83年、初めて書いた「こうであって、なぜこうでなければならないか」という小説が「野性時代新人文学賞の最終候補に残り、選考委員三田誠広氏らの支持を得るも落選し、候補作ともう一作が野性時代に掲載されたが(白地社刊「頬に風花、胸に修羅」所収)長く低迷していた。「そうだ、やっぱりセックス書こう」と「そうだ、京都へ行こう」のノリで思いつき、ぼくの場合、セックス・青春=奈良林祥の「HOW TO SEX」、インポ=奈良林祥言うところのマザコン男、だから、それ書こうと思い、92年の「小説新潮」新人文学賞に投稿したら、最終選考に残り、選考委員の筒井康隆氏、井上ひさし氏の一定の評価を得るも、またしても佳作にとどまる。 2011年 乗峯栄一
今回は野性時代の時と違って、授賞式なるものにも出席したが、新人賞本賞の人と違って、用意してきた挨拶をさせてもらえなかった。
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