なにわ忠臣蔵伝説

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  一章  

 暮れも押し迫っていました。前の晩に積もって橋の脇に寄せられた雪が溶け出し、水中照明の浮かぶ道頓堀にしたたっています。
 相合橋のパチンコ屋ニューパーラー会館の二階「とんぼりホール」で月例の一門会があり、打ち上げをする生国魂神社脇の炉端焼き屋「勘平」まで大師匠・師匠を先頭に歩きます。
 夜寒の風に、みなコートやジャンパーのポケットに手を入れ、押し黙っています。支えられながら歩く八十才の大師匠から、着物の包みを抱えて付き従う二十四才の末弟子まで、老若とり揃った集団がトボトボ行きます。その異様な集団の雰囲気にはさすがのキャバレーやキャッチバーの呼び込みも尻込みします。
 「モーゼの十戒みたいですね。スーッと道が開きますね。凄いもんですね。これが芸人道中というやつですか」
 まだ入門したばかりで、状況をよく飲み込んでいない“雪合戦”だけが何やらはしゃいでいます。
 何も芸人の集団だから道が開いているのではありません。薄気味悪いからです。往来の人間の眉をしかめて横目でこちらを覗く様子を見ればすぐ分かるはずなのですが、この雪合戦という脳天気男にも参ったものです。明日をもしれない一門の境遇だというのに嬉々としています。
 その雪合戦に支えられながら歩く大師匠がフイに立ち止まりました。
 どうかしたのかと訝しがる全員の注視の中、ズボンの後ろポケットやらジャンパーの内ポケットやらをさかんにさぐります。
 「わし、あんたに二百円貸してんな」
 後ろのわが師匠“雪まじり”を振り返って大声を出します。全員その言葉を聞いて頬をこわばらせ、気まずい空気が流れます。
 八十になる大師匠は最近よく訳の分からないことを言い出します。
 終戦後すぐの頃は徳川家康に講談説法したと言われる講釈師の祖・赤松法印にならって“昭和の法印”とまで謳われた雪中大師匠ですが、最近は高座でネタを忘れることがあります。そんなときは咳払いをし、ただ無闇に拍子木で釈台を叩くだけになるので、口の悪い客の中には「“昭和の放心”や」などと言う人までいます。
 「ほれ、あの天満講談席の帰り、ほれ、東京の宝井琴玉師匠接待したとき、お初天神脇の“鳥末”で勘定したときやがな、ちょうど空襲警報がきて、みな、ほれ、慌ててたさかいな、わし、いやいや釣りはいつでもええ言うて、ほれ、根が豪毅やさかい・・・」
 大師匠はミゾレのチラチラする難波本通りの中央に立って、手をヒラヒラさせ、時折ニッと頬を緩めながら一生懸命二百円の貸借金について話します。
 宝井琴玉というのは戦前の人です。天満講談席というのは昨年始まった定席です。それに空襲警報・・・。もうタイムトラベラーです。
 大師匠のボケにはきわだった特徴があって、とにかくカネです。それも決まって百円、二百円単位で、聞く度つましさに滅入ってきます。

 「師匠。あの二百円。わたくしがネコババしました」
 ずんぐりとした“雪蛍(ゆきほたる)”がふいに進み出ます。
 「なんやて・・・」
 わが師匠・雪まじりの方を向いていた大師匠が雪蛍の方に向き直ります。瞬間「二百円」を言い出したときの呆けた顔が真剣な顔に変貌しています。
 「わたくし雪蛍があの二百円ネコババしました」
 雪蛍は雪まじりの弟弟子、つまりわたしから見れば叔父弟子にあたりますが、いつもこういうとき、場を引き受けます。
 「わたくしがあえてネコババいたしました」
 半歩踏み込んだ大師匠に対し、雪蛍は道端に膝を折、特に「あえて」の部分に力を込めて言って、深々頭を下げます。
 この「あえて何々」という言い方、大仰に聞こえるかもしれませんが、わが一門の得意技です。何かトラブルになりそうなときわが一門は必ずこの常套句を使い、また多くの場合これで解決してしまいます。

 例えばうどん屋で箸を落とすとします。どうということのない出来事です。これだけならわが一門でも別に驚きません。
 基本的には一般社会集団以上に他人への思いやりの薄い集団です。一人が箸を落としたからといって、それがたとえ師匠や兄弟子であっても、命令されたり、叱られたりするまでは見て見ぬふり、素知らぬ顔で自分の食物に集中します。まして箸を落としたのが新参弟子だったりしたら、屈み込んだ奴が自分の邪魔にならぬよう、落ちた箸をそっと足で蹴飛ばし、潜り込み男を遠ざけて難を避けたりするぐらいです。
 しかし新参弟子が肘や膝を汚して箸を拾い、顔を上げフーッと一息吐いて再び丼に向かうとき、一言「あえてケガレ箸にて食します」と呟いたとします。
 これを境にテーブルの雰囲気は一変です。
 みな一斉に箸を止めてその新参弟子の方を見ます。
 「わたくし、あえてケガレ箸にて食させていただきます」
 新参弟子はさきほどより下腹に力を入れて絞り出すように言います。
 もう、瞬間、全員に緊迫感がみなぎります。まるで急に映画撮影の本番に入ったようです。
 各自、ウドンの湯気に垂れたハナ水をすすり上げ、ネギかすの詰まった口元を引き締め、新参弟子のケガレ箸の動きを注視し、次の言葉を待ちます。
 なんば千日前通り、壁はげ落ち、くすんだ品書きの張り巡らされたチンケなウドン屋などが一瞬にして田村右京太夫邸のむしろ畳みに変貌です。辱め、誹られ、その上、咎人として庭先で詰め腹切らされる殿の無念がウドン丼一杯に広がります。
 「義のために、あえてケガレ箸にて食させていただきます」
 目端の効く新参弟子(わたしはそうでした)なら、ここでこの三度目のセリフを入れ、トドメを差します。
 「あえて」の上に「義のために」という接頭辞がついていたりしたら、これはもうわが一門では最高級の言葉であって、一同即座に箸を置いて手を膝に置いてグッと唇を噛みしめなければなりません。
 「義のためにあえてケガレ箸にて・・・」
 箸を拾った人間も自分で言った言葉に自ら打ち震え、下唇噛んで言葉になりません。
 聞いている方も「無念の所払い以来一年七ヶ月、妻子に離れ、身を辱め・・・」などと脈絡ない義士銘々伝の一節をブツブツと口ずさみはじめ、口ずさむだけでなく、拳を握りしめたり、切歯扼腕したりして悔しさに耐えます。
 知らず知らずのうちに内匠頭や義士たちの忍従が不遇な自分たち一門の境遇としてフツフツと沸き上がり、一種異様な高揚が襲ってきます。
 最近少し勉強したのですが、冷静に考えればこれはいわゆる集団ヒステリーなのではないでしょうか。一門の中のわたしが言うのも変ですが、こういう瞬間変貌する集団は危ないのではないでしょうか。普段はとてもそんな大それたことをする人間はいないのですが、この集団特性は一つ間違えばテロでもクーデターでも、そういう突飛な行動に走る危険性すら感じることがあります。

 それまで自分のポケットやら雪合戦に持たせている舞台衣装の包みの中やら、さらには何を思ったか雪合戦のポケットにまで手を入れて“なくなった二百円”を探していた大師匠は、雪蛍の言葉に瞬間「ウッ」と呻きを漏らし、口の端から垂れていたヨダレを拭います。
 くたびれたジャンバーを着た八十の老人が大阪難波・黒門市場本通りのキャバレーやらファッションマッサージやらの怪しげなネオンの光る往来の真ん中で顔をこわばらせます。
 酔客らが何事かと振り返ります。
 「意趣あってのことか?」
 これです。
 これがまたわが一門得意の返し技、一門の人間が何かしたというとき必ず「意趣あってのことか?」と聞きます。浅野内匠頭が殿中刃傷のあと目付・多門(おかど)伝八郎の聴聞に対し、ぐっと絞り出す声で「意趣あって是非に及ばず」と漏らしたという、その文句が何が何やら訳の分からないまま、わが一門の符丁のようになっています。
 「意趣」とは遺恨というようなことを指すのでしょうが、例えば扇子を忘れたとか、交通渋滞で遅刻したとか、そんなささいなことに一々遺恨などあるはずないのです。でもわが一門では「その忘れ物は意趣あってのことか?」「今日の遅刻は意趣あってのことか?」と必ず聞きます。
 雪蛍を見つめる大師匠。すでに直前までのどこを見ているか分からない“飛んでる”表情はみじんも見えません。ぐっと上体を雪蛍の方へ近づけ、腹の底から絞り出す太い声は「義士伝の天神斎」と謳われた名人芸の一端をかいま見せています。
 「は」
 雪蛍はそれだけ言って俯き、絶句します。いつも感心するのですが、普段ただデプッと肥えてすぐ汗を噴いてハーハー息をする男とは思えない迫真の態度です。
 「是非に及びませんでした。どうか、どうか存分のご法度を」
 片膝を折り、大師匠を見上げます。
 大師匠はさらに半歩雪蛍の方へ近寄り、その肩に手を置いてニッコリ微笑みます。
 「雪蛍、二百円、掌中の玉とせい」
 何やら急に弱々しく、でも言葉は相変わらず何のことなのかわかりませんが、そう雪蛍に告げて、また雪合戦の肩につかまって歩き始めました。
 これで解決してしまうのです。ちょっと待て。そんなことで終了してしまっていいのか、いつも肩すかし喰ったような気になるのですが、でもそれで終わってしまうのです。何なんでしょうか、「掌中の玉」というのは。今どき小学生でも2百円なんか貰っても喜びません。
 言い足りない胸のうちはすべてこのわたしが了解している、もう何も言わず従容として死地におもむくというようなそんな気分なのです。
 どうもこの解決策は大師匠はじめ一門が標榜している「潔さ」とはかけ離れている気がするのですが、でも狐につままれたような気分の内に「二百円貸借事件」という大トラブルは解決してしまうのです。

 トボトボ30分ほど歩いて『勘平』に着きます。
 どうしてこんな遠いところで打ち上げをするのかといつも思います。
 わが天神斎一門は赤穂義士講談で食べさせて貰っているのであり、例会が終われば義士ゆかりの生国魂神社に参拝し、義士ゆかりの名前の「勘平」でささやかな慰労会をさせてもらうのが忠君の道だと師匠や兄弟子たちからよく聞かされてきました。
 でもわたしたちは別に武士でも国粋主義者でもないのです。忠君の道など歩まなくてもいいと思うのです。大師匠はともかく、偏執癖のある師匠はまるで何かにとり憑かれたように、半ば意地になって初代・天神斎雪中以来のしきたりに固執しているのです。
 しかしわが一門は客観的に見てもそんな状態ではないのです。
 客入りの悪さには見慣れているわたしたちですが、さすがに今日の不入りは記録的でした。師走のせわしなさに、この悪天候もあったのでしょうが、三十畳の広間に座る客はすぐに数えることができました。八人です。
 それも中休憩から入ってきた客が二人、中休憩で帰った客が三人、つまり通しでいた客はたった三人、しかもそのうち二人は壁にもたれてウトウトしておりました。
 演者の方は師匠の息子(まだ中学生)で前振りをやった天神斎雪んこを入れると六人。演者の数と客の数が厳しいつばぜり合いを演じています。これは寂しいものがありました。
 わたしが講談の道に入って十二年、ジリジリと、でも確実に客足は減ってきています。古典芸能の席には大阪府から賛助金が出てホールのレンタル料だけは賄えるのですが、各人のギャラまではとうていカバーできません。

 「ここの階段が悪いんや。客は下まで来とるんやがな。けどこの階段見て恐れて帰りよるんや。ワシかて絞首刑台に向かう十三階段思い出したがな」
 年々発言がシュールになってきている大師匠はまるで絞首刑の経験があるようなことを言います。
 「雪だるま、階段一段ごとに十円玉置いとけ。客は“お、十円や、まだあるかもしれん”てなこと言うて、階段上ってきよるがな」
 大師匠はまるで雀でも誘うようなことを必死で力説して、わたしたちはなだめるのに苦労しました。
 そんな古くからの常連客だけに頼るような古色蒼然とした話芸ではダメ、若い客層をつかむ斬新なネタが必要なのだと思います。
 わたしも師匠に何度か言いました。いえ、たぶん師匠自身、それはよく分かっているのです。分かっているのですが、とにかくわたしから言われれば、わたしの言うことはまず否定するのが師匠の流儀なのです。
 悲しいです。どうして十二年も身の回りの世話をしてきたわたしをそんなに毛嫌いするのでしょうか。

 一門会はトリをつとめる大師匠・天神斎雪中の十八番「玄蕃と十兵次」で幕となりました。
 年末も年始も花見も盆も、わが一門はひたすら忠臣蔵です。今日も明日も来月も来年もひたすらわれわれは忠臣蔵なのです。もし赤穂浪士が墓の中から出てきても「ええかげん、ほかのものやれ」と野次るでしょう。でもわが一門は岩の一念、何かにとり憑かれたように同じネタを繰り返します。
 十数人の客のパラパラとした拍手が終わると、我々若手は木戸に立って客の見送りです。
 これはすぐに終わります。何しろアッと言う間に客はいなくなりますから。それから屏風や座布団、釈台、名ビラの片付けです。

 わたしももう少しで三十です。もうそろそろ前座を卒業してもよいところなのですが、あとの若手が入門してまだ二年目の“雪合戦”と師匠・雪まじりの息子の“雪んこ”(これはまだ中学生で、この道に入るかどうかも定かではありません)の二人しかおりません。
 その上、この“雪合戦”はまだ大学を卒業したばかりなのですが、何かにつけて六才も年上のわたしに対し高卒ということで見下げた態度をとります。
 用事を言いつけても「オーシ」というような横柄な返事をしたまま、何か理由をつけて動こうとしません。そのくせ師匠から声がかかると人が変わったように「はい、師匠」「はい、師匠」と裏返ったような声で明快な返事をします。
 悔しい。許せない。いつか首絞めてやる。大学が何だ。
 いけません。思わず興奮してしまいましたが、別にわたしの個人的な恨みが言いたいのではありません。
 とにかくこの弟弟子が心の豊かさに欠けるやつで、それが一門にとって残念で、クソーッ、人バカにしやがって、いまに思い知らせてやる、・・・いけません、また興奮してしまいました。
 でもそれだけならまだいいのです。さらに悔しいのは師匠がこの雪合戦をことのほか気にいっているということです。師匠の雪まじりという人は私立の摂中大学卒業です。まあ高卒のわたしが言うのも何ですが、大した大学ではありません。しかしわたしから言わせれば、その大した大学ではないということが師匠の学歴好きに拍車をかけています。
 たまに若い新聞記者などがたまに取材に来ても「きみはどこの大学かな」とさりげなく聞きます。京大やら阪大やらの返事が来ると、「あ、そう」などと軽く受け流してすぐに芸の話に戻して、それっきり大学の話には触れません。しかし自分と同等かそれより下のランクとみられる大学の返事が来ると、延々と受験の話や、偏差値の話や、伯父は京大を出たやら、甥の誰それは進学高校のどこそこに行っているとか、およそ芸とは関係のない話に終始します。
 一般社会でも学歴偏重はダメだ、実力の世の中だと言われているのに、わが古典芸能の一門は一般企業以上に学歴が重んじられているのです。こんな話があるでしょうか。

 「師匠、この焼き魚ですが」 
 少しビールが入り気も大きくなり、それに師匠も年末のテレビ出演が一本決まったとかで、いつになく機嫌が良かったので、わたしは前から思っていたことを聞いてみることにしました。
 「う?なんや」
 大師匠に酒の酌をしていた師匠は珍しく一度でわたしの問いに返事してくれました。
 いつもは三度目ぐらいの問いかけでやっと「なんやねん、さっきからウルサいなあ」としかめ顔で振り向きます。「さっきからウルサい」って、聞こえてたんやないか、なんぼ弟子に対してでも返事ぐらいするのが礼儀ちゃうんかと、ムカッとしながら用件を言います。今日はほんとに珍しいです。
 「これ、カレイですか、ヒラメですか」
 わたしがそう問いかけたとき「クフッ」と吹き出す声が近くで聞こえました。
 雪合戦です。
 見なくても分かります。わたしが師匠に何か尋ねるとき、最近この笑い声がよく聞こえるのです。
 しれた大学です、この雪合戦が卒業した畿内大学などというのは。師匠の出た摂中大学よりまだヒドいです。かつては入試会場の入口で屁すれば入れると言われた大学です。それなのに、日常生活で何かわたしが疑問を持ち、特に師匠に質問すると、決まったようにこの雪合戦が失笑を漏らします。
 そんな屁みたいな、くだらない大学を出たことを鼻に掛けているのです。
 悔しいです。
 でももっと悔しいのは、その取るに足らない雪合戦という男の失笑に師匠が同調するということです。
 「まあまあ雪合戦、笑うたらあかん。疑問持ついうのはええことなんや。笑うてやったら雪だるまが可哀想やで」
 そう言いながら師匠も含み笑いしています。哀れみをもった表情でわたしたちを見、逆に雪合戦とは同朋のような相づちを打つ、これがどうにも我慢なりません。
 そのとき師匠と雪合戦の大卒グループと高卒のわたしという風にはっきり区別が出来ています。とても芸に生きる集団とは思えません。まるで公務員の資格試験会場のようです。
何なんだ。大学出りゃそんなに偉いのか。
 「兄さん、これはカレイです。昔から左ヒラメに右カレイって言うでしょ」
 雪合戦が極めて冷徹を装って言います。
 「何や?」
 わたしも横を見て喧嘩腰の口調になります。
 「だから目を見るんですよ、魚の。カレイはね、ほらこんな風に右に目があるんですよ、でもこれがヒラメだと左なんですよ。いやね、こんなこと、別に知ってるからって自慢してるんじゃないですよ。こんなこと、ハハハ、知ってたからって別に芸道に差が出来る訳でもないんだし、ハハハハハ、ほんと自慢になんかなりはしませんからね、昔からよく言われてることを受け売りしてるだけですから、ほんと我ながら知ったかぶりが恥ずかしいです。ね、師匠」
 媚びるような雪合戦の問いかけに、師匠は「まあな」という表情でにこやかに微笑みながら二度三度頷きます。
 わたしは完全に頭にきました。
 「ちょっと待て、雪合戦。魚の右・左って何や。どうやったら分かるんや」
 自分でも酒の気が抜けて、頭が白くなっていくのが分かります。
 「雪だるま兄さん、そんな興奮しちゃだめです。簡単なことなんです。高校の学力でも充分分かることですから」
 カーッ。もういけません。手がブルブル震えてきました。
 「いいですか、兄さん。こう皿があるでしょ。で、こっち右手の方が右、右手分かりますね、箸持つ方ね。で、こっち左手、左手分かりますね、お茶碗持つ方の手ね、これが右と左なんです。分かりますよね」
 カーッ、もう完全に頭に血がのぼりました。
 「待てー。じゃあ、どうや。こうやってひっくり返したらどうや。目玉左に来るやないか。来るんとちゃうんか。そしたらカレイはヒラメになるんか。うーん、ぼくいままでカレイだと思ってたのにアッと言う間にヒラメになっちゃった、どうしようって、そんなん、魚だって面食らうやないか。どうやねん、それ」
 「ハハハ、参りますね、やっぱり初歩的なところから説明しないとダメだったんですね、ハハハ。あのね、いいですか、雪だるま兄さん、昔からカレイは右に目玉を持ってきて、ヒラメは左に目玉持ってくるって、これね常識なんですよ、ハハハハハ」
 雪合戦は笑いながらフランス人のように肩をすくめて、初歩的な質問で参ったという表情をします。
 「じゃあ、何や、その左ヒラメに右カレイって諺は料理人の心得みたいなものか。左だからヒラメ、右だからカレイってのは料理出されてみるまでヒラメかカレイか分からないっていう諺なのか」
 雪合戦は「しつこい人には参った」という表情で師匠に訴えたので、師匠がゴホンと咳払いして話を引き取ります。
 「まあ、雪だるま。そう興奮するもんやない。ほんの豆知識の問題なんやから。知らなかったからといって別に恥になるようなもんと違うんや。・・・雪だるまもモチはモチ屋という諺知っとるやろ?これは高校でも習うやろ?別に大学でだけ教えることやないやろ?堅苦しく考えたらアカン。・・・ええか、専門家は凄いということや。料理人いうのはほんとによう知っとるぞ。知識というのは不思議なもんでな、長く学校で勉強したりするとかえってそういう生半可な知識より現場の専門家の経験の強さを敬愛してきたりするもんなんや。不思議なもんなんやな、この、勉学ちゅうやつは」
 わたしはすっかり醒めてきました。何なんだ、こいつらの言う大学ってのは。クソーッ、きっといつか見返してやるからな。
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