フタマタの街

  スポニチ2004年有馬記念特集号  

「フタマタの街」


 別に来たくてここにいるわけじゃない。父親が木曽のローカル駅の国鉄マンだった関係で何となくJRに憧れて、JRならやっぱり東日本だろうと漠然と感じていた。父親が昔の連続ドラマ「旅路」の中の東京駅長の話をよくしていて、無意識に憧れていたんだと思う。地元の工業高校出たあと、JR東日本の入社試験受けたら案外簡単に受かった。オレ、こうみえても一般教養強いんだ。
 満を持しての上京、まあ憧れの東京駅とまではいかなくても、渋谷、新宿、池袋あたりはいくんじゃないか、緑と学生の街、上野やお茶の水も悪くない、原宿や恵比寿ならファッショナブルだなとか色々考えた。映画やドラマの舞台に立つ自分、大都会の雑踏の入り口を仕切る自分をイメージしてわくわくした。
 とにかくどこに配属されるにしたって、国に帰ったら「オレか、オレはいま東京で働いてる」と言う。「へえ、東京のどこ?」とヤツらすぐに聞き返してくる。木曽の人間はとにかくすぐに確認するんだ。不思議な地域性だ。オレは「渋谷」とか「お茶の水」とか、ちょっと斜に構えて答える。「へえ、渋谷ってあの渋谷かあ」とか「お茶の水か、聞いたことあるよ」とかヤツらきっと瞳を輝かせる。名前に弱いのもわが木曽の地域性だ。
 新人研修のあと、どきどきして配属先を待っていたら「二俣新町駅」という辞令をもらった。
「にてんしんまち?にほしんまち?」
 オレは駅名の漢字を読めなかった。こう見えてもオレは駅名には詳しい。父親が便所の戸いっぱいに「全国国鉄路線図」ってのを張り出していたから、子供の頃から得意だった。山手線だって東海道新幹線だって、端から端までぜんぶ宙で言えて、小学校の頃なんか、橋本健司っていうオレの名前から「駅名のハシケン」とまであだ名されたぐらいだ。でも知らない、「二俣新町」なんて。第一、読めもしない。何だこれ、ほんとに駅名か。
「ふたまたしんまち」
 人事課職員が首を傾げているオレを見て、苦々しそうに言う。
「ふたまたしんまち?」
「ふたまたしんまち」
 人事課員が俯いたままぶっきらぼうに繰り返す。
「これ、駅ですか?」
「なに?」と人事課員が顔を上げる。
「いや、こんな駅、聞いたことないです、あ、オレ、こう見えても駅名には自信あるんです、山の手線だってソラで言えるんです、東京、神田、秋葉原、御徒町、あ、これはいま内回りで言ってますからね、え、外回りで言った方がいいですか?外回りの方がいいですかね、外回りだとですね、東京、有楽町、新橋・・・」
「駅だ」
 人事課員がオレの言葉をさえぎるように言う。
「は?」
「駅に決まっとる、二俣新町駅だ」
「あ、でも、でもですね、これ、何線ですか?こんな駅名聞いたことないんですけど」
「京葉線」
「京葉線?」
「こんど新しく開通した線だ」
 人事課員は下を向いたまま不機嫌そうに言って、オレはこの京葉線・二俣新町駅の配属になった。もう十五年も前のことだ。
 同期入社のやつたちは次々転勤し、ターミナル駅に移ったり、本社勤務になったり、下級管理職になった者だっているのに、オレは忘れ去られているのか、この駅名すら世間に知られない二俣新町駅一筋だ。どうなっとるんだ。
 もちろん国に帰ったって黙っている。言えやしないよ。みんな「え?」だ。「え、何それ、どこの駅?」「え?え?え?」の大合唱だ。新しい駅でもディズニーランドの「舞浜」や、お台場に通じる「新木場」あたりなら、まだシャレている。でも二俣新町にはほんとに何もないのだ。
 鉄道用語に「デルタ線」というのがある。路線がちょうど正三角形(ギリシア文字のデルタに似ている)のようになっている線路形で、一方向にしか走れない貨物列車の方向転換などに適している。
 ちょうど自動車の空き地利用の切り返しのように、左から来た貨物列車は一旦正三角形の頂点の方に突っ込んでいき、最後尾が頂点を過ぎたところで、今度は後ろ向きに右側の角に向けて進む。で、後ろ向き列車の最後尾(運転車両部分)が右側の角をバックで通り過ぎたところで今度は正三角形の底辺部分を、入ってきたのとは逆向きに前進していく。いわゆるスイッチバックというやつだ。
 京葉線というのはもともとは貨物用線路だった。でも東京湾岸の人口増加に伴って急きょ旅客化した。それで貨物線時代の名残り、船橋近辺のデルタ部分がそのまま残されたのだ。これが二俣新町駅の不幸の始まりだった。
 正三角形の左の角が「市川塩浜」、上の頂点が「西船橋」、右の角が「南船橋」の各駅で、「二俣新町」はなぜか正三角形の底辺部分の真ん中に取り残されてしまった。
 一九八八年に全線開通した京葉線は東京駅から千葉の東にある蘇我駅まで全長四十三キロの路線だ。しかし正確には京葉線はこれだけではない。市川塩浜から西船橋までと、西船橋から南船橋までの、それぞれ五キロほどの支線(正三角形の二辺)も含んでいる。東西に延びる四三キロの本線のほかに、その途中にマッチ棒を画用紙において作った屋根のような二本の支線(五キロずつ)を抱えている。こんなおかしな旅客線はJR総延長二万キロの中で京葉線以外にはない。
 最初の構想はおそらくこうじゃなかった。二俣新町はその名の通り、ふたまたに分かれた線路をつなぐ結節点となるはずだった。でも二俣新町ひと駅で千葉に向かう京葉線と埼玉に向かう武蔵野線を交差させるにはカーブが急過ぎて用をなさなかった。おかげで二俣新町は京葉線の中の化石のごとく無惨な姿をさらすことになった。
 京葉線の利用者数は飛躍的に伸びている。市川塩浜の手前「舞浜」、昔は泥船とアサリ漁だけが取り柄の漁村だったけど、いまやディズニーランドの駅として全国OLたちの憧れになった。千葉の手前、幕張は国際コンベンション新都心などと銘打たれて、高層ビルがバンバン建っている。正三角形の頂点・西船橋は中山競馬場への入り口だし、正三角形の右角・南船橋は船橋競馬場と船橋オートの玄関になっている。ギャンブル・メッカ路線としても有名だ。
 その利用者数増加に対応するために快速電車が全体の七割に達するようになった。もちろん快速は貨物デルタ線の遺物・二俣新町には見向きもしない。松戸から埼玉に向けて北上する武蔵野線への乗り入れ本数も飛躍的に増加したが、この電車は二俣新町の手前・市川塩浜(正三角形の左角)から正三角形の左辺を通って北上していく。寂しいことだ。京葉線の繁栄の中で一人「二俣新町」だけがどんどん落ち込んでいく。
 この取り残された幻のターミナル駅・二俣新町で、何の因果か、オレはもう十五年も勤務している。
      *
 二俣新町駅の改札にいると戸惑った顔をしてやってくる客がいる。それは大きく二種類に分かれる。
「わたしたちね、ディズニーランド行ってきたの」と言うのはディズニーランド組だ。
 バカ女とイカレ男のカップルが、ミッキーマウスとドナルドダックの面から鼻だけにゅっと出して近づいてくる。
「ほーら、駅員さん、バアーッ、ウギャギャギャ」
 オレは無視して切符の整理を続ける。
「駅員さーん、わたしたち、東京駅に戻りたいの、ニュウ」とまたミッキーマウスから自分の鼻を出し、「ウギャギャギャ」と笑う。
「でもミッキーとドナルドは道に迷ってしまったのでーす、ウギャギャギャ」
「東京駅は逆方向です」
 オレは呆れて俯いたまま吐き捨てるように言う。
「えー、逆方向?これは“ミスシー”マウス」「我々は“ドウナルノ”ダック」と二人で言って、またウヒャヒャヒャと自分らだけで受ける。
「で駅員さん、東京行きの快速は次いつ来るの?わたしたちは結構急いでいるのだダック、ヒョヒョ」
「二俣新町は快速は止まらンビアナイト」
 オレは頭に来て、訳の分からないことを言う。
「つまらねえ駅だな、名前も変だしよ」
 そう言いながら、ウギャギャの二人も結構落ち込んで、降りてきた階段をまたとぼとぼ上がっていく。二俣新町の怖さを少しは思い知ったことと思う。
 特に暮れの時期になると、競馬新聞持ったおじさんもよくやってくる。これがもう一種類の組だ。去年もやってきた。
「中山競馬場行こうと思うたんやけど、どうなってんねん、この線は」
 関西人のようだ。有馬記念とかいうビッグレースが近くなると、この手のアクの強い関西人が京葉線の魔のデルタラインに惑わされてよく泣きついてくる。
 正三角形デルタの頂点・西船橋からさらに北に向かう線は武蔵野線と呼ばれる。千葉県松戸から埼玉県浦和、さらにぐるっと回って東京都府中に下りてくる。競輪の松戸、競馬の浦和、オートの川口を巡り、さらに中山競馬場に行くのに府中本町行きに乗るという、この不可解さから“ギャンブル線”と呼ぶ人もいる(特に東京近郊にはギャンブル場が多いから近郊を周回する線は必然的にギャンブル場近くを通る。それだけのことだが、ギャンブル好きたちは駅名見て異様に盛り上がり、こんな呼び名を付ける、迷惑な話だ)。
 この線に乗る人は二俣新町まで来てはいけない。乗り過ごしだ。しかし乗り過ごしだからといって逆戻りする必要はない。次の南船橋(正三角形の右角)まで行き西船橋に向けて正三角形の右辺を上ればいい。
 しかしこの感覚を、特に初めてやってきた人間に納得させるのは難しい。乗り過ごしたのに、さらに次の駅まで行って別の線で引き返すというのは、通常は大変なロスだからだ。こういう人には京葉線の成り立ちから、デルタ線の機微に触れ、また三角定規を取り出し、正三角形の定義まで言って説明することすらある。オレはJRの歩く説明責任なのだ。
「中山競馬場は西船橋かその次の船橋法典です。武蔵野線ですね」
「オレは東京駅から京葉線に乗り、武蔵野線に乗り換えたら中山競馬場に自然に着くって教わったんや、それで、あの東京駅の京葉線ホームに向かう長い地下道にも耐えてきたんや」
 おじさんは急に俯き、何やら唇を噛んでいるようだ。京葉線の地下道歩くぐらいでそんなに悔しかったんだろうか。訳が分からん。
「あ、ですから、京葉線に乗った場合は武蔵野線に乗り換えていただく必要があるんです」
「乗り換えるのはどこや」
「ここ二俣新町の一つ手前の市川塩浜ですね、または次の南船橋まで行って乗り換える手もありますが」
「じゃなんで二俣って付けた?」
「は?」
「フタマタって言うんやろ、ここ? フタマタなら線路の分かれ道って思うやないか、誰でもそう思うやないか、この駅のどこが分かれ道や、ずうっと一本の線路しかないやないか」
 関西から来た自称競馬作家は天井の高架橋を指差しながら必死に抗議する。
「それはですね、この京葉線というのがもともと貨物線でして、貨物列車は向きを変えるのに、こう、グイーッっていうスイッチバックを使うんです、こう、グイーッていう」
 オレが腕をスイングさせてスイッチバックとデルタ線の怪を説明しているのに、オッサンは聞いてない。
「どこがフタマタや、おかげで七レース間に合わなくなった、せっかく有馬の資金稼ごう思たのに、関西から一緒にマイネルマクロスいう馬が、わたしを買って下さい、ええどうぞ買って下さい言うて、一緒に新幹線に乗ってきたんや、そうやマイネルマクロスと隣りの席やったんや、グリーン車でな、東京駅で分かれるとき、“残念ながらわたしはここからは馬運車で行かないといけません、そういう規則なんです、社長さんは京葉線で行くんですよね、ぜひ向こうで会いましょう、儲けていただきますから、はい七レース、ホープフル・ステークスですからね、きっとぼくを買って下さいよと言われ、おおよし、分かった、こんな情に厚い馬に会ったのは初めてや、有りガネ買ってやると八重洲の地下道で固い握手して分かれたんや、えー、どうしてくれる、この詐欺師、フタマタ野郎、カネ返せ」
 自称競馬作家は激高してオレのJR制服の襟首をつかんで詰め寄ってきた。
 そのとき、たまたま駅長室のテレビに競馬中継が映っていて、七レース、そのマイネルマクロスとかいう馬は惜しいところで三着になったようで、自称競馬作家はばつが悪くなったのか、グフフフンみたな咳払いした。
「ま、情の厚い馬なんてのは、信用に足らん、そんなことはオレは初めから分かっていた、あえて騙されていた?まあ、はっきり言えばそういうことになるかな、うん、あえて騙された、ヌハハハハ」
 そんな訳の分からないことを言って、その男は去って行った。
      *
 ここ数年、クリスマス近く、オレがホームの乗降係をしていると、不思議な女性客を目撃するようになった。
 千葉方面下り各駅停車が発車する寸前、ドアから身を乗り出して「あのう、ディズニーランドはどう行ったらいいんですか?」とこっちに向かって叫んでいる。歩く説明責任が慌てて説明しに行こうとすると、ドアが締まり、その女は相変わらずドア越しにディズニーランドの案内図見せて何か言ってるんだけど全然聞こえなくて、電車は千葉方向にどんどん進んでいく。ディズニーランドは遠くなるばかりだ。
 あの女の子どうしただろうと心配していた数日後、今度は東京方面に向かう電車のドアから身を乗り出して「中山競馬場はどう行ったらいいんですか?」と叫んでいる女性客がいた。
 おんなじ女だ。間違いない。
 オレはまた急いで寄って行こうとしたけど、またドアが締まって、女は今度は競馬新聞見せながら何かドア越しに言うんだけど、聞こえない。電車は発車して、中山競馬場のある西船橋はどんどん遠くなっていく。最低でも次の市川塩浜では乗り換えないといけないんだけど、大丈夫かなあ。
 事務室に戻ってその話をすると、駅長は笑った。
「健司くん、そいつは二俣(フタマタ)女だ」
「フタマタ女?」
「騙されちゃダメだぞ、ディズニーランドと中山競馬場の両方を聞く女はフタマタ女だって、これはこの駅が貨物線専用だった頃から言われていることだ。ハハア、久しぶりに出たな、フタマタ女」
 駅長は笑ったけど、ぼくは信じなかった。その女の子の表情、ほんとに真剣だったんだ。それにちょっとかわいかったし・・・。
 言い伝えより、ぼくの見立ての方が正しかった。その女の子、今年の春から、この二俣新町のキオスクで新聞やガム売るようになったんだ。駅長面接のときにはちゃんと乗り過ごさずにやってきたし。
 名前はメリー。本人がそう言っている。たぶんキャバクラか何かに勤めていたときの名前だろう。でも本人がそれがいいなら訳の分からないメリーでもいいじゃないかと思っている。
 今年は二五日と二六日の両方に公休取った。二五日はディズニーランドのクリスマス・パレード、二六日には有馬記念だ。
 健とメリーのフタマタ恋愛が始まってるんだ。


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