そうでありまの水天宮

  スポニチ2007年有馬記念特集号  

 
[ユ−ジとユ−コ]
 阪神競馬場1階にはフードコーナーという立ち食いスペースがあって、食べ物を持ち寄るテーブルでは、よく知らない人間同士が一緒になる。
「ねえユージ、いまの8R“2着争いが際どい”って放送してるけど、もしも写真判定でも判定できなかったらどうなるの?」
 向かいに立つ女はポテトチップスを口にくわえて隣の男に質問する。
「そういうときは同着ということになる」
 ユージと呼ばれた男はハンバーガーを口に入れ余裕で答える。多分“余裕のユーちゃん”と呼ばれているに違いない。
「え?その同着の場合、馬券はどうなるの?1着がBで2着がGとIで同着だったら?」
「BGとBI、馬連馬単は両方当たりになる」
「それって両方買ってる人は両方貰えるの?」
「いや、両方買ってる人は高い方だけ貰うことになる」
「え?BGとBIの馬券、両方入れたら?」
「高い方だけ払戻しが出てくる。コンピューターがちゃんと見てる」
「え、でも黙ってりゃ分からないんじゃないの?間あけて二つの馬券入れたら?え、どういうこと?誰か別の人に入れて貰ったらどうなるの?」
「ユーコもしつこいなあ。キミは食い下がる女か。嫌われるぞ、そんな女は、ははは。JRAもバカじゃないから、そんなことしたやつはブラックリストに載せて、次から馬券買えなくさせてしまうんや。払戻所のうしろでちゃんと警備員がメモしてるんや」
 ユーコは「そうお」などと納得しかけたが、ここは少し言ってやった方がいいだろう。「そういう場合は両方もらえると思うよ。ただ同着だと配当下がるけどね」
 キツネうどんのおじさんが向かいから突然口を出し、ユージとユーコは一瞬こっちを見たが、すぐに自分たちの場に戻る。「もうすぐ有馬記念よね」などと会話を再開するのだ。人から親切に教えられた真実に対してお前ら何にも感想ないのか、あーん。「あ、こりゃ一本取られました」とかって額叩くぐらいのことやったらどうなんだ。
「うん、今年の締めくくりのレースになる」
 ユージも自分の間違いなんか無頓着に、また余裕のユーちゃんをカマす。どうなっとるんだ、こいつらの精神構造は。
「でも宝塚記念や鳴尾記念てのは、ちゃんと阪神競馬場でやるのに、有馬記念だけはどうして関東でやるの?」
「ははは、食い下がるユーコもその質問はダメだぞ」と言いつつ、ユージはユーコの額をつつく。「有馬記念の“有馬”は有馬温泉の有馬じゃないんや。あれは有馬なんとかっていう中山グランプリ作った偉い人がいて、その人の有馬って名前から来てるんや」
「へえ、そうなの・・・」とユーコはまた納得しかかったが、ふと気づいてまたユージを見る。
「その有馬なんとかさんの、その有馬はどこから来たの?」
「は?」
「その人が“オレは有馬だ”っていうとき“なんでキミは有馬なんだ”って聞かれたらどうするのよ」
「ユーコ、何言っとるか分からん」
“食い下がるユーコ”と“余裕のユーちゃん”のコンビは、実は阪神フードコーナーの隠れ名物である。日曜午後2時過ぎ、8Rと9Rの間になると必ず現れるから、仁川に立ち寄ったらぜひ見に行って欲しい。

[ヨリヤス(頼寧)とヨリチカ(頼義)]
「お父さん、世間では“有馬の家は水天宮のお賽銭で食っている”と言っているそうです」
 ヨリチカは日本橋水天宮の社務所に勢い込んで入ってきた。
「そうでありま」
「は?」
 驚いた。ヨリチカはその情けないダジャレにも驚いたが、父は下働きの神官禰宜(ねぎ)の装束をつけて、小銭だらけの賽銭を「ひーふーみー、うーん、もうこの百円札、しわくちゃ」とかつまらないことを言いながら数えていたのである。
「お父さん、その格好は一体・・・」
「食っているんじゃない。食わせていただいているんだ」
「は?」
「あのな」とヨリヤスは顔を上げる。「この水天宮というのは元は有馬家江戸上屋敷の内にひっそりとあった。それが明治になってこの日本橋に移された。言ってみれば、家うちの神棚を引っ越しのときにレンタル物置に避難させたようなものだ。それがどうだ、いまじゃ有馬の家を知っている者は少ないが、水天宮は正月過ぎればこんなだ。こんな賽銭だらけだ。・・・有馬の家におカネ投げ入れて手を合わせる者をお前見たことがあるか?家よりもレンタル物置の方が有名になってしまったんだぞ、わあー!」
 ヨリヤスは突然声を上げ、両手で賽銭掻き分けて突っ伏す。
「お父さん・・・、お父さん、でも“情けありまの水天宮”って言葉、いまでもあるそうじゃないですか」
「聞いたことあるか?」「は?」「お前、その“情けありま”の地口(じぐち)、電車の中や病院の待合室で聞いたことあるか?ないだろ?でも“恐れ入りやの鬼子母神”は聞いたことあるだろ?江戸時代にはな、この二つは対の地口だったんだ、でもいつのまにか水天宮は鬼子母神に置いていかれてしまった、水天宮はこれだけ人気があるというのに、それでも鬼子母神には置いていかれてるんだ、ああ我は人気なるものを恨みたり」
「お父さん何言ってるんですか・・・」ヨリチカは放心する。「でもまあ」と気を取り直し「お父さんのA級戦犯とかって言われてた、あれも晴れて無罪となったし」
「ピース!」とヨリヤスは急に快活になって顔を上げ、指二本を出す。
「お父さん、ピースは軽いんじゃないですか」
「お前も直木賞取ったし」
「グレート!」と思わずヨリチカも親指を立てる。
「草津?」
 父の寂しいダジャレにヨリチカは咳払いをし、「でもお父さん、競馬会の理事長になるらしいじゃないですか」
「人気が欲しい」「え?」「初代の安田の伊左衛門さんが安田記念作ったからな、わしはプロ野球のオールスターみたいに人気投票で出走馬決める“有馬記念”やるんだ。そしたら、有馬さんて水天宮のお賽銭で食ってるそうねと言うやつが、水天宮って有馬記念の有馬さんのお社なんですか?と言うようになる。“そうでありまの水天宮”が“そうでありま記念の水天宮”になるんや」
「あ、お父さん、いま関西弁使いましたね?」
「うっぷ」とヨリヤスは自分の口を押さえる。「先祖が言わせた。一生の不覚だ。先祖が言わせてしもたんや、あ、“しもんたんや”って、また関西弁や、どないしょ、わし。今までひた隠しにしてきたけどな、わてとこはな、ほんまは赤松やったんや、播磨の片田舎赤松村の赤松や、でもな、ずいぶん時代が下ってからモチイエ(持家)っちゅう住宅公庫の係長みたいなやつが出てきて、こいつが有馬の温泉浸かりながら“オレ、有馬って名前にする”と急に宣言して“お前、赤松やないか”ってずいぶん言われたんやで、それでもそのモチイエ“いいや赤松は世を忍ぶ仮の名や、この有馬の黄金湯つかってたらはっきり分かった、オレは昔から有馬やったんや”とか急に言い出して、そんな軽佻浮薄な血筋やってことが、いま五百年のときを超えてオレの口を動かしてしもたんやって、ああ、またケツの軽い関西弁が口をついて出てるがな。アカへんやないかいな、先祖が悪いんや。持家なんていういうイカれた名前にサブプライムローンのたたりが下されなはったんや、ほんまやったら“有馬記念”やのうて“赤松記念”やったんや・・・。アカン、もうぜーんぶ関西弁になってしもた、あかんがな、どないしよ、旦はん、カンニンしておくれやっしゃあ」
「あんたは芦屋雁之助か」ヨリチカは寂しく突っ込んだ。

[オイマとアリマ]
 今参局(いままいりのつぼね・通称おいま)と赤松有馬持家は万年山相国承天禅寺(通称相国寺)の、その広大な境内の北西端、瑞春院塔頭(たっちゅう)書院にいた。折しも西洞院二条赤松邸において当主・満祐(みつすけ)が室町六代将軍義教(よしのり)に奸佞(かんねい)を及ぼして招聘(しょうへい)の上惨殺、世に言う嘉吉の乱で都全体上を下への大騒ぎの、そのさなかであった。
「烏丸資任(すけとう)も呼んでおる」
 上座に座った尼姿のおいまがにやりと笑う。
「世間では、おいま、ありま、からすまで“三魔”と呼ばれておるそうで」
「次期将軍三春坊(のちの義政)をたぶらかす三魔人か、うまいことを言うではないか」
「御意でございます。“有馬記念”も実は、室町の我々から言わせれば、“三魔記念”と称すべきものでございました」
「なるほど、それは権謀妙計、智者の末裔にふさわしい命名である、ほほほほ」

※どうにも字数尽きた(断じて筆者の怠慢のせいではない)。来年の「有馬タブロイド版」につなげる(つなげたい!)。

Copyright (c) 2004年 乗峯栄一 All rights reserved.
 

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