エンジェル・ダービー

  スポニチ2006年ダービー特集号  

           
 神奈川の東部、多摩丘陵地区というのはその名の通り、低い丘がいくつも波打っていて、そのふもとを縫うように多くの私鉄路線が走っている。たぶん大昔は例えばイギリス・ローランドのように青々としたジェントル・ウェーブが続いていたんだろう。でも今ではすべての丘は丸刈りにあったように整地され、うさぎ小屋が建ち並び、そして朝になれば住民たちがその宅地の丘からぞろぞろ坂を下ってふもとの駅に集合、丘の間の電車に乗って都心に向かう。
 わたしの場合は普通の勤め人と逆だ。普段は丘の中腹のうさぎ小屋から隣の丘の職場に歩いて通う。でも休日の朝になると、よくこのふもとの駅に向かう。府中競馬場に行くためだ。
 丘のふもとの青葉台駅から田園都市線という私鉄で溝ノ口駅まで行き、そこからJR南武線というやたら止まりまくる線に乗って多摩川沿いを北上、府中本町まで行く。もう何十年と通い慣れた行程だ。
 わたしはたばこ会社に勤めている。入社直後からこの横浜さくら台の研究所に配属になり、もう三十五年も同じ所に通っている。近くの青葉台(とにかく横浜は“○○台”という地名がやたら多い)の独身寮に入り、結婚して同じ敷地内の社宅に移り、十年近く前、妻が社宅を出て行ったあとも同じ所に居座っている。わたしはずっとこのあたりの丘と谷の間をウロウロしている。転勤もなく、武蔵野丘陵で一人で暮らし、二人で暮らし、そしていままた一人になり、三年後には定年を迎える。
 たばこ研究所といっても、わたしの場合は植物学の研究をやっている訳ではない。包装の研究をやってきた。大学の理学部を出て、当時の専売公社の研究所に勤めることになったんだから、当然最先端科学の研究をやるのだと思っていたら、「きみは営業研究の方が向いている」などと、どこが営業向きなのかも全く分からないまま勝手に決められて、以来たばこのパッケージばかり三十五年もいじくってきた。
 多摩プラーザ駅に近づく。なんでプラーザなのかと、ここ通るたびにいつもイライラする。プラザだろう、プラザ、と毎回思う。でもここの駅で乗降するやつらは何のためらいもなく「プラーザではね」などと言う。付和雷同集団の駅か、ここは。
 でも特に午前中、幹線道路の地下の暗闇を抜けて上昇し、プラーザ駅に近づくと、駅前の東急百貨店が朝日を浴びて巨大なシルエットを現す。わたしはこれを見るたび「シティ・オブ・エンジェル」という映画を思い出す。
 エンジェル(天使)のニコラス・ケイジが外科医のメグ・ライアンに惚れて、仲間の天使に「人間になりたい」と悩みを打ち明ける。その、二人がボソボソと話し合う場面、夜のロサンゼルス、フィゲロア・コンベンションセンターの暗く巨大な建物の最上階から突きだした足場に二人が座っている場面を思い出す。
「シティ・オブ・エンジェル」を観たころはまだ妻とよく話していた。
「あなた、小安敬二なんだから、そうよ、ニコラス・ケイジに似てる、“にこやす敬二”なーんてね、・・・そういえば、うん、うん、何となく伏し目がちの表情とか、この辺のハゲ具合とか、うん、いま気がついたけど、あなた、ニコラス・ケイジに似てるわよ」
 わたしの額のあたりを指差しながら、妻はそう言って笑っていた。
 フサイチコンコルドが戴冠し、奇跡のダービー馬とか言われて騒がれた頃だ。
 あのころ、ダービーだけはたいてい妻と一緒に出掛けていた。「ダンスインザダーク鉄板」と吹聴していたわたしはもちろん惨敗しショゲかえっていたが、妻は明るかった。
「もし女の子が出来たら風子(ふうこ)って名前付けましょうよ、フサイチコンコルドにちなんで。奇跡のダービー馬なんでしょ。きっと奇跡のような女の子になるわよ・・・、でもわたしももう四十だから、子供なんて無理かな」
 妻はそんなことも言っていた。
 妻に勧められて、わたしはフサイチコンルドのダービーの帰り、新百合ヶ丘のワーナー・マイカルで「シティ・オブ・エンジェル」を見た。妻は「買い物があるから新宿に寄って帰る」と言うので競馬場で別れた。でも、パート先の若い男と会っていた。一年後、離婚のときになってそのことが分かった。わたしがダービーの帰り「シティ・オブ・エンジェル」を見ていたとき、妻は若い男と新大久保のホテルにいた。
                  *
 わたしがパッケージ研究に携わって三十五年の間にたばこの包装は大きく変わった。
 入社してすぐの頃、政府からの指示で「健康のため吸いすぎに注意しましょう」という文言を箱の側面に入れることになった。国民的支持を得たハイセイコウがタケホープの急襲にやられたダービーの頃だ。
 たばこへの政府通達というのはこれ以後何度もあるけど、それらはいつも初夏の頃に来る。不思議なことだった。わたしは直前に終わったダービーと一緒になってすべての通達を記憶している。
 シンボリルドルフが無類の強さで無敗ダービー馬になった頃、専売公社は「たばこ産業株式会社」と名前を変え、アイネスフウジンがレコードタイムで逃げ切った頃「あなたの健康を損なうおそれがありますので」と但し書きを入れ、ニコチンやタールの量まで表示するようになった。
 そしてルドルフ以来の無敗のダービー馬ディープインパクトが出た昨年、箱の表と裏の両方に、これ以上ないだろうと思うほどの警告を入れることになる。表、裏、それぞれ三分の一のスペースを使って「毒」ということを表示する。
「喫煙者は肺がんにより死亡する危険性が4倍高くなります」「たばこを吸う妊婦は低出生体重の危険性が約2倍、早産の危険性が約3倍高くなります」「喫煙者は心筋梗塞により死亡する危険性が非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります」
 三十五年たばこ会社に勤めてきて、わたしがやった仕事は「これは毒だ」を自社製品に表示することだった。まるで「グリコ・森永」犯が「どくいり きけん たべたら しぬで」をチョコレートの包装紙に貼る、あの所作を仕事にしていたようなものだ。あの犯人の場合は企業の売り上げを落とす目的で貼ったが、我々の場合は自分で貼り出す。
 企業の不利益になることをして「やめて欲しい?だったらカネ出さなきゃ」と脅迫するグリコ・森永犯はある意味“まとも”だ。もし「グリコ・森永」犯が我々たばこ会社を脅し、商品に「どくいり きけん」を貼ったとしても、我々は「ありがとうございます、そうなんです、わたしら毒売ってるんです、ワアーッ!」と泣き叫び始めきゃいけない。狂気の世界だ。
 でも、おかしなことだけど、正直言うとこの自虐の仕事、どこか快感を伴う。テレビCM自粛、街頭広告も撤去、やることといえば「青少年たち、うちの製品を買うな」「大人たち、うちの製品は体に悪いし、他人の迷惑になる、それが分からないのか?」とキャンペーンを張る。この自己否定行動が「オレたちは渡世人の裏街道歩いてんだぞ」と座頭市のセリフを演じている、そんな背徳の快感がある。
 競馬場には最近この自虐が消えつつある。競馬は健全市民レクリエーションの一つとなり、それはいいことなんだろうけど、反面あの何となく世間に背を向けるような、競馬話では無意識に小声になるような、昔あったあの背徳ムードが懐かしい。
 例えば府中競馬場四コーナーの隅に「競馬被災館」を作る。黒塗りモルタル、粗末な掘っ立て小屋だ。カーテン開けると「競馬が招いた悲惨な事件展」がひっそり開催されていて、競馬原因事件の写真パネルが並ぶ。
「だめよ、おにいさん、まっとな道、歩かなきゃ」
 女がこっちを見て言う。胸には「JRA職員」のネームプレートがあるが、女はなぜか矢ガスリに紺タスキ、壁にもたれてたばこまで吸う。これは昭和初期、カフェ店員のスタイルだ。
「いいんだ、オレどうせヤサグレてるから」とスネて脚もと蹴っていると「しょうがない人ねえ」と女は苦笑してこっちに腕をからませ「どれにする?」とカーテンを開ける。
 そこは「家族路頭」ルーム、「公金横領」ルーム、「自己破産」ルームと部屋が分かれ、どの部屋からも「ギャーッ!」という悲鳴や「死んでやるー!」という叫び声が聞こえてくる。
「ね、わたしたち、毒売ってるの、それでもおにいさん、競馬やる?」
 矢ガスリ競馬職員の問いにこっくりうなずき、彼女の手を握りしめて中に入る。
 こういう競馬もたまにはいいと思うが、これも長年“たばこ自虐人間”やっている者のひがみなんだろうか。
                *
 府中競馬場に着くと、いつもながら人の多さに圧倒される。去年はディープ、ディープで沸き返っていたけど、今年のような混戦ダービーは、それはそれでまたワクワクするものがある。わたしはメモリアル・スタンド裏にある競馬博物館に競馬新聞持って入る。ここには馬券窓口がないからダービーのようなごった返す日でも、じっくりその日一日の検討結果を反芻できる。
 わたしの“定位置”の歴代ダービー馬パネルの前に来ると、女が軽くこっち見て会釈する。ときどきこの競馬博物館で見る顔だ。ショートヘアで麻のジャケット着て、ちょっと鼻が上向いてて、何となくメグ・ライアンに似ていなくもない。
 わたしはニコラス・ケイジだった十年前より猛然と禿げ上がったし、綿コートで隠してはいるが腹もぷっくり出ている。もう恋のどうのという歳ではない。でもと自虐中年は思い直す。「シティ・オブ・エンジェル」では“エンジェル”はみな中年男だった。でっぷり太って心臓病煩っていたり、よれよれの黒マントを羽織って泣きそうな顔をしていたり、「どこがエンジェルじゃ」と突っ込みたくなる男ばかりだった。
「ときどきここで会いますね」
 "メグ・ライアンもどき”が声を掛けてきた。えらいことだ。
「何してる方なんですか?いや、あの、普通の競馬ファンならすぐに馬券売り場に行くじゃないですか、いつもここでゆっくりされてるから・・・」
“もどき”はやっぱり微笑んでいる。怪しい。最近は女のコーチ屋も増えているらしいし、スリのおとりに女を使うという話も聞く。
「メッセンジャーかな」
 わたしは財布を入れている内ポケットを押さえながらボソッと答える。
「メッセンジャー?」と“もどき”は首を傾げる。
「シティ」では図書館の本棚の陰からじっと見るニコラス・ケイジにメグ・ライアンが「仕事は何?」と聞く。ニコラスが「メッセンジャー」とボソリと言うと、「ああバイク便の?」とメグが言い、「いや、違う、つまり神の」とニコラスが口ごもる。
「ああ、幽霊会社の秘書代行とか、ああいう・・・詐欺みたいな」
 女は言ったあと“しまった”と思って、小さく首を振る。
「いや、何ていうか、毒の」
 そう言ってわたしは苦笑する。女も訳が分からずハニカむ。
 ひょっとしたらまだ捨てたものではないかもしれない。たとえ毒に関するものでも、わたしはメッセンジャーに違いない。それに「本人もそれと気づかないエンジェルだっている」とニコラス・ケイジは泣きそうな顔でそんなことも言っていたからだ。


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