スポニチ2009年有馬記念特集号

  フランキー・アンド・デットーリ  

 生まれ育った和歌山串本は観光開発もやっているけど、基本は漁業の町です。春夏は黒潮に乗って北上するカツオやアジ、秋冬は近海に産卵に来るタチウオやハマチなどが主な漁獲種で、わたしの父はそれらを狙う沿岸漁師でした。うちは代々漁師の家で、父で三代目なんだけど、でも父には女の子しか出来なかった。わたしたち六人姉妹なんです。びっくりでしょ?「何とか跡継ぎの男の子を」ということだったんだろうけど生まれるのは女の子ばかり、とうとう末っ子のわたしには「諦子」という名前が付きました。“あきらめ(諦め)の諦子”っていうんです、わたし。こんな名前、ふつう親が付ける?
 出産子育て疲れだったんでしょう、母はわたしが小学校に上がる前に死にました。父は母が死んでから酒量が増え、真面目に漁に出なくなった。わたしたちは七十歳で海女(あま)仕事する祖母と、就職した上の姉たちによって育てられました。
「お前たちが十五になったら海の上に浮かび上がって、お月さまの光を浴びながら、大きな船を見たり、森や町を眺めることができます」
 うちの祖母は変わっていた。普段は「ごっつニクソいしヨー」とか紀州の漁師言葉丸出しなんだけど、月の綺麗な夜になると磯にわたしたち姉妹を連れ出し、岩の上でアンデルセン「人魚姫」の一節を唱える。読書など無縁のような祖母だったけど「人魚姫」だけは暗記するほど読んでいた。その“人魚姫”が六人姉妹らしいんです。「何とか男の子を」と願う父とは逆に、四人目が生まれた頃から祖母は「六人姉妹になれ」と密かにに念を入れていたらしい。
「“十五になったら”っておばあちゃん、わたしらみんな十八過ぎとるがな」と、うえ三人の姉なんか「あほらし」と言って家に帰るし、そのうち、祖母の“連れだし”にも応じなくなった。「あれはボケの兆候なんやろな」と上の姉たちはよくヒソヒソ話してました。でも小学生のわたしは、このおばあちゃんの“連れだし”が嫌いじゃなかった。「姫は全部で六人いて分けても末の姫の美しさときたら」という一節は特に大好き、そこに来ると「おばあちゃん、ごめん、今の所、よく聞こえなかった」と何度も繰り返しを頼みました。
 でもこの祖母も、わたしが小六のときに死に、うちは飲んだくれの父と口の悪い姉たちだけの家になった。高校を出て、わたしは地元の干物工場に就職した。地元のおばちゃんたちと一緒にアジを開いてはらわたを出し、臭いウオ醤油につけて、それから乾燥室に干す。この作業をいい若い娘が毎日毎日続けた。でもわたしにはきっと何かいいことが来る、難破した王子を助けた縁で臭いアジ工場からいい香りの王宮に入り、毎日発する言葉といえば「苦しゅうない」だけという、そういう生活になるんだ。
 その頃「リトル・マーメイド」というディズニー・アニメを見た。「人魚姫」が原作ということで見たんだけど、衝撃だった。「人魚姫」は美しい姫が“人間”になる交換条件に“声”を差し出さねばならず、さらに声をなくしたばかりに人魚姫は王子に誤解され捨てられて死んでいくという話です。「リトル・マーメイド」も声をなくしたまま王子と出会い捨てられそうになるのは同じだけど、そこから大ドンデン返し、真の愛に目覚めた王子が、人魚姫の声を奪った海の魔女をやっつけて、二人はめでたしめでたしの大ハッピーエンドになる。これです。これがわたしが求めていたものです。わたしは人魚姫ではなく、リトル・マーメイドだったって、そのとき分かった。
 でもそれが分かってからも、わたしは相変わらず“アジのわらわた出し”をした。「いつか海の上に出て王子を助ける」と思いながらアジの干物を十年作り、そして2001年転機が訪れる。串本駅にある旅行誌に「新設ディズニーシー“マーメイド・ラグーン”男女アトラクションスタッフ募集」という広告があるのを見つけたんです。わたしはその日のうちに工場長に退職を伝え、身近な荷物をまとめて関西本線に乗った。早かったです。串本から名古屋、名古屋から千葉浦安と地図片手にぐんぐん進んだ。
 あれから八年、わたしはいま南行徳の安アパートに住み、ディズニーシーの年間パス買って週に一回「マーメイド・ラグーン」に行くのを楽しみにし、ディズニーシーの隣“鉄鋼通り”にあるセブンイレブンで毎日元気に働いてます。鉄鋼通りといってもクズ鉄溶解する工場や、板金を電線やナットに加工する、そんな小さな鉄工所が並んでいるだけです。すぐ隣のディズニーシーの、おとぎの国の作り物を横目で見ながら、みんなクズ鉄運んだり、ボルトナット削ったりしています。
 ディズニーシーのスタッフ応募はあえなく年齢制限でひっかかった。いけないのはこっちだったかもしれません。「応募要項」には「30歳未満の女性」と年齢がちゃんと書いてあったのですから。そのときわたし35でした。でもいまさら串本に帰る気にはならない。「一旦おまえさんが人間の姿になったらもう人魚には戻れないんだよ」という魔女の声が聞こえる。でも串本でのアジ開きが、あれが人魚のやることだったとは思えないし・・・。
 でも最近ちょっとだけウキウキすることがある。ナット工場で働いてる40ぐらいの工員が毎日のように弁当買いに来て、作業帽取ると頭は薄いし、無精髭は伸びて汚ならしいし、タバコ臭いし、何もいいとこないようなんだけど、笑うと笑顔が人なつこい。週末には弁当と一緒に必ず競馬新聞買うから多分競馬が好きなんだと思う。中山競馬場は京葉線で行けばここからすぐらしいから。
 わたし、胸の名札に「フランキー」って書いている。店長が愛称でもいいっていうから「じゃフランキーで」って頼んだ。諦子って本名はどうしても嫌だった。フランキー堺じゃないよ。「フランキー・アンド・ジョニー」というアル・パチーノとミシェル・ファイファーの映画から取った。南行徳のツタヤで「ジョニーは“あのとき”にどうしても声が出ない」という案内コピーにひかれて借りた。ジョニーって声をなくした人魚姫じゃないかと思ったから。
 わたし、こう見えてもセックスにはそこそこうるさい。串本で同級生の自動車修理工のタッちゃんと付き合っていたときは新宮のモーテルまで行って、4、5回経験した。浦安に来てからも、新浦安のパチンコ店の従業員と駅裏のラブホテルに入ったし、市川の吉野屋で声掛けてきた学生とも一回ある。わたし、ゆきずりのセックスとかって、そんなに嫌いじゃない。ゆきずり人魚姫って呼んでもらってもいい。でも声は出る。それも大きい方だと思う。そこが人魚姫からは遠い気がして、わたしの弱点だと思った。でもビデオ見ると“声を出さないジョニー”ってのはアル・パチーノが演じる男の方だ。ミシェル・ファイファーは“フランキー”だ。フランキーって、女でもそういう名前使うんだ。ちょっと男っぽくってカッコいいという気がした。
「あんた、なに人?」とその工員、レジを打つわたしの胸の名札見て聞いてきた。「日本人ですけど」とわたしは名札隠しながら言う。「あ、フランキー堺じゃないわよ、ミッシェル・ファイファーだからね」と今度は名札を突きつけるようにして言う。必然的に胸も同時に突き出る。もう40越えたけど、わたし、胸には少し自信がある。でもその工員見てない。俯いて「デットーリかと思ったよ」とボソッと言う。なに?それ?
 そのときから、わたし、この男を個人的に“デットーリ”って呼んでいる。昼休憩で外に出ると、デットーリはよく近くの公園でうちの店の弁当食べている。週末は必ず競馬新聞横目で見ながら。あるときこっち見て「やあ」と言うから、なりゆき上、横に座って色々話をしてやることになった。マーメイド・ラグーンに憧れて和歌山から浦安に来たことを言うと、デットーリは箸を止めて「マーメイドか」と言う。「そうマーメイド、人魚よ」「タバンだな」「は?」「マーメイドタバンていういい馬がいたんだ、でもオレ、人魚の束かと思ったよ、こう人魚がダイナマイトの束みたいに、束になって走るのよ、ヒモでくくられて、マーメイドタバン、気持ち悪いだろ?」「・・・」
「人魚姫は難破しかかった王子を助ける」という話をすると、「難破しかかってるかもしれないな、オレも」と言って、5年前に生活苦から離婚して最近横浜からこの鉄鋼通りに越してきたなどと言う。「ひょっとして刑務所入ってたんじゃない?横浜の刑務所に。他人の小切手に偽名書いて、1年半ほど入ってたんじゃない?」「なんだ、それ?」「違うか、あんたはアル・パチーノとは違うか、そうか」と今度はわたしが首を振る。
 11月にしては暖かいよく晴れた日で、わたしは公園の色づいた銀杏を見ながら、ひょっとしてこの人が王子?頭の薄い、小汚い、貧相なおじさんだけど、リアルな王子というのはこういう男なのかもしれないなどと、いけない想念が浮かんできた。わたしも長年の独身生活が響いて心が弱ってきてるんだ、きっと。
「フランキーさん、あんた、有馬記念行かないか?今年最後の大儲けしに?」とデットーリが言った。わたし、マーメイド・ラグーン一回ぐらい休んで競馬行ってもいいかと、その時ついそんな気になった。ああ心が弱ってるんだ、きっと。

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