スポニチ2008年桜花賞特集号

  レオポンの桜  


 甲子園競輪がフィナーレを迎え、場内の異様な熱気をまだ体に保ったまま、ぼくは甲子園八番町のあたりを甲子園駅に向かって歩いていた。鳴尾浜に沈む夕陽が住宅展示場の白い壁に赤い斜光を映している。
 この辺りはつい五年ほど前まで「阪神パーク」といって遊園地と動物園があった所だ。甲子園球場と甲子園競輪場、阪神パークは三すくみ、三つセットで西宮甲子園浜を一大レジャーランドにしていた。しかし阪神パークは住宅展示場になり、近いうちにショッピングセンターになる。甲子園競輪場は壊されてマンションが立つそうだ。
 甲子園球場だけは残るんかい。全国汗と涙の高校球児たちのメッカだからか。関西人統合の象徴、阪神タイガースの聖域だからか。沢田義和はどうなるんや。西郷剛はどうなるんや。国道二号線でダンプの間走って練習せえ言うんかい。武庫川河川敷を家族サイクリングの間を縫って練習せえ言うんかい。
 ぼくは三月の柔らかい夕陽に映える甲子園球場外壁の蔦を、ただうらめしく見上げていた。
「メスライオンは体重二百二十キロ、甲子園の“園”と書いてソノ子と呼ばれた。オスのヒョウはカネ男、甲子園の“甲子”と書いてカネと読ませた。安易な命名だ。ほんとにただの一ひねりすらない命名だった」
 展示住宅の間、すでに鳴尾浜の夕陽は住宅の壁で遮られ、待宵の闇となっていた。黄色いのぼりを立て、カンテラのような薄明かりを点けて、短い雑草の生えた小山の上で叫んでいる。ドンゴロスのような毛羽だった布を肩からまとっていて、あるいはそれはケモノのイメージを企図したのかもしれないが、客観的には淀川河川敷や大阪城公園などによくいる路上生活者にしか見えない。
「いやまあそんなことはいい。そんなことはこの際どうでもいい。どうでもいいが、しかーし!レオポンの生まれ落ちた悲しい宿命については知らねばならない。いいか、このヒョウのオス、カネ男の体重はいったい何キロだと思う?何キロだったとおもーう?」
 男はひときわ大きく叫んだあと、通りにいるぼくの方を不意に指す。
「え?オレ?」とぼくは思わず自分を指さす。男はその動作に急に頬を緩めこっくりうなずく。
 何だか分からない。昔、甲子園競輪が華やかだった頃は、南甲子園から甲子園球場に向かう町道の脇、月見里公園あたりには、よくこういう訳の分からないおっさんたちが出没した。競輪に負けた客相手にカストリ誌のようなインチキ予想表を売るのである。それでも当時は競輪客も多く、また自分たちの競争相手も多かったから、彼らはそれなりの“創意工夫”をしていた。
 白装束に白頭巾、「白蛇がいる」という木箱(この木箱は決して開けられないが)を前に忍者の“ドロン”のように両手の指を重ねて「エーイ!」と飛び上がる“白蛇占い”おばさんもいた。
 フランシスコ・ザビエルのようなキリシタン・バテレンの衣装に厚紙に金紙を巻いた十字架を首から下げる予想屋もいた。「お前は隠れキリシタンであろうが」と責められると「いいえ、わたくしは決してそのような邪教に身を染める者ではありません」と悲鳴を上げ(悲鳴上げたってその格好は誰が見てもキリシタンなのだが)“長崎奉行”の差し出す“踏み絵”(という名の出走表)を無理矢理踏んで「あーれー」と叫び、長崎奉行が「神のお告げが出たとぞ」と叫ぶ“転びキリシタン予想屋”もいた。
 甲子園競輪最盛期の頃の月見里公園は路上パフォーマンスの実験場のようだった。
 でもここは月見里公園とは一区画東の通りだし、青春のメッカ甲子園球場の高い塀と、だらだら広がる住宅展示場があるだけだ。周りの雰囲気におよそ似つかわしくない前時代的な出で立ちである。何なんや、このおっさん。
 そう思いつつ、指さされると意のままになってしまうという我が生来の性向はどうしようもない。悲しいことだ。気がついたら低い生け垣を乗り越えて、ぼくはおっさんの前にいた。
「いいか、哀れな競輪オヤジ」とおっさんはぼくが持っている競輪新聞をちらっと見て言う。
「オヤジはお前やろ」と思って憤然とする。やっぱりこのおっさん、競輪予想屋か?だとしたらこのおっさんも甲子園競輪廃止の憂き目を見た被害者の一人かもしれない。そう思うといくばくかの同情も沸いてくる。
「オスヒョウのカネ男はわずか八〇キロ、メスライオン・ソノ子の三分の一だ。ひとたびソノ子が振り向いてガッとキバ剥きゃ」とおっさんはこちらに背中を向けた体勢からガバッと振り向く。つまりおっさんはこの場合“ソノ子”になっている訳だ。
「いいか、ライオンのソノ子がガバッと振り向きゃ、背中に乗ったキネ男の命はひとたまりもない。命がけのセックスだ。フェイタル・ファックだ。梅川・忠兵衛の飛脚屋交尾だ。ジャック・ニコルソンの二度目のベルだ。いいか、哀れな競輪オヤジ、でも見逃してはいけない。問題はここに潜んでいる。この命がけのセックスにヒョウのキネ男を向かわせたのは何か。何だと思う?転びの競輪オヤジ」
 いつの間にか“転び”にされてしまっている。転びって何だ?寝返るってことか?確かにぼくは来週になったら競馬やる。でもそれは寝返りじゃない。元々競馬の方が本業だし、それに再来週は桜花賞だ。競馬人間にとっての新年正月だ。やらない訳にいかない。桜花賞はなあ、競輪選手だってみんな馬券買うんだぞ。おっさんこそ何だ。甲子園競輪も西宮競輪もなくなって、これからどうやって生きて行くんだ。寝返るんじゃないのか?転ぶんじゃないのか?
「分からんようだな、転びの競輪オヤジ。発情したメスのヒョウをカネ男にあてがうんだ、ははははは」
 おっさんは小山の上で卑猥な腰つきをしてそう言い(つまりこの場合おっさんはメスのヒョウなのだ)カンテラに照らされる横顔をほころばせる。まばらな白髪の長髪が春の宵風になびき、伸ばし放題の顎ひげに分け目が出来る。頬のあたりにはあちこちカミソリ負けのような傷があって、バンドエイド二、三枚貼ってるんだけど、そんなものじゃ全然おっつかない。ドンゴロスの肩布も揺れてるし、あっ、このおっさん、どこかで見たことあると思ったら、ジョージ秋山の描いた“デロリンマン”だ。
「カネ男が“うーん、もういやらしいなあ、このメスヒョウ、もうやっちゃう、オレ断然やっちゃう”と本気になったとき、そのヒョウのメスをさっと引き上げ、代わりにライオンのソノ子のオリへの通路を開けるんだ。男は悲しい。人間も悲しいがヒョウも悲しい。“もうこの際ライオンでも何でもいい、ちょっとグラマーなヒョウだと思えばいいんだ、オレやっちゃう、断然やっちゃう”とソノ子の背中に突進する。まるでシャブ中の特攻隊だ。ええじゃないかの桃井かおりだ。死の恐怖を発情が上回るんだ。阪神甲子園パーク一九五九年、あの六〇年安保前年、皇太子成婚ミッチーブームに沸き、若い女がみんなダッコちゃんという訳の分からない黒人形を二の腕に巻いて歩いていたあの年、ヒョウのキネ男は、いまだかつて数千万年のヒョウの歴史上ただの一頭も試みたことのない一世一代決死のセックスに挑んだ。ヒョウのオスがライオンのメスにセックスしに行った。今日と同じ春弥生三月の三日月の夜、このオレが立ってるこの小山から、あんたのいるその窪地に向かって、キネ男は命のペニス突き立てて突進したんだー!」
 デロリンマンのおっさんは小山の上でうずくまる。泣いているようにすら見える。そのうずくまる姿の上にレオポン檻跡地に出来た早咲きの桜の花びらが散り掛かる。
 花びらはおっさんの横の春風にはためくのぼりにも掛かる。黄色の木綿地の上にかすれた黒マジックで「桃井かおりが泣いている」と書かれている。まったく意味の分からないのぼりだった。
 その翌週、産経大阪杯の日の帰り、ぼくは仁川駅ホームでこのデロリンマンのおっさんを見た。ホームの向こう弁天池のほとり、満開の桜の下でやっぱり一人でがなっていた。のぼりは前と違って「染井吉野が泣いている」と書いてあった。でもやっぱり意味は分からない。
 ただ遠くから切れ切れに聞こえてくる声では「コマツオトメ」と「オオシマザクラ」との接合(ソメイヨシノという桜はこの二種の接合から生まれたらしい)、それを「このセックス(接合)は悲しい」とがなっているようだった。
 そんなひとのセックスを悲しいとか、悲惨だとか批評したって始まらないと思うのに、必死でがなっている。
 もちろんそんな意味不明の桜花賞予想話を聞きに行くような者は誰一人いなかった。

  レオポンの桜


 甲子園競輪がフィナーレを迎え、場内の異様な熱気をまだ体に保ったまま、ぼくは甲子園八番町のあたりを甲子園駅に向かって歩いていた。鳴尾浜に沈む夕陽が住宅展示場の白い壁に赤い斜光を映している。
 この辺りはつい五年ほど前まで「阪神パーク」といって遊園地と動物園があった所だ。甲子園球場と甲子園競輪場、阪神パークは三すくみ、三つセットで西宮甲子園浜を一大レジャーランドにしていた。しかし阪神パークは住宅展示場になり、近いうちにショッピングセンターになる。甲子園競輪場は壊されてマンションが立つそうだ。
 甲子園球場だけは残るんかい。全国汗と涙の高校球児たちのメッカだからか。関西人統合の象徴、阪神タイガースの聖域だからか。沢田義和はどうなるんや。西郷剛はどうなるんや。国道二号線でダンプの間走って練習せえ言うんかい。武庫川河川敷を家族サイクリングの間を縫って練習せえ言うんかい。
 ぼくは三月の柔らかい夕陽に映える甲子園球場外壁の蔦を、ただうらめしく見上げていた。
「メスライオンは体重二百二十キロ、甲子園の“園”と書いてソノ子と呼ばれた。オスのヒョウはカネ男、甲子園の“甲子”と書いてカネと読ませた。安易な命名だ。ほんとにただの一ひねりすらない命名だった」
 展示住宅の間、すでに鳴尾浜の夕陽は住宅の壁で遮られ、待宵の闇となっていた。黄色いのぼりを立て、カンテラのような薄明かりを点けて、短い雑草の生えた小山の上で叫んでいる。ドンゴロスのような毛羽だった布を肩からまとっていて、あるいはそれはケモノのイメージを企図したのかもしれないが、客観的には淀川河川敷や大阪城公園などによくいる路上生活者にしか見えない。
「いやまあそんなことはいい。そんなことはこの際どうでもいい。どうでもいいが、しかーし!レオポンの生まれ落ちた悲しい宿命については知らねばならない。いいか、このヒョウのオス、カネ男の体重はいったい何キロだと思う?何キロだったとおもーう?」
 男はひときわ大きく叫んだあと、通りにいるぼくの方を不意に指す。
「え?オレ?」とぼくは思わず自分を指さす。男はその動作に急に頬を緩めこっくりうなずく。
 何だか分からない。昔、甲子園競輪が華やかだった頃は、南甲子園から甲子園球場に向かう町道の脇、月見里公園あたりには、よくこういう訳の分からないおっさんたちが出没した。競輪に負けた客相手にカストリ誌のようなインチキ予想表を売るのである。それでも当時は競輪客も多く、また自分たちの競争相手も多かったから、彼らはそれなりの“創意工夫”をしていた。
 白装束に白頭巾、「白蛇がいる」という木箱(この木箱は決して開けられないが)を前に忍者の“ドロン”のように両手の指を重ねて「エーイ!」と飛び上がる“白蛇占い”おばさんもいた。
 フランシスコ・ザビエルのようなキリシタン・バテレンの衣装に厚紙に金紙を巻いた十字架を首から下げる予想屋もいた。「お前は隠れキリシタンであろうが」と責められると「いいえ、わたくしは決してそのような邪教に身を染める者ではありません」と悲鳴を上げ(悲鳴上げたってその格好は誰が見てもキリシタンなのだが)“長崎奉行”の差し出す“踏み絵”(という名の出走表)を無理矢理踏んで「あーれー」と叫び、長崎奉行が「神のお告げが出たとぞ」と叫ぶ“転びキリシタン予想屋”もいた。
 甲子園競輪最盛期の頃の月見里公園は路上パフォーマンスの実験場のようだった。
 でもここは月見里公園とは一区画東の通りだし、青春のメッカ甲子園球場の高い塀と、だらだら広がる住宅展示場があるだけだ。周りの雰囲気におよそ似つかわしくない前時代的な出で立ちである。何なんや、このおっさん。
 そう思いつつ、指さされると意のままになってしまうという我が生来の性向はどうしようもない。悲しいことだ。気がついたら低い生け垣を乗り越えて、ぼくはおっさんの前にいた。
「いいか、哀れな競輪オヤジ」とおっさんはぼくが持っている競輪新聞をちらっと見て言う。
「オヤジはお前やろ」と思って憤然とする。やっぱりこのおっさん、競輪予想屋か?だとしたらこのおっさんも甲子園競輪廃止の憂き目を見た被害者の一人かもしれない。そう思うといくばくかの同情も沸いてくる。
「オスヒョウのカネ男はわずか八〇キロ、メスライオン・ソノ子の三分の一だ。ひとたびソノ子が振り向いてガッとキバ剥きゃ」とおっさんはこちらに背中を向けた体勢からガバッと振り向く。つまりおっさんはこの場合“ソノ子”になっている訳だ。
「いいか、ライオンのソノ子がガバッと振り向きゃ、背中に乗ったキネ男の命はひとたまりもない。命がけのセックスだ。フェイタル・ファックだ。梅川・忠兵衛の飛脚屋交尾だ。ジャック・ニコルソンの二度目のベルだ。いいか、哀れな競輪オヤジ、でも見逃してはいけない。問題はここに潜んでいる。この命がけのセックスにヒョウのキネ男を向かわせたのは何か。何だと思う?転びの競輪オヤジ」
 いつの間にか“転び”にされてしまっている。転びって何だ?寝返るってことか?確かにぼくは来週になったら競馬やる。でもそれは寝返りじゃない。元々競馬の方が本業だし、それに再来週は桜花賞だ。競馬人間にとっての新年正月だ。やらない訳にいかない。桜花賞はなあ、競輪選手だってみんな馬券買うんだぞ。おっさんこそ何だ。甲子園競輪も西宮競輪もなくなって、これからどうやって生きて行くんだ。寝返るんじゃないのか?転ぶんじゃないのか?
「分からんようだな、転びの競輪オヤジ。発情したメスのヒョウをカネ男にあてがうんだ、ははははは」
 おっさんは小山の上で卑猥な腰つきをしてそう言い(つまりこの場合おっさんはメスのヒョウなのだ)カンテラに照らされる横顔をほころばせる。まばらな白髪の長髪が春の宵風になびき、伸ばし放題の顎ひげに分け目が出来る。頬のあたりにはあちこちカミソリ負けのような傷があって、バンドエイド二、三枚貼ってるんだけど、そんなものじゃ全然おっつかない。ドンゴロスの肩布も揺れてるし、あっ、このおっさん、どこかで見たことあると思ったら、ジョージ秋山の描いた“デロリンマン”だ。
「カネ男が“うーん、もういやらしいなあ、このメスヒョウ、もうやっちゃう、オレ断然やっちゃう”と本気になったとき、そのヒョウのメスをさっと引き上げ、代わりにライオンのソノ子のオリへの通路を開けるんだ。男は悲しい。人間も悲しいがヒョウも悲しい。“もうこの際ライオンでも何でもいい、ちょっとグラマーなヒョウだと思えばいいんだ、オレやっちゃう、断然やっちゃう”とソノ子の背中に突進する。まるでシャブ中の特攻隊だ。ええじゃないかの桃井かおりだ。死の恐怖を発情が上回るんだ。阪神甲子園パーク一九五九年、あの六〇年安保前年、皇太子成婚ミッチーブームに沸き、若い女がみんなダッコちゃんという訳の分からない黒人形を二の腕に巻いて歩いていたあの年、ヒョウのキネ男は、いまだかつて数千万年のヒョウの歴史上ただの一頭も試みたことのない一世一代決死のセックスに挑んだ。ヒョウのオスがライオンのメスにセックスしに行った。今日と同じ春弥生三月の三日月の夜、このオレが立ってるこの小山から、あんたのいるその窪地に向かって、キネ男は命のペニス突き立てて突進したんだー!」
 デロリンマンのおっさんは小山の上でうずくまる。泣いているようにすら見える。そのうずくまる姿の上にレオポン檻跡地に出来た早咲きの桜の花びらが散り掛かる。
 花びらはおっさんの横の春風にはためくのぼりにも掛かる。黄色の木綿地の上にかすれた黒マジックで「桃井かおりが泣いている」と書かれている。まったく意味の分からないのぼりだった。
 その翌週、産経大阪杯の日の帰り、ぼくは仁川駅ホームでこのデロリンマンのおっさんを見た。ホームの向こう弁天池のほとり、満開の桜の下でやっぱり一人でがなっていた。のぼりは前と違って「染井吉野が泣いている」と書いてあった。でもやっぱり意味は分からない。
 ただ遠くから切れ切れに聞こえてくる声では「コマツオトメ」と「オオシマザクラ」との接合(ソメイヨシノという桜はこの二種の接合から生まれたらしい)、それを「このセックス(接合)は悲しい」とがなっているようだった。
 そんなひとのセックスを悲しいとか、悲惨だとか批評したって始まらないと思うのに、必死でがなっている。
 もちろんそんな意味不明の桜花賞予想話を聞きに行くような者は誰一人いなかった。
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