菊花賞“確認・喚呼”

  スポニチ2007年菊花賞特集号  


 亡くなった父は京阪電車の運転手をしていました。仕事と家族を大事にする実直な性格で、枚方の団地で、母とぼくと妹の四人のつましい生活をしていました。
 父は休日にはよく淀競馬場に連れて行ってくれました。父にはこれといった趣味はなかったですが、このたまに行く競馬と、大阪に出たときに寄る旭屋書店での立ち読みを数少ない楽しみにしていました。
 京阪電車の運転手が一番厳しく教えられるのは「指さし喚呼」です。もし京阪電車の一両目に乗ることがあったら運転手を見てみて下さい。
「P−38誘導信号、ようし」
 遙か遠くの信号機を指さして大声を出します。いい歳をした大人が誰もいない所で指を伸ばして大声出して、考えてみればおかしな行為です。でも父に言わせるとそこが大事らしいのです。
「最も大切な行為は最も異常に見える」
 これが父の口癖でした。「見てみろ、あいつ変やないか」と周りからウサン臭い目でジロジロ見られてこそ精神は高揚し確立すると言うんです。普段は物静かな父でしたが「“大切”と“異常”は同じだ」ということを力説するときだけは額に青筋立て、口から泡を飛ばすので、ぼくと妹は恐ろしく思いました。
 父と行く競馬も、ほんと言うと少し恥ずかしかったです。競馬場の窓口は馬券を渡すとき、係のおばちゃんが「ご確認ください」と言います。父は決まって「確認?」と聞き返します。
「はい、間違いがあるといけないのでね、確認してくださいね」
 そう言われると、父は渡された馬券をグイと伸ばし、右手をぶるぶる震わせて準備運動したかと思うと、人差し指一本をグイと出します。
「A−Cようし、A−Dようし、タテ目C−Dもようし」
 馬券を指さして大発声です。後ろにはすでに列が出来て何人も並んでいるのに、ぼくはただ恥ずかしく俯きました。
 ぼくが小六のとき、平成四年の菊花賞が父と来た最後の競馬です。キョウエイボーガンがミホノブルボンのハナを叩いたレースです。
「キョウエイボーガンようし、ミホノブルボンようし、マチカネタンホイザようし、ライスシャワーようし・・・」
 一周目のスタンド前、父は出走表と見比べながら一頭一頭“指さし喚呼”をします。そんな、一頭一頭確認しなくたって出走表の通りでしょう。大体、普通のファンはそんなことはしません。「ミホノブルボン、いいぞ」とか「ライスシャワー、落ち着いて」とか、自分の買っている馬を見ます。でも父はとりあえず全頭を指さして確認・喚呼です。「それってJRAの発走委員の人のやる仕事じゃあ・・・」とぼくはむにゃむにゃ言いますが、喚呼に夢中の父には届きませんでした。
    *
 父は本が好きでした。経済状況もあって、多くの本を読むのではありません。自分の好きな本を、手垢が付き、背表紙がはがれるほど読むという、そういうタイプの本好きでした。
「でかいアヒル、ようし」「黒いアヒル、ようし」「わ、空飛んだか、ようし」
 父は特にアンデルセンの本がお気に入りで、「みにくいアヒルの子」などを、何が「ようし」なのか分からない指さし喚呼を入れながら読んでいきます。
「わ、人魚姫、王子さまに捨てられて死んじゃうのか、・・・ようし」「かわいそうにマッチ売りの女の子死んだのか、・・・ようし」「貧乏はいやだ、・・・ようし」
 ほとんど訳が分かりません。父は人並み以上に涙もろい方で、特にアンデルセン童話は小さい女の子が死んでしまう話が多いので、読むたびに泣きます。もう何十回も読んで主人公が死ぬことなんか嫌というほど分かっているのに、それでも泣きます。おいおい涙を流しながら、それでもそれが指さし喚呼の大原則なんでしょう、必ず最後小さな声で「ようし」と付け加えます。なんでマッチ売りの少女が死んで「ようし」なんですか。
 こうなると、もうほとんど精神分裂的読書です。ことによれば、これが父の死期を早めたのかもしれません。
     *
 父が死んで数年経ったときの菊花賞のときでした。
 父が死んだあとも、ぼくは母に買ってもらったカメラを持って、一人で競馬場に通いました。中学生だからもちろん馬券は買いません。ただ父が好きだったサラブレッドや、馬場池の白鳥なんかを写真に撮るのが楽しくて、大人の間をすり抜けながら通っていました。
 でも不思議なんです。ぼくが写真を撮るとき「ビワハヤヒデようし」とか「ナリタブライアンようし」とか「池の白鳥ようし」とか、シャッター押す前に無意識に人差し指出して確認喚呼をやってしまってるんです。自分でも苦笑してしまいました。あれほど恥ずかしがってた父の指さし喚呼がいつの間にか自分の身についてるなんて。
「あそこに小太りのおっさんがおるやろ、あれがスポニチコラムのNや」
 ウィナーズサークル前にいるカメラお兄さんがスタンドの方を示して、ぼくに教えてくれました。ここのカメラマン仲間は相手が中学生でも結構親切にしてくれるんです。うちは父が生きている時からスポニチを宅配していて、このNという人のコラムも読んでました。そのことをこのカメラマンの溜まり場でも言っていたから、それで教えてくれたようです。
 そういえば、Nという人、見た感じもどことなく亡くなった父に似てます。
「あんた、ひょっとしてスポニチのNさん?」
 ぼくは嬉しくなってスタンドの階段を上り、そのNという人の横に行って声を掛けました。何だかうきうきと心が弾みました。
「な、なんや、お前、中学生か?」
 Nという人は意外なことを言いました。
「はあ、まあ」とぼくが応えると、Nは突然立ち上がり「何が悲しうて中学生から指さされなアカンねん!」と叫ぶと、ぼくの確認喚呼の人差し指をぐいっ折り曲げようとしたのです。
「あ、たたたた、やめろ、おっさん、痛いやろ、中学生の指をねじ曲げようとするのはお前か」
 ぼくは空いている左手の人差し指を出して「お前か?」と再び確認しようとしました。どんな場面においても、物事はまず確認です。
「こいつ、また人を指さしやがったな。お前の人差し指がオレの鼻に当たってるちゅうねん、この腐れ人差し指があ!」
 おっさんはぼくの左の人差し指まで握ろうとしました。
 まったく予想外れ、何が競馬コラムニストですか。ほんとに教養のない、チンケなただのおっさんでした。きっと、今までの人生「あいつや、あいつ、ククククク」と、周りから指さされ含み笑いされながら生きてきたんで、それで人一倍人差し指に敏感になってるんだと思います。
 それにしても“指さし喚呼”を理解できない人間が競馬場に来て、しかも競馬マスコミの端くれですとか言ってるなんて、ほんとに情けないです。一度京阪電車の研修所に行って人生で一番大切なことは何かを叩き込まれてくればいいんだ。
 ぼくは憤然とウィナーズサークル前まで戻ってきました。
 でもその日の菊花賞はよかったです。きらきら輝く栗毛マヤノトップガンが秋風にたてがみをなびかせてゴール板を駆け抜けました。黄色の手綱に黄色帽子、黄色に緑の縦縞の勝負服もみんな、秋の実りの稲田を表しているようで、ほんとに綺麗でした。
「タバラが勝った、タバラが勝った、わ、タバラが十字切った、タバラかっこいい、フランシスコ・タバラや」
 訳の分からない大声を出すおっさんがウィナーズ・サークル脇にいて、振り向くとNでした。まったくこのおっさん、全然ダメです。
 田原成貴が十字切ったように見えたのはほんの前哨戦です。田原は小さく十字描いたあと、口に手を持って行き、それからさっとその右手を大きく伸ばしました。あれは明らかに水平の先を示していました。右手の先に人差し指一本がピンと伸びていましたもん。
「カモ、ようし」「白鳥、ようし」「みにくいアヒルも、ようし」
 田原成貴は馬場池の水鳥に目をやり、一羽、一羽、確認喚呼してうなずいていたんです。嘘じゃありません。ぼくはウィナーズ・サークルの柵の前ではっきりと田原の確認の声を聞きました。
 なぜ菊花賞ゴール直後にそんなことをしたかは分かりません。ひょっとしたら、田原成貴は、休みの日にこっそり京阪電車の研修所行って、そこで人生で一番大切なことを学んでいたのかもしれません。


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