リアル・サンタクロース

  スポニチ2005年有馬記念特集号  


 ぼくは中学入学と同時に岡山の山奥から姫路の学校に転校した。今から考えれば、姫路というのは単なる一地方都市である。どうということはない。しかし絶壁の山の中から出てきた子供にとっては戦々恐々の都会だった。ぼくの思春期はこの都会へのコンプレックスの中で始まった。
 岡山弁を笑われるのが怖くて、入学後しばらく、ぼくはただ寡黙に過ごしていたが、ある日山口くんという、ちょっとマセた感じのが同級生が寄ってきた。
「体の中で一番汚い所はどこか知っトウか?」
 山口くんは播州弁でいきなり聞いてきた。これが初めて会話する人間に聞く質問だろうか。
「分からへんか?ここ、ズボンやスカートのここの所や」
 山口くんはそう言ってぼくの腰をつつく。
「便所から出るときここを掴んでズボン上げるやろ。そやから体の中で一番汚いんや」
「でもそれじゃったら、手の方が汚かろう」とぼくも岡山弁で恐る恐る反論する。
「アホか、手は洗うやないか、ウンコしたあと。尻の穴も紙で拭くやろ、ウンコしたあと。でもスボンのベルトはウンコしたあと洗うか?便所出るたびに洗うか?」
 山口くんは自信満々である。
「ほれ、今井のスカート、見てみ」
 山口くんはぼくの耳元でクラスで一番目立つ今井恵子(中一にして、すでにプリプリの体つきをしていた)の方を見てみろと言う。
「あの今井のセーラー服の下の腰の所、あれが一番汚い所や。テカテカ光っとるやろ。小便のあとパンツ履いてそれからあそこ両手で持ってスカート引き上げるからな」
 ウブ少年の頭にはプリプリ今井恵子がかがんで小便したり、パンツやスカートをたくし上げたりという妄想が浮かんで、まともに今井恵子の顔を見られなくなった。
 山口くんは生まれついてのコーチ屋だった。見返りが欲しいとかそういうのではなく、とにかく人に指導することを無上の喜びとするタイプの人間だ。わが屈折の性は、この山口くんによって見事に開花させられた。
 放課後の校庭そうじの時間、生け垣の陰が“山口・性講義教室”の会場だった。
 落ち葉をチョロチョロっと履いて格好をつけると、山口くんが小さく召集号令を掛ける。
「ええか、女には四つの穴がある」
 山口くんはいつもいきなり本題から入る。
 山口くんは竹ぼうきを逆さにして自信満々に地面に大きな女の股ぐらを書き始める。“教え子”たちは一斉に中腰になって、それを覗き込む。
「シッコする穴と、ウンコする穴、それに子供を生む穴と、アレを突っ込む穴や」
 いがぐり頭にズングリした体型の山口くんが核心部分の素描に入る。みんな急激に緊張状態突入だ。講師はピチピチの学生服を窮屈そうに動かしながら、地面に書かれた女の足と足の間に同じ大きさの丸を、まるでコンパスでも使ったかのように丁寧に四つ描く。
「何かボーリングの玉の穴みたいやなあ」と教え子から感想が出る。
「ええとこに気がついたガイや。ボーリングの穴は女の股から考えられとうガイや」
 山口くんは背を起こし、竹ぼうきをかたわらに突き立て、播州弁で自信満々に答える。
「四つともおんなじ大きさケエ?」
 教え子の一人が半歩踏み出し熱心な質問をする。授業中にはとても見られない熱心さである。
「おんなじ大きさや」
 またしても山口くんは即答する。
「入れるとき間違わへんのかいや」
 鋭い質問が出て、みな「おう、おう」と激しくうなずく。「そんなもん、絶対間違うガイや」と強い同調も出る。
「上から三つ目や」と山口講師が一きわ高い声を出す。
「ええか、間違えたらえらいことや。チンチンがウンコまみれになったり、シッコまみれになって使い物にならんようになるからな」
 山口くんは絵の所で膝を折り、周りをグルッと見回して丸一つ一つについて説明を始める。
「この一番目がシッコが出る穴、いつもだいたい濡れとうガイや。二番目が子供の出る穴、若いうちはフタされとるケ、これもだいたい分かる。四番目はウンコ、これは臭いガイや。入れてええのは三番目だけや」
「それしっかり覚えとかなアカンな。三番目やな。その場になったら慌てて間違えそうやもんな」
「女がどうぞと股を開くやろ。ズラッと穴が四つ並んどるガイや。さあどれに入れる?っていう、これは飛び込みゲームみたいなもんや。ほかの三つに飛び込んだらズブ濡れになる上に、女から“ヘタッ!”とか言われて、二度と股を開いてくれるかいや。とにかく上から三つ目や、ええか」
 山口くんはそう言って竹ぼうきを突き立て遠い空を見あげる。「どうだ」というポーズだが、ぼくを含め教え子全員はその姿は見ず、四つの穴を一心不乱に見続ける。
 山口くんは中二の二学期の終業式の日、突然転校していった。担任の話では「お父さんの仕事の関係で」ということだが、「山口んとこな、新しいおカンが来るんや、それで山口は邪魔やいうことになって、奈良のおばあちゃんとこへ預けられるらしい」とクラスの“事情通”がまるで見てきたように教えてくれた。
 山口くんはカバンを持たず、いつも白い(といっても手あかで黒ずんでいたが)袋を抱えて学校に来ていた。返された図画や、技工で作った本立てや、机の中に置きっぱなしにしていた教科書なんかをその袋に入れ、肩に掛けて校門から出て行った。ちょうどクリスマスイヴの日で、ぼくは教室の窓から山口くんの後ろ姿を見ながら「サンタクロースみたいやなあ」と呟いた。           *
 一九九四年クリスマスイヴ、ぼくは難波の場外馬券売り場にいた。
 大阪球場外壁と馬券発売ビルとの間の通路に強い西日が入り込んでいた。南海ホークスはずいぶん前に九州に移り、球場では既に野球はやってない。でもフィールドには展示住宅が立ち並び、それを昔のままのバカ高い外野スタンドが取り囲んでいる。訳が分からん。
 ゴッタ返していた馬券売場も閑散としてきた。翌日の有馬前日発売を買う客が残るだけだ。
「クリスマス有馬記念には主イエスさまのご降臨がある」
 か細い声が聞こえてくる。たぶん“予想屋”か“コーチ屋”だろう。どちらにしろJRA場内取締り対象の行為だ。建物外のこの通路がJRAの敷地なのかどうかは微妙だが、とにかく声の主は取締りを警戒して慎重だ。まるで独り言のようにボソボソ言っている。
「わが迷える子羊たちは寒風のなか、今日もけなげに予想紙小脇に抱えてウロウロしているだろうか。この時期になると“出るぞ、出るぞ”とまるでテッチリ屋の白子のように我々の事を言うので今日は少し抗議にきた。我々リアル・サンタクロースはそうしょっちゅうは出ない。商店街の大売り出しでビラ配ったり、パチンコ屋の新装開店で太鼓叩いたりはしない。あんなのは全然サンタクロースじゃない」
 男は間断なく歩いているが、気持ちが高揚してきたのか、声は徐々に大きくなり、時々顔を上げて辺りを窺ったりしている。
「じゃクリスマス以外はどこで何をしているんだという疑問も沸くかもしれない。その質問はリアルだ。許す。フィンランド極北ラップランドにトナカイ・トレーニングセンターがあって、朝になるとくわえタバコのサンタクロースたちがゾロゾロ集まってくるという噂もある。かなりリアルな話だが、残念ながら彼らはサンタではない。彼らは“トナカイ調教助手”と呼ばれる。
 クリスマスイヴになるとヒゲ生やした無慮大数のサンタがWINSに集まり“カネ返さんかい、武豊”と赤帽叩きつけて怒鳴っているという噂もあるが、あれもサンタではない。夜中に“ごめんね”などと意味もなく謝り、こっそり子供の枕元にプレ・ステを置く臆病者のえせサンタだ。
 真実のサンタクロースはラップランドにはいない。もちろんWINSにもいない。もっともっとあたなたち迷える子羊の近く、例えば家のトイレの前に立っていたりする」
 男は完全に立ち止まる。
「いいか、迷える子羊たち、丸は四つ、グリグリ三冠馬ナリタブライアン、女傑ヒシアマゾン、春天皇賞馬ライスシャワーに、秋天皇賞馬ネーハイシーザー、この四頭に絞れるガイや」
 男が白袋から取り出した予想紙には、几帳面に同じ大きさの丸が四つ、馬名の上に描かれている。
 ぼくは思わず男の顔を見る。怪しげな黒の中折れ帽をかぶっていて顔はよく分からないけど、でもその予想紙の丸には見覚えがある。たぶん間違いない。中二の冬に別れてからもう二十五年経つけど、声にも口ぶりにも面影はある。
「問題はどの丸にカネ入れるかや」
 男はさらに丸入り予想紙を突き出す。このセリフも竹ぼうき片手に聞いたアレだ。
 男の周りには「何事?」という感じで三、四人の競馬客が集まり始める。それと同時にその客の後ろから、トレンチコート着た男(たぶん私服警備員だ)とJRAの制服着た男が割って入り、「ちょっとこっち来て」と男の両脇を固めた。
「え、何?」と男は一瞬慌てるが、連行される直前、「あ、そこの白い袋取って」と周りに言い、地面に落ちた袋を拾ってもらって肩に掛ける。
「見えんか、ワシのこの、リアル・サンタクロースの背中が」
 男はそう言って、視線で自分の背中の白袋を示す。まるで高倉健が背中の上り竜を見せるような雰囲気だ。
「ええか、迷える子羊たち、クリスマス有馬記念は主イエスさまが降臨なさるとじゃ。1・2倍の三冠馬は負けると、主イエスさまはそう言いなはっとるとじゃあ」
 中折れ帽子男はそう叫びながら連れていかれた。
 翌日、単勝1・2倍の三冠馬ナリタブライアンは女傑に三馬身差をつけて見事に圧勝した。
 クリスマス有馬には四冠馬が出る?これは固いかもしれない。クリスマス有馬にはリアル・サンタクロース?これはさあどうだろうか。


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