なにわ忠臣蔵伝説

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  六章  

 えー、本日もようこそのお運び、ありがとうございます。
 わたくしが、“喋る野ざらし”天神斎雪だるま、その張本人でございます。
 しかし寒いですな、いつまでも。
 わたくし雪だるまという名前を持っておりますが、自慢じゃないですが寒いのは大嫌いでございます。冬はハワイなんぞでノーンビリしたいのです。ワイキキビーチの雪だるま、これが夢でございます。
 いえ単なる夢ではございません。ちゃんと夜毎夜毎、旅行社の棚から取ってきたパンフレットとにらめっこして案は十分練っているのですが、何分にもわたくしの六畳一間の部屋は風吹き放題、雪降り放題でございまして、これが辛い。大阪住吉のとある文化住宅の一室で近々きっと事件が起こります。
 ハワイを夢見て日夜パンフレットとにらめっこの雪だるまが窓から吹き込む吹雪に凍死して、冷たい朝を迎えるのです。これ、悲劇じゃございませんか。
 (拍子木)
 さあ、寒さに負けず、今夜も講釈でございます。
 ミゾレまじりのこの寒い夜に、キヤバクラもファッションヘルスも断固、えーここもう一度力を込めて言わせていただきますが、断固振り切って、この講釈を聞こうという、この奇特な、えーこの失礼ながらヒーフーミーヨーとこの目で数えさせていきだくと、大入り六名のお客様たち、ほんとに私ども涙が出る気がいたします。こういう悪コンディションの中で駆けつけて下さるお客様こそ、真の芸能ファン、まことの文化伝承者、ほんとに勲章差し上げたいと思う次第でございます。
 その振り切ってきたファッションヘルスに勝るとも劣らない悦楽講釈、ああ今夜も感動のエクスタシー講釈でございます。
 雪だるま・SM忠臣蔵より『うーん、タクミのかみ』の段、お時間までのお付き合いでございます。
 (拍子木)
 江戸市中、太平の眠りをさます元禄事件、のちの世に言う赤穂義士事件が起こりましたのは、これはもう皆様よくご存じの通り、元禄十五年極月十四日、西暦で言えば1702年と申しますから、もう三百年近くも前のことでございます。
 高家筆頭・吉良上野介義央(よしひさ)と播州赤穂藩主・浅野内匠頭長矩(ながのり)といえば、これまた皆様よーくご存じの通り、不倶戴天の仇、怨嗟の炎やむことなき宿敵としてその名を馳せております。
 しかしでございます。今日くしくも元禄事件と同じく降り積もる雪の中お集まりのお客様、佐渡金山の老廃坑のごとくいまにも崩れそうなこのとんぼりホールにお集まりの数万余・満場のお客様、わたくしだけは知っております。
 (拍子木)
 時は殿中松の廊下・刃傷事件の二十年前、天和三年の暮れでございます。所は江戸城曲輪内(くるわうち)・呉服橋の吉良邸前。折しも雨もよいの空から冷たいミゾレの降り散る宵でございました。
 「あのー、この辺と聞いてきたのですが・・・」
 一人の編み笠姿の若侍が門番の足軽に恐る恐る尋ねます。
 「何じゃ。当家に何か要か」
 門番の三十格好の屈強な足軽は目の端で若侍を一瞥し、鼻であしらいます。
 「もしや、こちらは高家肝煎吉良様のお屋敷ではございませぬか」
 「いかにも吉良家であるが、当家に何か用か」
 「やはりそうでありましか。いや、良かった。何しろ鉄砲州の屋敷からこのミゾレ模様の中、歩いて参りましたので難渋いたしました。いや、良かった、良かった」
 編み笠を取ると、まだ月代(さかやき)も青々とした若侍であります。肩や胸の濡れを袖でつくろいながら安堵の声を出します。
 「わたくし、いままで高家というのが宮中マグワイ」
 若侍はここで急に俯いて赤面します。
 「どうもこの言葉、照れてしまうな、マグワ・・・、わ、恥ずかしい」
 若侍は自分でブツブツ言って自分で照れています。足軽は不審な表情で見ております。
 「・・・でも言わなきゃ、マグワ、ああ、やっぱり恥ずかしい、いやいや、でも言わなきゃ用が足せない、うん、国持ち大名らしくな、うん、凛々しく言わなければ、大名だからな、(早口に)マグワ・・・、あ、やっぱり恥ずかしい、どうしよう」
 「こりゃ、その方、何をごちゃごちゃ言っておる、怪しいヤツだ。捕らえて吟味してやる」
 「あ、いや、私は決して怪しい者ではない。分かりました。はっきり言ってしまいましょう。勇気を持って、マグワーイ、どうだ、うん?言ってみると案外すっきりするもんだな。何だか気持ちいいような、マグワーイ、うん気持ちいい。矢でも鉄砲でも持ってこいみたいな、マグワーイ、マグワーイ、マグマグワーイワーイワーイ、へへへ。あ、いや、ほんとに私は怪しい者ではなーい」
 若侍は門番の不審な表情に襟を改め、ゴホンと咳払いし、急に偉そうに胸そびやかせます。
 「私は西国の某藩で禄をはむ武士である。今日は吉良様がマグワーイ、うん、調子が出てきた、よし。吉良様がマグワイ典範の専門家ということを耳に挟み、是非ご教授願いたく、忍びでまかり越しました。左様お取り次ぎくだされたい」
 「何じゃ」
 門番は若侍の訝しい問いに思わず聞き返します。
 「いえ、あのマグワイ技法ですが・・・。宮中マグワイ技法、専門家なのですよね、吉良様というのは」
 若侍はなおも門番のかぶる陣笠を覗き込みながら屈託なく聞きます。
 「何を、この若造は、失敬な。当家をどこと心得おる。高家筆頭・吉良上野介様のお屋敷であるぞ」
 怒鳴るが早いか、門番の持つツカナギが若侍の肩に打ち据えられました。
 「な、な、何をするか、無礼者。黙っていたが、私を誰と思うておる。先頃家督いたした播州赤穂藩主・浅野内匠頭であるぞ」
 しかしまるでその声を聞かず、門番のツカナギは容赦なく内匠頭の肩や腰に打ち込まれてきます。
 「何、赤穂藩主だと。大タワケを。大名がマグワイなどと、そのような下品な言葉を口に出来る訳がない。ええい、これでもくらえ。痛みを知れ」
 屈強な門番は容赦なく打ち据えてきます。
 内匠頭という大名、のちの刃傷事件の原因とも言われる「痞(つかえ)」という持病を持っておりました。まあこれはいまでいう躁鬱病でしょうか、感情の起伏が異常に激しくなる病ですが、これは裏を返せば根が臆病な人間ということでございます。
 一対一ではとても叶わない、このままでは殺されるかもしれない、しかし「マグワイ技法」などを聞きに来たという恥ずかしい役目では家来も連れて来れません。こういうとき内匠頭は「泣き」に出ます。この自己防衛策への機敏な転換は実に天才的なものがございます。
 「いたーい」
 まず初めはそっと呟いて相手を見ます。しかしその呟きが聞こえたかどうか、この吉良邸門番もなかなかの癇癪持ち、一層ビシビシ打ち据えてきます。
 「ああ、やめて。ほんとに痛ーい」
 腰を押さえ、涙を流して武士にあるまじき情けないカ細い声を出し、命乞いをします。
 「はーい、Mコース、お客様お一人ご案なーい。タオルと番号札お願いしまーす」
 屈強な門番は一転カン高い声で屋敷の奥に呼びかけます。
 内匠頭はその意外な事態の進展に呆然と門番を見上げます。
 「いや、失礼しました。ささ、こちらへ。当家あるじ上野介が奥の院で待っております」

 内匠頭は何が何やら訳が分からず、腰や尻のあたりをさすりながら屋敷の奥へ案内されます。
 「おお、内匠頭殿か、よく来やしゃった。最近Mコースの人間が減って寂しく思っておったとこじゃ。さ、さ、近う」
 床の間を背にした上野介が手招きします。
 逡巡している内匠頭を案内してきた先ほどの門番が手を差し伸べ「どうぞ御前へ」と促します。
 促されて内匠頭が近寄ろうと「待たれい、ここをどこと考える」といきなり門番が後ろから羽交い締めにしました。内匠頭は訳が分かりません。
 「な、何をする。その方、いま御前へ言ったばかりではないか」
 強烈な羽交い締め、まあプロレスで言うところのブルネルソンでありますが、この門番がまた力が強いの何の。内匠頭はようやく少しだけ首を後ろに向けて喘ぎます。
 「殿中でございますぞ。なりませぬ。御座が近い。殿中でございますぞ」
 「何でここが殿中なのじゃ。訳の分からぬことを言う男じゃ」
 内匠頭はなおも喘ぎます。
 「これ、与惣兵衛(よそべえ)、お離しなさい。お前の“止め”練習はまたにせい。いやあ内匠頭殿、失礼いたした。さ、さ、こちらへ」
 上野介がにこにこしながら手招きします。与惣兵衛は不承不承やっと羽交い締めを解きます。
 「いやあ、門番のこの男、実は足軽ではございません。梶川与惣兵衛(よそべえ)と申しまして、実は二十石取りのれっきとした侍なのです。“どうにも私は止まりません。ぜひ有職性技免許皆伝・吉良様により『止まる男』にしていただきたい、ぜひともご教授いただきたい”と願い出てきましてな。ハハハ。あれから三年、いやもう最近は何でも止められるようになりましてな、何でもかんでも止めてしまうと、これがまた色々困ってしまのですが、ハハハ。なかなかどうして『止まる男』としてどこに出しても恥ずかしくないまでになりました。ハッハッハッハッハッハ」
 内匠頭がムッとしていのに気づいて上野介も真顔に戻ります。
 「ところで内匠頭殿、今回はMコース所望とのこと、この上野介、赤穂藩を見直しましたぞ。最近はどうも国持ち大名の中にMコース所望が少なくなって、この上野介、悲観しておりましたのじゃ。よくぞ思いきられた」
 上野介は扇で自らの膝を叩いて身を乗り出します。
 「何ですか、そのMコースとやら言うのは」
 内匠頭は首を傾げます。
 「いや、訝しく思われるのも無理はない。禁中以外ではあまり使われていない言葉ですからな。いや、恥ずかしいことではござらぬよ。・・・内匠頭殿、よう来られた。待っておりましたぞ」
 「はあ・・・」
 「聞けば、今日はお輿入れの日とか、禁中というハイソサイアティーにことのほか興味をお持ちの浅野家とか、ひよっとして初夜を前に訪ねて来られるのではないかと思っておりましたぞ」
 上野介は口をほころばせています。
 「内匠頭殿、よいか、Mというもの、ただ打たれればよいと思われていたりするが、そういうものでは決してない。よろしいか、内匠頭殿、SMの極意というのは相手の喜びをわが喜びとすることじゃ。SとS、MとMではSMは決して成立しない。打たれたいと思ったら相手に打つ喜びを感じさせなければいけない。打ちたいと思ったら相手に打たれる喜びを感じさせなければいけない。これなんだよ、高家秘伝のSM技法というものは」
 「・・・」
 「例えば貴殿が打つ喜びを感じる侍だとしたら、わしは打たれる喜びを必死で探す。なぜじゃ?わしがそなたに惚れているからじゃ。そなたを愛すればこそ、そなたに叩く喜びを思う存分感じてもらいたいのじゃ。無償のプロムナード提供、それが高家秘伝“愛のSM”じゃ」
 そう言うと上野介はスッと立ち上がり、内匠頭のそばに行って顔を覗き込みます。
 「おお、これだけ言っても田舎侍には通じぬと見える。総体貴様のような内にばかりへばりついてござる侍を井の中の鮒じゃという譬えがござる。おうおう、腹を立てたその顔がまた鮒そっくりじゃ。上野介、この歳になって初めて鮒が上下をつけたのを見ましたぞ。鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ。・・・お、内匠頭殿、刀に手を掛けられましたな、ハッハッハ、上野介、嬉しうございます。鮒と言われて腹が立ったでござろう。こいつをブッた切ってでもスッキリしたいと思ったでしょう。これです。これが打つ喜びへのプロムナードなのです。・・・よいかな、内匠頭殿、打ちたい者へはあえて打つ喜びのプロムナードを。打たれたい者へはあえて打たれる喜びのプロムナードを。これが究極のSM愛です。これはいつの日か、きっとそなたとわたしの愛の結実となって現れますぞ。この上野介、その来るべき日を首を長うして待っておりますからな。・・・よいか、内匠頭、人を愛することに臆するな。赤穂家伝来の武士道とは体面よりも一途な愛しさを重んじることを言うのだぞ、よいか、しっかと覚えておくがよいぞ」
 上野介義央四十三才、内匠頭長矩はまだわずか十七才の若殿様でありました。
 これが十七年後の元禄十四年春三月、殿中刃傷事件へとつながり、二人の究極SM愛は見事に実を結ぶのでございます。
 えー、本日はSM忠臣蔵より『うーん、タクミのかみ』と題する一席の講談でございました。

 (拍子木)

 (会場まばらながらしっかりした拍手が巻き起こる)

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