なにわ忠臣蔵伝説

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  八章  

 桜の季節の頃、師匠・雪まじりにいい話が舞い込んできました。テレビのレギュラーです。
 講釈師というのはもちろん講釈席で食べていけるのが本来の姿なのですが、東西を問わず、今の講釈界というのはそういう状態ではありません。特にわが一門の場合は定席というのはただ数人の常連との顔つなぎのためだけにやっているようなもので、実入りなどありません。
 おいしいのは各種団体の忘年会やカラオケ大会の司会です。相場は1日2万円ぐらいで、これが月に5本もあれば、何とか最低限度生活を維持できます。一門の宴会では必ず最後に「我々は縄文時代でも生きられるぞ、オー」と訳の分からない決めゼリフで気勢を上げます。ほんとに粗食に耐えること、人にごちそうになることは老いも若きも一門の特技です。しかし、このおいしい司会の仕事はこのところの不況でめっきり減りました。どの団体も身内の芸達者がやることが多いし、プロの司会者や落語家などの笑いのテクニックを持った芸人の方がどうしても好まれるようです。
 現在、一門八人の主な収入源(大師匠だけは府からの古典芸能共済金と国民年金で暮らしていますが)は各地のスーパーの新装開店や町の子供祭りなどでの余興です。自慢じゃないですが、わたし、この余興だけは自信があります。鍛えられました。
 わたしの得意は南京玉スダレと紙芝居です。どちらも難しいものではありません。玉スダレというのはスダレで国旗の形にしたり、柳の形にしたりして見せる余興です。特殊技術のようですが、はじめからスダレがそういう変形するよう糸を編んであるのですから、三日もあれば覚えられます。あとの問題はつまらない技術を口八丁でいかに仰々しく見せるかということです。
 わたしはこれに自信があります。自分で言うのも変ですが、わたしは人が集まってくると、何か一発かましてコイツら驚かしてやろうという意欲がモクモク沸いてくるのです。
 「あ、サテ、サテ、サテは南京玉スダレ」という定番のかけ声を出しながら、前でアクビなんかしているガキがいたら素知らぬ顔で蹴飛ばしてやります。結構度胸あるのです。
 師匠・雪まじりは弟子の口から言うのもおかしいですが、話芸はかなりの水準にあると思います。現在、講談界の主流は東京ですが、その東京の師匠連中にも決して負けない話芸です。古典の持ちネタも図書館に通い詰めたりして自分で開拓したりして、その熱意にも感心します。でも師匠の最大の弱点は大舞台になればなるほど、失敗を恐れ萎縮してしまうことです。

 それはともかく余興暮らしというのは辛い状況です。八人の誰もが一応話芸の世界に憧れて入ってきています。余興自体が辛いというのではありません。余興やりながらも「いまに本業で花咲かせてやる、金持ちになって見返してやる」というバネのある本業ならまだいいのですが、「どうせ講釈の本業でも先細りだから」と打ちひしがれながら余興やるほど辛いことはありません。
 いきおい、わが一門にとっての高嶺の花は「テレビ・ラジオ出演」ということになります。しかし特にテレビの場合、お笑いを売り物にする落語家ならまだしも、「忠臣蔵」を売り物にするわが天神斎一門にはめったに話はきません。
 それがどういう拍子か、大阪NHKの帯番組のレギュラー・リポーターの話が師匠に舞い込んだのです。
 遠回しの話で定かではないのですが、初打ち合わせのとき、その番組のプロデューサーが「実はある大学の先生から話聞いたんですが」と切り出したらしいのです。
 師匠はそれ聞いただけで「植木先生や、いや植木先生に間違いない、先生はああいう性格やからそんな恩着せがましいことは何も言わんけど、植木先生に間違いない」と舞い上がってしまいました。

 近畿各地の自然や特産物の産地などを訪ねて、そこの職人などを紹介するという趣向で、アドリブで時々笑いを入れながらというのがコンセプトの番組です。しかし師匠の性格でしょうか、またテレビ経験の薄さから来る緊張感か、あるいは「このチャンス逃してなるものか」という生活苦から来る悲しき意気込みと言ってもいいかもしれません、とにかく綿密に計画を練っていきます。
 その週はちょうど桜の季節ということもあり、奈良の吉野近辺を紹介するという企画でした。
 わたしに梅田の旭屋に行って奈良県全部の地図から吉野の古地図から5万分の1や2万5千分の1の地形図まで買ってくるよう言いつけます。それを吹田の師匠のマンションまで持っていくと、とっかえひっかえして印を付けていきます。1時間の番組で師匠の出番は10分ほどなのですが、その10分のタイムテーブルを自ら組んでいきます。
 “アドリブ”のギャグまで前もって決めるという訳の分からないことまでやります。
 「こちらは吉野観光協会の吉野さんです」
 師匠はコタツの横に立ち、食器棚に向かってわたしを紹介し始めます。
 「えー、聞きましたところによると、吉野の桜というのは下の千本、中の千本、上の千本と分かれているんですよね?」
 「はあ・・・」
 「“はあ”とは言わんだろうが、地元の観光協会会長が“はあ”とは。“ええそうです。よくお知りですね”とか、それくらい言えんか、アドリブきかして。ええか、雪だるま、これからの講釈いうのは広く大衆にアピールしていかなアカン、テレビが勝負の場や。テレビに呼ばれてこそ一人前の芸人や。そういう時代や。いつまでも高座や寄席やって、戦後の娯楽のない時代とちやうんやから、いつまでもそんな古くさいところにしがみついてる芸人はただ意固地なだけや」
 師匠は怒ったような力強い言葉で断定します。この前まで「なにわの講釈師は高座が命や。テレビ出てチャラチャラしてる落語家や漫才師とは芸への意気込みが違う」という言葉を口癖のように言っているのに、このカメレオンのような豹変はどうなってるんでしょうか。
 「テレビと言えば何や?雪だるま」
 「テレビと言えばテレビジョンです」
 「あほ。何を言うとるんや。講釈師がそんな力道山の街頭テレビのときみたいなギャグ言うて、恥ずかしないか。あのな、テレビとして何が大事かと聞いとるんや」
 「はあ・・・」
 「アドリブや。ええか、雪だるま。テレビと言えばアドリブ。その場その場に合わせて即応するセリフや。臨機応変な、このフレキシブルな、まあお前には分からんかもしれんけど、大学行くとまずこの今日のフレキシブルさということについて一般教養として習う。一般教養課程というのは、まあお前には分からんかもしれんが、普通パンキョウと省略されるんや。パンキョウ取った?とか、今日パンキョウある?とかって言われる。パンキョウ食った?とかって聞くやつもいるが、これはパンを今日食べたかという意味や。つまりそういう意味や。そういう深い意味を含みつつ、フレキシブルとか臨機応変とかということはあるということや。分かるか?」
 「はあ・・・」
 大体において師匠は気分屋なところがあり、今日は大変ハイな状態のようで、言ってることはさっぱり分かりませんが、機嫌はとてもいいようです。
 「さあ、私のアドリブ見せたるから、ええか、観光協会長、もう1回行くで。えー、こちらは吉野観光協会会長の吉野さんです」
 師匠は自宅居間のソファの前に立ってこっちを見ます。
 「あ、ぼくですね」
 「お前や、観光協会長は。お前以外に誰がおる」
 師匠が睨みます。
 「はい、わたくしが吉野観光協会長の吉野です」
 「いやあ、協会長さん、桜の季節ですね。わたし少し聞いたんですが、吉野の山には下から順番に下の千本、中の千本、上の千本って、こうずっと山の上まで続くんですね」
 「はあ・・・」
 「でもわたしはさらに驚いたんですが、協会長さん、てっきりそれで終わりかと思っていたら、その上に奥の千本っていうのがあるんですよね。意表突かれました。下・中・上とくれば普通それで終わりと思いますよね。しかしさらにその上に奥の千本というのがあろうとはね」
 「はあ・・・」
 「しかしわたしチラッと思ったんですが、それなら奥のさらに上に秘密の千本てのもあってよさそうですが、は?これはない?その上に内緒の千本とかっていうのは、は?これもない?」
 これが師匠の演出した“アドリブ”です。

 二日目には吉野山の更に奥に入る予定です。ここでも師匠は“老獪なアドリブ”を用意しているとうそぶきます。
 「いやあ、協会長さん、今日は吉野の奥千本からさらに分け入って険しい山あいに入ってきましたね」
 扇子をマイクに見立てた師匠が居間の天井あたりを見やって感嘆の声を上げます。
 「あ、そうですか」
 「協会長さん、“あ、そうですか”はないじゃないですか。こんなに下草が生えて、おまけに所々には崖もあるし、これは険しいじゃないですか」
 「ああ、そうですね」
 「あ、協会長さん、これが歌人の西行が隠遁していたという苔清水の庵ですか?」
 「何ですか」
 「これですよ。この雑木の中の小さな窪地に立っている茅葺きの庵じゃないですか。おや、この横の小さなせせらぎが有名な“苔清水”ですか、西行も愛し、のちには芭蕉まで西行を偲んで訪ねてきて句を詠んだという、あの苔清水ですか」
 「ああ、そうですね」
 「ちょっと覗いてみましょう。あ、おっと、すべってしまった、あ、コケ清水だ」
 師匠はよろけてみせます。
 「は?」
 「あ、おっと、コケ清水だ」
 師匠はまたよろけます。これが師匠の用意した“老獪な”アドリブです。
 「いや、もう一つのアドリブもちゃんと用意している」
 わたしに受けないのをみると、気を取り直してまた立ち上がります。
 「何といってもテレビというのは生き物やからな、展開が予期せぬ方向に進むことは充分計算に入れておかんとあかんのや。アドリブもちゃんと数種類用意しておかないとな」
 相変わらず訳の分からないことを言います。
 「向こうの大峰山系へは遠大に緑が広がっていますね、協会長さん」
 また天井を見上げて大きな声を出します。
 「はあ・・・」
 「あれは主に杉ですか、協会長さん。吉野は杉でも有名ですもんね。吉野杉って言うんですね」
 「はあ、そうですか」
 「はい、わたしが“吉野すぎ”ですなんてね、協会長さん、そんなおばあさんは、え?有名じゃない、あ、そうですか」
 これも師匠が練りに練った“老獪な”アドリブです。

 でも後から考えると、これが我々の一門が決定的窮地に追い込まれるきっかけになったのです。まさに運命のテレビ出演でした。
 一時間のワイド番組の20分枠を貰うという破格の条件で“天神斎雪まじりの吉野探訪”コーナーは第一日をなんとか無事終えました。しかしあれほど念入りに段取りした“アドリブ”はさっぱり出ません。
 「桜は、そうですか、下・中・上と分かれていて、あ、そうですか、その上には奥というのがあるんですか、なるほど、山の奥ですからね」
 「そこで、ほら、例のギャグ言わなきゃ、あーあ、昨日あれほど練習したのに」と付き人として見ているこっちの方がジレッたくなります。
 常にカメラから目を離さず、桜を見ていても、花とカメラを視線が行ったり来たり、観光協会長の方もほとんど見ないし、頬はこわばっているし、「ああ」とわたしは俯いて嘆息します。
 ディレクターも番組進行表で首のあたりを叩きながら近寄ってきます。
 「あのーですね、雪まじりさん。リラックスっていうこと、これテレビでは大事なことなんですよね」
 ディレクターはさも参ったという様子でフーッと息を吐きます。
 「局の方としてはですね。芸歴25年のベテランの味っていうんですか、古典芸能の持つ包容力って言うんですか、そういうとこで今回出て貰っててる訳で、地ののままを出す、暖かさを出すという趣旨の番組なんで、そのへん了解しといてもらうと助かるんですがね・・・」
 「あ、なーんだ、そうですか。ハハハ、わたしまた天下のNHKだからまたこのキッチリやらなきゃいけないのかと思ってしまって、ハハハハハ。そういうことでしたらどうぞご心配なく。いまおっしゃった暖かみ、古典の持つ包容力、お任せ下さい」
 そう言って師匠はドンと胸を叩きます。悪い予感がしました。
 「ほら、雪まじりさん、師匠のところの一門のお家芸何でしたっけ?」
 「は?」
 「何かありましたよね、一門のいつもやってる出し物、定番ていうんですか。何でしたっけ?」
 「はあ、講釈界というところは大体において各一門十八番読み物というのがございまして、わが天神斎一門は代々記録物・軍談、そのなかでもなかんずく『忠臣蔵』をオハコとしております。明治以降、いやこれもお恥ずかしい話ですが、日本の講釈界は江戸と上方に袂を分かってまいりまして、江戸の連中は評定物、侠客物、武芸物など色々手広くやっているのですが、上方は不器用と言いますか、頑固と言いますか、特にわが天神斎一門だけとなってからは一途に『忠臣蔵』でして、なにやら恥ずかしいところもあるのですが・・・」
 「雪まじりさん、私は別に日本の講釈の現況を聞こうって気持ちはないんです。テレビというメディアは速報性と的確性が第一ですから、そこのところ了解して、何につけ、話は簡潔にやって下さい」
 「あ、はい」
 「じゃ、天神斎でしたか、雪まじりさんの一門。その一門では『忠臣蔵』が得意なんですね」
 「あ、はい」
 「『忠臣蔵』といえば大石内蔵助のやつですね」
 若いディレクターは矢継ぎ早に質問を重ねてきます。どうも“そっちの返事は聞かなくてもいい”というニュアンスが感じ取れてきます。
 「は、はい」
 「ソバ屋の二階かなんかに集まってオノオノ方とかなんとか言うやつね」
 「あ、ええ、まあ」
 「それ、桜出てきませんか」
 「は?」
 「桜ですよ、桜。ほら、ここの吉野は桜の里なんだから、『忠臣蔵』で出てくるんなら、それとの関連で話膨らませられんじゃないかと思って」
 「あ、なるほど」
 師匠はわざとらしく“こいつは一本取られました”という雰囲気で平手でコツンとおでこを叩きました。
 「これはしたり。いや、講釈やって25年、師匠と呼ばれているこのわたしとしたことが、自分の十八番を他の人に指摘されるまで気づかないとは」
 「じぁあ、それ、折に触れてその方から話を膨らませて、それでやってみて下さい」
 ジャンパーにジーパン姿の山内というそのディレクターは相変わらず進行表で首筋叩きながら事務的に指示します。
 「吉野は桜の名所なんですから、兼ね合いあるでしょ、『忠臣蔵』と」
 「あ、それはもう・・・。そういうことでしたら、ハイ、お任せ下さい。桜は『忠臣蔵』の代紋のようなものですから。いやあ、わたし、テレビということで変に気を使ってまして、いやあ、そうですよね、講釈師としての特質を出してこそわたしのレポートですもんね。こりゃ若いディレクターさんに一本取られましたね、ハハハハハ」
 師匠の乾いた笑いが吉野の山間に響きます。
 ディレクターは笑みを浮かべて言いますが、どうも内心、師匠に対してはすでに見切りをつけているようでもあるのです。

 「あの、若造が」
 その夜は吉野の安宿に泊まりました。早々と膳が片づけられて布団が敷かれると、師匠は持参のウイスキーをチビリチビリ開けながら、しきりにディレクターのことを吐き捨てます。
 「あいつ歳なんぼや。30過ぎたとこぐらいやろ。くそ生意気な。オレを誰やと思うてんねん。“腹切りの雪まじり”と謳われた男やぞ。内匠頭の切腹も内蔵助の切腹もこの雪まじの唸りでだけ冥途まで見えると涙させる男やないか。なにがNHKじゃ。どうせろくな大学出とらへんわ」
 芸人がテレビスタッフをこき下ろすのも学歴を持ち出すという不思議な毒づきです。普通はマスコミ関係者が芸人に陰口叩くときに使うセリフのように思うのですが。
 「でも師匠、NHKですから。東大とか京大でないと入れないとか聞きましたけど」
 「見たんか」
 「は?」
 「NHKの入社試験見たんか」
 「いえ・・・」
 「あんなやつコネで入ったに決まっとる。どこぞのカネで入る三流大学から入社試験に出て、パパがね、どうしてもNHK入れって言うのとかなんとか受付でゴネて入ったに決まっとる」
 師匠は怒りをわたしに向けて凄い形相で睨みます。わたしはただ俯くばかりです。
 グラスに残ったウイスキーを飲み干すと「もう4分の1飲むぞ」とか言いながら、角瓶に指で線をつけてグラスに注ぎます。師匠は一日の最大量をボトル4分の1と決めています。上方芸人の世界でも有名なケチです。
 でもこの日は珍しく「お前も一杯飲むか」と勧めてきました。
 「遠慮せんでええ。オレの奢りや」とことさら念を押しながらウイスキーを注いでくれます。
 それから「ハー、ハー」と深い溜息をついたかと思うと、座卓に肘をつき拳で顔を拭い始めます。泣いているのです。
 この宿は中腹の蔵王堂を下ったところ、吉野山の尾根にへばりつくように建っていて、玄関を入ると、階段をギシギシいわせて谷に向かって降り、部屋に入ります。
 夜になると向かいの山の所々に群生している山桜がアバタのように白く光って見えます。
 師匠の背後の枠の歪んだ窓からその白いアバタが見えていました。その美しさに目をやっていると、宿の背後の尾根から散り残った桜の花びらが舞い降りてきました。
 「師匠、売れないって嫌ですね」
 わたしはポツリと言いました。「生意気言うな、高卒のくせに」と叱責されるのを覚悟して言いました。でもどういう訳かその日は拳で顔をおおったまま「ウンウン」頷いていました。

 でも一日目はまだほんのプロローグでしかありませんでした。ほんとの問題は三日目に発生しました。
 この日は吉野のふもと下市町のカマボコ工場のレポートの日でした。工場長の案内で生産工程を見て回る段取りを決めます。
 「いやあ、工場長さん(このワンパターン・フレーズは変わりません)、フワッといい香りがしてきますね、何やら母の胎内にいるような、グッハッハッハ。魚の生臭さは全然しませんね、そうですか、蒸らし方に秘伝があるんですか」
 師匠はカメラを充分意識しながら、お決まりの導入をやります。
 そのとき白い頭巾をかぶってかまぼこ板に練り物を塗りつけていた若い女性が師匠の目にとまりました。
 その娘は大きなアルミの容器の中の白い練り物をヘラで掻き混ぜていました。歳は二十そこそこぐらいでしょうか。田舎の娘なのに妙にアンニュイな、不思議な雰囲気を持っていました。ブルーの制服の胸がはち切れそうに膨らんでいました。
 こういう女は師匠の好みなのです。
 「娘さん、力ありますね」
 これが予定された師匠のセリフでした。
 でも白いヘラで掻き混ぜている途中、近寄ってきた師匠をそのヘラ塗り娘がちらっと横目で見ました。
 師匠は内心たじろぎましたが、そこは本番中です。段取り通り、ヘラ塗り娘の横で中腰になってタライの中を覗き込みます。
 師匠がタライを覗き込めば上体を少し避けるようにするのが普通の感覚だと思うのですが、ヘラ塗り娘は逆にスッと師匠の方に体を寄せてきます。
 師匠は瞬間フワッとなってセリフが出て来ません。
 「娘さん、私のもそのヘラで掻き混ぜてもらいたいですな、ハハハ、アハアハ、ハハハハ」
 これがアドリブまで綿密に計画を練る“計画リポーター”のとっさのセリフでした。
 師匠・雪まじりは一見理知的な、聞き方によっては冷徹な冷徹な物言いをします。特に弟子のわたしなどには「だめ。だめなのものはだめ」とはなから相手にしないことが多いです。でも時折、思いがけないほどの逆上をします。様子は普段と変わらないのですが、突拍子もないことを言うことがあります。
 テレビというのは不思議なもので、そういう卑猥な感じの言葉がそぐうようなハイテンションの番組の空気なら笑って流せたのですが、とにかくそれまで真面目一方、たまに言うギャグは「“吉野すぎ”さんて、おばあさんかと思ってました」などのようにトチすべって白けるし、真面目の上にギクシャクという空気でしたから、一気に雰囲気が凍りつきました。
 でもそのときその娘は嫌な顔一つしませんでした。
 局側は慌てて別の場面に差し替えたましたが、そのヘラ塗り娘は師匠をゆっくり見上げ微笑みした。
 「掻き混ぜて、塗りたくりたい」
 顔の前に練り物の付いたヘラを持ってきて、ヘラ塗り娘は師匠をじっと見つめて呟きました。
 師匠の破格のテレビレギュラー出演は3日でクビになりました。

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