力する訳や。そしたら1ー6と1−7と二つ組み合わせが出てくる。どっちか当たってへんか?当たってるぅ?1−6当たってるぅ?2970円?参ったなあって、自分で作っておきながら呆れるわ、ハハ」とそういう口上を基本にする。
[天気予想予想]というのもあった。「今日は曇りや。ところがもしや、ニイちゃんが昨日の段階で“明日は晴れる”と予想していたとする。ところが今日朝起きてみたら曇り。ありゃー天気予想外れたとがっかりする。がっかりする前にこの“天気予想予想”の本を見る訳や(とガリ刷りの汚い冊子を開く)。ニイちゃんの場合は天気予想が外れたからこっちの“天気予想外れ”のページを見る。そしたら“外れのパターンは何ですか?”と聞いてくるからニイちゃんは正直に“晴れ→曇りの外れです”と答える。それで今日やったら5月やから“晴れ→曇り外れの5月”の欄を見る。そしたらほれ1Rから12Rまでズラッと買い目が書いてある。どや?今日の分と比べてみ、半分は当たってるやろ?」
[さかなへん予想]というのもあった。五十枚ほどの“さかなへん”のカードの中から目をつぶって八枚以内のカードを引く。例えば「鱸」「鰤」「鰻」「鰯」「鯖」「鰊」と六枚のカードを引くと「さあこのうち何枚読める?」と聞かれる。「ええっとウナギ(鰻)とイワシ(鰯)とサバ(鯖)かなあ」と三枚のカードを順に押さえると「じゃ3−6や」「え?」「六枚引いて三枚読めたから3−6買う訳や」「は?」「これが“さかなへん競馬予想”や」「ええ?でもこれ毎回レースの前にやるの?」「やるんや。馬券窓口の前で深呼吸して神聖な気持ちで枠連八枚以内のカードを引いて並べる」「何か、予想じゃなくて漢字クイズみたいだけど」「うん、そうとも言える」とおじさんは案外簡単に同調する。「それにね、おじさん、こんなのいつもいつもやってたら段々全部読めるようになって来ない?どんなに漢字苦手なやつでもそのうち憶えてくるで」「うん、そうとも言える」「そうとも言えるって、どうすんのよ」「どうもしない、慣れてくると七枚引いて七枚読める、八枚引いて八枚読める。つまり熟練すると外枠ゾロ目が増えるということや」「はあ・・・」「そういうもんや」と“さかなへんおじさん”は腕を組んだ。
 しかしそんな中、たぶんモンテプリンスが春天皇賞勝った頃だと思う、たった一度だけとても風変わりな予想屋を見たことがある。約百メートルのオケラ小道の突き当たり、空き倉庫と京阪線路の金網との間の窪地のようなところに、まるで陰に隠れるように台を出している男がいた。
 普通は薄汚れたジャンパー着て胸ポケットから万札ちらつかせてたり、大体そういう男には一目瞭然の“サクラ”が付いているから、見るからに怪しいもの売ってる雰囲気がある。でもこの窪地の予想屋は無精髭が伸びて寒そうに背中丸めている。歳は30前後か、すぐ隣を京阪電車が通っても見向きもせず、ずっと目の前の地面を見詰める。凝視すると日本人ではないように思える。ちょっと見、生気のないロシアの浮浪者のようだ。
 浮浪者の前の小台には[ポアンカレ予想]と書かれた表示札が置いてある。「ポアンカレ予想って何?」と思わず漏らすと、髭面男はコトッと三角の表示札を倒した。
[単連結な三次元閉多様体は三次元球面と同相である]
 出てきた三角札の別の面にはそう書かれてある。「はあ?」と言ってまた半歩その倉庫と線路の間の窪地に入り込む。
「単連結って何?単勝と連勝の結合?」と言うと男は台の下から[単連結]というカードを出し「百円」と言う。男が発した初めての言葉だ。初の言葉が「百円」だ。日本語は出来るようだ。何だか取り憑かれたように百円出してしまう。
[多様体が一つに丸まっていること]とそのカードの裏に書かれてある。「ええ?多様体って何よ?」と声を出すと、男はまた紙袋から[多様体]と書かれたカードを出して「百円」と言う。[特定の点の近くの点の集合が空間内の領域と同相であること]と書かれてある。「同相って何よ?」と聞くと、また百円取られて[同相]のカードが渡され[似ていること]とだけ書かれている。
 サギのようなものだ。「何じゃこりゃ」と言って憤然とその窪地から出ようとしたとき「つまりポアンカレ予想というのは[もし宇宙が一つの丸まった空間なら、その表面がデコボコしていてもおおむね球面みたいなものと言っていいか?]ということです」と男が震える声を出した。
「いいかったって、別に勝手に言えばいいじゃないか」と言うと、また反論だ。「もし地球から長い長いロープを付けて飛び立ったロケットが宇宙をぐるっと回ってまた地球に帰ってきたとき、その始点と終点のロープを持ったままロープ全体を手繰り寄せられるとしたらそれはつまり宇宙はおおむね球面と言っていいですか?」
「いいですかって、そんなこと聞かれても・・・」
「もし宇宙がカッチカチのドーナツ形だとして、ロケットがそのドーナツの小麦粉の部分を進んで行き、穴の部分をぐるっと回って帰ってきたとすればロープの始点と終点持ったままロープは回収出来ない。カッチカチの穴にロープがひっかかるから。回収出来なかったら宇宙はおおむね球状とは言えない、だって球とドーナツは違うから」
「はあ・・・」
「例えば大航海時代以前の人間は世界は平坦だと思っていた。果てまでいけば滝になって奈落に落ちると思っていた。つまり世界は二次元と思っていた。バカだなあ、人工衛星から地球を見れば、地球面が平面という二次元じゃなく曲面という二次元多様体だってすぐ分かるからってぼくらは言う。でも例えばいま机の上に一枚の紙を広げて直線を書くと“これね、直線のように見えるけど実は曲線、だってこのぼくの座っている地球面が曲面だから”とそこまで考える人間はいない。つまりスケールによってグイッと見方が変わる」
「わたしたちが宇宙の外に出られないとして、出られなくても宇宙全体をイメージする方法はないのかと考えるのが“ポアンカレ予想”です。最近競馬もよく見ます。“何であの馬、ゲート前でイヤイヤするんだ”とか“何であんなに引っかかるんだ、まったく馬の考えてることは分からん”とわたしたちはよく言うけど、それは馬というものを人間という上位から見ている。ぼくら人間を空の上から見ている者は“人間て何であんなことするんだ、まったく人間は分からん”と言っている可能性がある。“馬は何てアホなことを”は馬を抜け出してみないと分からない。“人間は何てアホなことを”も人間抜け出してみないと分からない。ポアンカレ予想はそこを予想する」
 そう言って男はよろよろと小台を片付けにかかる。そしてふと手を休めてまた言う。
「ただのこのポアンカレ予想が当たりかどうかはあと二十年経たないと分からない。それが“ポアンカレ予想・予想”です。わたしはこれからまたレニングラードに帰ってアパートに籠もります」
 ちょうど20年後、世紀の難問ポアンカレ予想を証明したというロシア人グレゴリー・ペレルマンはこのときの予想屋とよく似ていた。

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